このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

映画「JSA」を見る
〜南北和解と板門店の現実をどう見るか〜

中島 健

1、はじめに
 パク・サンヨン原作、パク・チャヌク監督の映画「JSA」が公開された。
 南北朝鮮分断の象徴である板門店の共同警備区域・JSA(Joint Security Area)を題材としたこの韓国映画は、1999年に公開された韓国映画「シュリ」に続いて韓国国内で大ヒットを記録した映画で、韓国の民主化運動を担った「386世代」と呼ばれる世代を中心に、共感を広げているという。
 そこで、我が国でも最近公開されたばかりのこの映画を、私も観覧してみることにした。

2、JSAとは
 JSA=共同警備区域とは、大韓民国と北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)との唯一の接触点であり、今も「休戦中」である朝鮮戦争の軍事停戦委員会が置かれている場所で、通例「板門店」と呼ばれている。
 1950年6月25日、北朝鮮軍13個師団が突如大韓民国に侵入し、朝鮮戦争(韓国名「6・25事変」)が勃発した。武装集団は一気に南下し3日で首都ソウルを占領したあと、韓国軍を半島南端の釜山に追いつめ、米韓軍は「釜山橋頭堡」に立てこもって抵抗。その後、国連安全保障理事会でソ連欠席の中北朝鮮の侵略が認定され、米軍ほか参戦国に国連旗の使用が許可された。以降、米軍を主体とする国連軍は反攻に転じ、一旦は北朝鮮のほぼ全土を占領した。しかし、今度は半島北部から中華人民共和国の「中国人民義勇軍」が参戦し国連軍は再び後退。首都ソウルを再占領される事態を招いたが、結局、現在の軍事境界線付近で膠着状態に陥った。
 当初、南北の停戦協議は板門店より北側にある北朝鮮支配地域の開城(ケソン)で行なわれていたが、交渉中の北朝鮮側の嫌がらせ(例えば、国連軍側代表団が開城市に移動するときは自動車に「白い旗」を掲揚することとされたが、そうして国連軍側が白い旗をつけた自動車で出向くと、北朝鮮側報道陣がその風景を撮影し、いかにも国連軍側が敗者であるかのような記事をつくった)や突発事件(例えば、北朝鮮側は度々、国連軍側の「誤爆」事件を何度もでっちあげ、交渉態度を留保したりした)に嫌気が差した国連軍側が、停戦会議場を北朝鮮支配地域ではなく軍事境界線上にすることを提案。停戦会議場の警備も国連軍と北朝鮮軍が共同で行なうこととなり、「共同警備区域」の名称が与えられた(共同警備区域及びその周辺は、協定に従って武器や兵員の数が限定されている)。かつては、共同警備区域内部では南北双方の警備兵がお互いに軍事境界線の相手側を往来することができたが、1976年8月18日の北朝鮮軍の斧殺害事件(「帰らざる橋」の手前にあったポプラの木を伐採しようとした国連軍兵士を北朝鮮軍が虐殺した事件。後にポプラの木は「ポール・バンヤン」作戦と呼ばれる国連軍側の作戦で伐採された)の後、両側の警備兵たちが相手の地域に入れないことになった。
 なお、つい最近まで、軍事停戦委員会の国連軍側代表は米軍将官1名、英軍将官1名、韓国軍将官2名、豪・加・泰・比の中から1名で構成され、米海軍少将が首席代表であったが(これは朝鮮戦争当時の名残である。なお、北朝鮮側は北朝鮮軍4名、中国人民義勇軍1名)、1998年3月25日からは韓国軍将官が首席代表になっている。

共同警備区域

 国連軍側施設
 北朝鮮軍側施設
 軍事停戦委員会

▲共同警備区域(板門店)

