このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 国語日記 

『護憲』

 戦前において「護憲」とは、「立憲民主制の擁護」即ち政党政治・議会政治の擁護を主として意味していた。「第1次護憲運動」、「第2次護憲運動」がそうであり、『閥族打破、憲政擁護』のスローガンからしてもこれは明らかである。そして、「護憲」という言葉のよいイメージは、おそらくこの時代に作られたものであろう。
 翻って、戦後の「護憲」運動とは、議会政治擁護ではなくて非武装・平和条項の擁護を意味し、打破すべきは『閥族』ではなく『安保自衛隊』ということになった。戦後の「護憲」運動が戦前と異なるのは、それを主導した日本社会党が議会制民主主義を本音では否定し、社会主義憲法の制定を目指していたことからも明かであろう。それ故、マルクス主義化された憲法の下でも「非武装・平和」条項だけ残せば、私有財産制度を否定したり天皇制を廃止したりしても、とりあえず「護憲」を名乗ることが出来た。

▲戦後、「護憲」を主張してきた日本社会党
(写真は、現在の社会文化会館・社会民主党本部)

 だが、こうした戦後「護憲」運動を、戦前のそれと同じ「護憲運動」と称するのは、商標登録に違反するような「販売」のし方であろう。「護憲」とは本来、「憲法擁護」(憲法典そのものの擁護)ではなく「憲政擁護」(憲法に基づいた立憲民主制の擁護)であり、1条や9条といった個々の条文を死守することが「護憲」ではない。現に、「9条護憲」の野党が同時に「1条護憲」を打ち出しているとは到底思えず、それでも自ら「護憲」と称することを止めていないが、それにもかかわらず自らを「護憲政党」と名乗るのは矛盾である。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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