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国会の「最高機関性」を考える
〜国会の憲法上の位置付けについて〜

中島 健

1、はじめに
 我が国政治の「官主導」、「行政国家化現象」が指摘されて久しいが、2001年1月の省庁再編と副大臣・政務官制度の導入は、そうした批判に応えるべく、国家行政の「政治主導」の仕組みを整備し、21世紀の新たな国政の在り方を提示したものであった。
 ところで、戦後GHQの手によって策定された現行「 日本国憲法 」は、行政権優位の旧大日本帝国憲法の反省に立って、その第41条に、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」との規定を置き、行政中心から議会中心の政治への転換を図っている。もっとも、戦後半世紀にわたる我が国国内政治の状況を概観すれば、そうした一遍の法文か必ずしも現実を完全に動かし得るものではないことは明かであろう。とはいえ、少なくとも原理原則論としての「国民主権」が維持されている以上、一度問題や不祥事が発生したときに、どちらが「原則」でどちらが「例外」であるかを明確にするのは極めて有用であり(そればかりか、そもそも「法」とはそうした「逸脱」が生じたときにはじめて明確化されるのだ、ということすら言い得る=「何が正しいか」ということは漠然としているが、「何が正しくないか」ということはそれよりは明確である)、その点からもこの第41条の規定は「重み」を持っているのである。

▲「国権の最高機関」とされた国会

 本小論は、この第41条という規定の意義について、これまで法学(憲法学)が提示してきたその意味合いを簡潔にまとめるものである。

2、学説の対立
 上述したように、 憲法第41条 は、「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と位置づけている。しかしながら、我が国が国民主権原理と権力分立制を採用している以上、「最高機関」の意味内容が問われることになる。これについて、憲法学における従来の学説は、「最高機関」に具体的・法的意義を見出す「国会主権説」「統括機関説」と、逆に法的意義を認めない「政治的美称説」、及びそれらの中間に位地する「総合調整機関説」の3説に大別されていた。

1、国会主権説・統括機関説
 「国会主権説」は、「国権の最高機関」であるということを英国議会の如く国政の終局的判断権を持つものであると解する。 憲法第1条 が明文で「主権は国民にある」と規定している以上、この学説は実定法規範と矛盾しているようにも見えるが、後述するように、当初の「マッカーサー草案」段階では国会は「議会主権」的な位置付けを持たされており、この学説は全く根拠を欠いているわけではない。また、「統括機関説」は、国会が立法権の他に三権の上位機関として国政統括の具体的・終局的権限を有するものであると解する。憲法上、国会には立法権の他に憲法改正発議権( 96 )、予算( 60 )・条約承認権( 6173 )、議院内閣制の下での内閣に対する統制(首班指名、不信任決議)、国勢調査権( 62 )、裁判官の弾劾等の権限が付与されていること、内閣法・国家行政組織法・裁判書法及び予算により行政・司法に影響を及ぼし得ることは、これらの所説を補強する。この所説によれば、国政調査権は「独立権能説」に、議院内閣制の本質は「責任本質説」によることとなる。
 しかし、憲法は明文で「国民主権」を宣言する以上、(制度設計上の思想としてはともかく)法文上の根拠からすれば「国会主権説」が存立する基盤は無い。また、国会の内閣、司法に対する諸権限は(自発的な憲法改正発議を除き)権力分立制と「抑制・均衡の法理」により与えられているものなのであって、国会といえども行政・司法を直接指揮・命令し、第一次的判断権を侵すことが出来る地位には無い。更に、これらの所説は内閣が国会召集権・衆議院解散権を持ち、最高裁判所が違憲審査権を持つことと矛盾する。

2、政治的美称説
 これに対して「政治的美称説」は、「最高機関性」を、国民を直接代表する国会こそが価値的に国政の中心的位置にあるべきことを政治的・権威的に宣明したものであるとし、特段の法的効果を見出さない(通説)。この所説によれば、国政調査権は「補助的権能説」に、議院内閣制の本質は「均衡本質説」によることとなる。後述するように、法制史的な観点からは、この条文から「議会主権」的要素を読み取ることは不可能であり、政治的美称説が最も適切であると考えられる。
 しかし、この所説では現代国家の行政国家化現象に対応して国会の権能を強化することが難しく、国会の重要性を軽視するきらいがある点で問題無しとしない。

3、総合調整機関説
 思うに、国民主権原理の下で代表機関たる国会が最重要機関であるということは、単に政治的な意義だけでなく、それが有する立法権を行使して行政・司法の権限を具体化し(例えば、内閣法、国家行政組織法、各省設置法、裁判所法、訴訟法)、国政の円滑な運営を図ると共に、憲法の枠内で上手くいかないときは憲法改正を発議する等、国政全般の最高責任を負うという法的意味があると見るべきである。
 よって、 憲法第41条 は三権の相互関係の総合調整を行い、所轄不明の権限については国会に帰属すると推定する「総合調整機関説(最高責任地位説)」は、現代国家の行政国家化現象に対応して国会の地位を強化し、国民主権原理を具体化してゆくのに適切な考え方と言えよう。