 実は、私自身、この板門店を1996年に(無論、韓国側から)訪れたことがある。無論、依然として「前線」である板門店を旅行者が単独で訪れることは出来ず、KTB(韓国旅行公社)主催のツアーに参加しなければならないが、ツアー自体は外国人なら誰でも参加できる(逆に、韓国人は一切参加できない)。
 朝、ソウル中心部(日本でいうと大手町あたり)にある「ロッテホテル」の駐車場に集合し、大型観光バスに乗り込むと、途中にある朝鮮戦争参戦各国の記念碑を見学しながら徐々に非武装地帯(DMZ)(なお、現在南北朝鮮を分断しているのは軍事境界線<Military Demarcation Line>とその前後2キロの非武装地帯であって、北緯38度線自体は無関係である)南淵に接近。途中の国道には、所々に対戦車障害に使用するコンクリートの門(有事になると、門の柱を爆破して、道路を閉塞する)が見られる。非武装地帯付近の臨津江手前からは軍事区域になり、撮影も禁止される他一般国民の出入りも厳しく制限される。臨津江にかかる「自由の橋」を渡ってしばらくすると第ニの検問所があり、ここでは韓国軍憲兵がパスポートをチェック。しばらくすると、バスはボニファス駐屯地(Camp Bonifas)に到着した。ボニファス駐屯地は共同警備区域を担当する国連軍の基地で、入口には水色の国連旗の色をしたゲートがあり、駐屯地司令は韓国軍軍人ではなく在韓米軍の大佐になっている。ここでツアー客一行は、駐屯地の食堂で米軍式の昼食(私が参加したときはローストビーフだった)を頂いたあとしばらく土産物を見る時間があり、また板門店の説明を受ける。面白いのが、現地司令官の通達により、板門店観光客はジーンズ、サンダル、ミニスカート等の服装を禁じられていることで、これは、北朝鮮側に宣伝材料を与えないための措置だという(かつて北朝鮮は、Tシャツやミニスカート姿で見学にきた観光客を写真撮影し、「韓国は帝国主義の圧制によって貧しい生活を強いられている。だから洋服の生地が足りず、こんなみすぼらしい格好をしている」等として国内に宣伝したという)。ボニファス駐屯地から停戦会議場までの移動は在韓米軍のバスとなり、同じく米軍憲兵のハンビー高機動車が護衛につく他、英語で会場を説明する案内役も米軍人。こうしてみると、板門店の国連軍側施設は、(映画「JSA」で描かれた板門店とは異なり)多くの部分を在韓米軍が運営していることがわかる。停戦会議場付近では、まず「自由の塔」(現在は「自由の家」が立派なビルに新築されたため、東側に移設)の上に上って全体の風景を眺めた後、会議室に入室。中央にある机のちょうど中央に軍事境界線が走っており、会議室内部に限ってはこの境界線を越えて数歩だけ北朝鮮側に足を踏み入れることができる。なお、会議場の北朝鮮側にある建物「板門閣」はかつては2階建てであったが、韓国側が共同警備区域内に「平和の家」という南北非公式会談用の立派なビルを建設したため、これに対抗すべく急遽3階建てに増築されている。その後、バスは「帰らざる橋」に立ち寄って(但し、下車・写真撮影は出来ない)からボニファス駐屯地に戻った。

3、映画「JSA」を見て
 さて、その共同警備区域を描いた映画「JSA」であるが、総制作費4.5億円(うち、板門店のオープンセットに1億円)をかけただけあって、映像のリアリティは同じ韓国映画「シュリ」に引けを取らないものだったと言える。これは、やはり韓国が最近まで準戦時体制であったことと無関係ではなかろう。現在でも韓国には徴兵制度があるし、かつては月1回、街中で全国民が参加する民間防衛訓練も行なわれていた。軍事境界線付近の韓国沿岸には北朝鮮軍工作員の上陸事件が多発し、ソウルは今でも北朝鮮軍砲兵の射程下に置かれている。即ち、韓国人はこれまでも、そして今でも北朝鮮軍の「脅威」を肌で感じ、生命の危険の「息遣い」を知っているのであり、そうした皮膚感覚があるからこそ、リアリティのあるアクション映画を撮影できるのではないか、と思う。反対に、ここ半世紀戦争も全く経験せず、凶悪犯罪も例外的な事象である我が国のアクション映画は、監督の「皮膚感覚」が足りないのか、「ホワイトアウト」にしても「バトルロワイヤル」にしても、ニ流なものしか出来あがっていない。
 ただ、一部識者が言うように、この映画を「国家の論理を超えた人と人との交流」を描いたものであると見ることには、抵抗を覚える。確かに、ストーリーとしては南北の国家的対立を超えた兵士と兵士の交流が描かれているが、そこから直ちに「国家の論理はおかしい」だとか「和解が必要だ」という結論は、観覧中感じることは無かった。むしろ、この映画で描かれているのは、朝鮮半島問題が結局「人と人の交流だけでは解決し得ない国家的・政治的な問題」であることを正面から捉えているといえるのではないだろうか。
 実際、昨年6月15日の南北首脳会談では、どちらかといえば韓国側の事前の準備(物資援助や日米との共同歩調)と譲歩の犠牲の上に成立したものであって、決して南北双方が等しく「和解」したわけではなかった。また、現在でも、軍事境界線付近には北朝鮮側の膨大な軍事力が集中配備され、映画の中で描かれていたような緊張状態が続いている。更に、映画では、国連軍(韓国軍)側兵士が「帰らざる橋」を渡って北朝鮮側領土に足を踏み入れているが、「南に来ないか?」というイ・スヒョク兵長の言葉に対して北朝鮮のソン・ガンホ大尉は「俺の夢はこのチョコパイを共和国がつくることだ」と頑な拒否の姿勢を見せる。これはちょうど、金大中大統領が訪朝を実現しながら、未だに金正日国防委員長が韓国を訪れていないのに対応している。即ち、韓国人のほうは「386世代」の民主化運動によって反共イデオロギーから脱し、北側との冷静かつ人間的な対話をするに足る意識を持ち得たものの、北朝鮮側はなお偏狭なイデオロギー(それがマルクスレーニン主義なのか「主体」思想なのかは映画では描かれていないが)に縛られたままでいるのである。
 参考までに。金丞雄編『朝鮮概観』第7版(外国文出版社、1999年。北朝鮮が自国を解説した日本語の書籍)は、北朝鮮の国家政治体制について「共和国は金日成主席の思想と指導を体現したチュチェの社会主義国」であるとし、また「共和国の国家機構は、国防機構を中軸とする軍権重視の機構であり、国防委員会委員長は、政治、軍事、経済の全般を指揮、統率」するとしている。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


目次に戻る   記事内容別分類へ

製作著作:健論会・中島 健 無断転載禁止
 
©KENRONKAI/Takeshi Nakajima 2001 All Rights Reserved.

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください