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金正男事件を考える
〜政府の対応は正しかったか〜

中島 健

 報道によれば、法務省東京入国管理局は5月1日、ドミニカ共和国の偽造旅券を所持していた4人の朝鮮人を不法入国の疑いで拘束し、取調べの上、4日午前の全日空機で4人を中国・北京へ強制退去処分を行なったが、この4人の中には、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)の最高実力者・金正日朝鮮労働党総書記の長男で、次期指導者と見られる金正男(じょんなむ)氏(29歳)(本来は、「金正男容疑者」と表記すべきだろうが)が含まれていたという。これに関して法務省は、この人物が金正男氏であるかどうか「確認できなかった」と発表したが、収容先の牛久法務総合庁舎から成田空港までの移送時の厳重な警備体制や、政府が敢えて本人かどうかの明言を避けたこと等から、本人であったことがほぼ断定されている。ただ、政府は、外務省・法務省等が協議を行なった結果これら4人について刑事告発することはせず、事件が公になった次の日の早朝、早々と強制退去処分を実施し、本件が政治問題化するのを避けた

 

▲強制退去か刑事処分かで揺れた政府(左は外務省、右は警察庁)

 訪日の目的について金正男氏本人は「ディスニーランドに行きたかった」と話していたという。パスポートの記載から直前までシンガポールとオーストラリアに滞在していたことからすれば、この説にはかなりの説得力があろう。また一部報道では、金正日総書記の委託を受けて極秘に我が国の一部国会議員と接触を図ろうとしたとの観測も出ているが、どちらが事実にしても金正男氏が不法に我が国に入国しようとしたという事実(それも、過去に既に3回不法入国している常習犯である)は動かし難い。我が国やアメリカを仮想敵国視する北朝鮮の次期指導者が、その「敵国」の領土にある「敵国文化の象徴」であるディズニーランドに行きたがったというのも、彼の国にとってはスキャンダラスなことであろう。加えて、4人が所持していたドミニカ共和国の旅券は、我が国が同国国民の観光目的での入国を査証(ビザ)なしで許可していることから偽造対象になったと見られているが、金正男氏がこれを個人的に入手したものとは想像し難く、北朝鮮の国家ぐるみでの旅券偽造工作であったことは明らかで、改めて北朝鮮という国の危険性が確認されたことになる。

▲旅券偽造が国家ぐるみだった(写真は「首都」平壌市)

 ところで、本件に関しては、自民・自由・民主・保守・無所属の会など超党派の国会議員10人が声明を発表し、金正男氏らを北朝鮮の日本人拉致問題の取引材料として拘束すべし、あるいは常習犯であることが明かであるから刑事処分を実施すべしといった主張を行ない、政府の対応を批判した(「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」も同様の声明を発表した)。拉致問題被害者の方々の感情を察すれば、次期指導者と見られる金正男氏を「刑事処分」の名の下に拘束し、「人質外交」を展開するという主張も理解できなくはない。「出入国管理及び難民認定法」(昭和26年政令第319号)第3条第1項は、「有効な旅券を所持しない者(有効な乗員手帳を所持する乗員を除く。)」は、「本邦に入つてはならない。」と定めており(ちなみに同法は、警察予備隊令と同様に、昭和26年にポツダム勅令に基づいて制定された法律相当の政令が根拠になっているので、前文にも「内閣は、 ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件 (昭和二十年勅令第五百四十二号)に基き、この政令を制定する。」と書いてある)、同法第5条第11項は、 日本国憲法 又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入している者」は「本邦に上陸できない」と、また同法第5条第14項は「前各号に掲げる者を除くほか、法務大臣において日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」は「本邦に上陸できない」と、それぞれ定めている。一国の領土に外国人の入国を許可するかどうかは国際法上主権国家の裁量に任されているからだが、これらに基づいて同法第24条「第三条の規定に違反して本邦に入つた者」「 日本国憲法 又はその下に成立した政府を暴力で破壊することを企て、若しくは主張し、又はこれを企て若しくは主張する政党その他の団体を結成し、若しくはこれに加入している者」「法務大臣が日本国の利益又は公安を害する行為を行つたと認定する者」は「本邦からの退去を強制することができる」としている。更に、同法第70条第1項「第三条の規定に違反して本邦に入つた者」は「三年以下の懲役若しくは禁錮若しくは三十万円以下の罰金に処し、又はその懲役若しくは禁錮及び罰金を併科する。」としている。つまり、現行法に照らしても、金正男氏の刑事処分は十分可能だったわけである。しかし、そもそも西側先進国である我が国が、如何に北朝鮮に対抗するためとはいえ、そのような「人質外交」をあからさまに実施することは我が国の国際的評価を損なう虞がある。また、実際に金正男氏を拘束すれば、北朝鮮側による報復誘拐テロ(現時点でも、北朝鮮にはKEDO関係者や報道関係者など何人かの日本人が滞在しているし、また日本海側の海岸から特殊工作船で再び人質を誘拐することも十分容易である)や特殊工作員による金正男氏奪還作戦の強行も予想され、我が国全体の安全が脅かされる虞も多分にある。そもそも、我が国の沿岸警備体制は海岸付近まで監視体制をとっている韓国とは比べ物にならないほど脆弱であり、「人質外交」を展開するだけの「体制」が整っていないけである。以上の諸点から、私は今回の政府の対応はやむを得ないものだったと考えている。
 ただ、今回の政府の対応で一つ落ち度があったとすれば、それは「金正男氏拘束のニュースが公になってしまったこと」である。想像するに、当初公安当局(警察庁)としては、金正男氏ら一行をわざと入国させ、徹底的に尾行してその足取りを掴み、真の入国目的を探り出したり国内協力者を割り出そうとしていたのではあるまいか。事実、一部の報道によれば、金正男氏ら金氏一家は既に何度も我が国に不法入国しており、そしてその度に警察庁はこれを厳重な監視体制の下に置いて尾行を続けてきていたとされている。そして、その公安側の「秘密作戦」を知らされていない現場の入国審査官が「真面目に仕事をした」結果、法務省の入国管理当局や外務省が金正男氏らの「密入国」を知るところとなり、情報が漏洩したため「やむなく」強制退去処分になったのではないだろうか。その意味では、次期北朝鮮指導者のご家族ご一行様に外交機密費からいくばくか御小遣いを出し、警察の秘密裏の厳重な警備の下十分我が国の風土を満喫して頂き、我が国や国民に対してよいイメージを持たせてから帰国させたほうが、「草の根首脳外交」としてはよかったのかもしれない。もっとも、そうして少しでも日本贔屓になった息子を、金正日総書記が歓迎するかどうかは定かではないが。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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