3、法制史的観点から見た「最高機関」
 ところで、この「最高機関」なる文言は、如何なる経緯で 憲法第41条 に書きこまれたであろうか。
 我が国憲法は元々、連合国軍最高司令部(GHQ)が1946年に作成した「マッカーサー草案」を原案としていることは既によく知られた事実であるが、この「マッカーサー草案」では、国会に文字通り三権の内で優越的地位を認めていた。
 例えば、「マッカーサー草案」第40条(※注1)は「国会ハ国家ノ権力ノ最高ノ機関ニシテ国家ノ唯一ノ法律制定機関タルヘシ(The Diet shall be the highest organ of state power and shall be the sole law-making authority of the State)」(和文は1946年2月21日の臨時閣議で配布されたもの)となっているが、これを受けて第62条第1段は「総理大臣ハ国会ノ輔弼及協賛ヲ以テ国務大臣ヲ任命スヘシ(The Prime Minister shall with the advice and consent of the Diet appoint the Minister of State.)」としており、国会には閣僚の任命に同意する権限(そのかわり、閣僚は非議員から自由に選出してもよかった)があった。また、第73条は「最高法院ハ最終裁判所ナリ 法律、命令、規則又ハ官憲ノ行為ノ憲法上合法ナリヤ否ヤノ決定カ問題ト為リタルトキハ憲法第三章ニ基ク又ハ関連スル有ラユル場合ニ於テハ最高法院ノ判決ヲ以テ最終トス 法律、命令、規則又ハ官憲ノ行為ノ憲法上合法ナリヤ否ヤノ決定カ問題ト為リタル其ノ他有ラユル場合ニ於テハ国会ハ最高法院ノ判決ヲ再審スルコトヲ得(The Supreme Court is the court of last resort. Where the determination of the constitutionality of any law, oreder, regulation or official act is in question, the judgement of the Supreme Court in all cases arising under or involving chapterof this constitution is final; in all other cases where determination of the constitutionality of any law, ordinance, regulation or official act is in question, the judgement of the Court is subject to review by the Diet.)」として、国民の基本的人権に関わる事項以外の終局的な違憲立法審査権は国会に属し、最高裁判所判決を覆滅する権限(覆滅権)があった(3分の2以上の特別多数決が必要)(※注2)。これは、元々GHQが「選挙民に責任を負う政府」の形態としてイギリス型議員内閣制を志向していたためで(※注3)(※注4)、閣僚任命同意権や最高裁判決覆滅権はイギリスの「議会主権」的な思想が導入された結果であった。実際、イギリスでは、議会制定法が最高裁によって無効と宣告されることは無い(「イギリス最高裁」とは議会上院=貴族院のことであり、これはつまり衆議院の貴族院に対する優越という意味も持っている)。
 しかし、これらの規定は、制憲議会(第90帝国議会)の審議過程で、「権力分立制に反する」等として削除され、アメリカ型の「チェック・アンド・バランス」(抑制と均衡の法理)に適するように改正された。そしてその結果、「議会主権」に近い内容を持っていた第41条は、その「最高機関」という文言のみが残存してしまったのである。この経緯からすれば、「最高機関」ということに「政治的美称説」以外の学説のような意義を見出すのは難しいのではないだろうか。

4、おわりに
 このように、 憲法第41条 の意義を考察してゆくと、我々は否応無しに一つの事実につきあたる。それは、日本国憲法がGHQの制定したものであり、その規定には終戦直後の我が国と連合国(特に米国)の政治力学が色濃く反映されている、ということである(無論、憲法を考究するにあたりその条文の制定過程にも目配りをすることは当然であり、他にも9条等にそうした「痕跡」が見られるのだが)。このことは、我々が現行憲法をどのように理解し、どのように解釈するのか(「不磨の大典」視するのか否か、等)という態度を決めるにあたって、極めて重要なことなのではないだろうか。

※注釈
1:
中野邦観・加藤孔昭編 「日本国憲法のすべて」 『This is 読売』97年5月号臨時増刊 読売新聞社、1997年 より引用。
2:ところで、現行憲法は「改正の発議」について両院の3分の2以上の多数の賛成を要求しているが、これについて従来の憲法学説は、「改正について慎重審議を期すため」等と説明している。しかし、マッカーサー草案において前述の如く国会の意見立法審査権に「3分の2の多数」(但し、草案は一院制)を要求していたことを考え合わせると、憲法改正発議の特別多数決要求はこの草案第73条に条件を合わせるための規定だったのではないだろうか(改正発議が過半数で可能とすると、草案第73条との間で制度的に均衡を失する)。
3:
草案は、更に、国会解散について内閣不信任案が可決されたときのみを規定し、内閣側からの自律的な解散を明文で認めていなかった。
4:その他、草案作成段階では、成立した法律案を内閣が10日以内に公布しないときは、自動的に公布されるものとする規定があった。

※参項文献
芦部信喜 『憲法』新版 岩波書店、1997年
内田健三・金原左門・古屋哲夫編著 『日本議会史録4』 第一法規出版、1990年
憲法教育指導研究会 『憲法の解説』 一橋出版、1990年
小林 節  『憲法』増訂版 南窓社、1994年
佐藤幸治 『憲法』 青林書院
中野邦観・加藤孔昭編 「日本国憲法のすべて」 『This is 読売』97年5月号臨時増刊 読売新聞社、1997年
百瀬 孝  『事典 昭和戦後期の日本』 吉川弘文館、1995年

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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