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編集後記
2000年12月、「女性国際戦犯法廷」(VAWW-NET Japan)なる企画がありました。これは、その名の通り、戦争下における娼婦や強姦事件の社会的な告発を目的とした国際的な企画で、我が国のいわゆる「従軍慰安婦」問題が主眼となっています。主催者団体のホームページでは、その趣旨目的が「『慰安婦』制度という日本軍性奴隷制が女性に対する戦争犯罪であった真相を明らかにします。被害女性たちの尊厳を回復し、日本政府に戦争責任・戦後責任をとらせる手がかりとし、性奴隷制や強かんなどの戦時・性暴力が今後世界各地で繰り返されないよう、女性の人権が尊重される平和な新世紀を創ることです。」というように説明されています。
無論、この企画は「法廷」と名付けられているわけですから、そのあり方はあくまで「法的賢慮(リーガルマインド)」による歴史の回顧ということになるのでしょう。
ただ、傍から(男性として)見ていて思うのは、この企画が如何にも急進フェミニズム的な「鼻っ面」が強くて、ついていけないということです。例えば、主催者団体は、我が国のいわゆる「慰安婦」問題についても敢えて露悪的な「日本軍性奴隷制」なる言葉を使い(主催者側は「国連などで慰安婦はこう呼ばれている」と主張していますが、まさか当の日本政府がそう呼んでいるわけではないし、これは英語の和訳の問題でしょう)、その目的は「女性の人権が尊重される平和な新世紀を創る」とされ、「日本政府に戦争責任・戦後責任をとらせる」という政治的目的を正面に掲げていますが、こうしたことは、結局「加害者」に対する説得機能を大幅に削ぎ、自己満足に終わる危険性を高めるだけではないでしょうか。主催者側はこの企画の意義の中で、「慰安婦とされた女性達に正義と尊厳を取り戻させる」ということを述べていますが、そうであればなおさら、それは加害者側(いわゆる「従軍慰安婦」問題については、それが非戦闘員に対する戦時犯罪に該当する場合と、単なる戦地における商行為との場合があって、慰安婦「購入者」を一概に加害者と断ずるにはなお抵抗がありますが、ここでは敢えて主催者の主張に合わせます)の理性に訴えて「謝りやすくする」ことを考えるべきだったように思われます(何故なら、紛争は最終的に当事者間の問題であり、相手方が納得しない限り紛争の「解決」には至らないから)。
加えて、何故我が国のこの問題のみが主題とされるのかについても、疑問が残らないわけではありません。例えば、何故、満州における旧ソ連軍の蛮行を「戦時性犯罪」と告発しないのでしょうか。無論、主催者側の技術的能力の問題もあるでしょうから、あちらこちらの性犯罪にまで手を出すわけにはゆかなかったのでしょう。しかし、もし主催者側がA国におけるB国民に対する強姦のみを取り上げC国におけるA国民それを取り上げないとすれば、それは衡平性を失し「正義」の名を著しく損ねるのではないでしょうか。お知らせ
今月は、先月号から引き続いて裁判官の政治活動の問題を、及び、日本人の法意識の問題という、いずれも法学的な内容の記事になりました。これら2つの問題は違う問題でもあり、また共通点のある問題でもあります。私が問題提起をした諸点について、読者の皆様に少しでもよく理解して頂ければ幸いです。
なお、予定しておりました原稿の一部は、来月号に持ち越しとなりましたことをお知らせ致します。
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