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「反米の熱情」で冷静さを失っているのは誰か
〜朝日新聞社の10月7日付社説を批判する〜

中島 健

 「朝日新聞」は7日、「テロへの対応ー冷静な熱情こそ」と題する社説を掲載し、同時テロ攻撃事件に対するアメリカの報復攻撃やそれを支援せんとする政府の対応を批判した。記事の中で同社は、アメリカで政府を批判する言動が非難されている状況を紹介。それに「呼応するように、『行け行けどんどん』の言説が横行している。アメリカに付くか、付かないのか、と迫る。付かない人間はテロ支持者だ、といわんばかりに。」として、対米協力に積極的な国内世論を批判し、「いま直面している問題も、白か黒かだけでは済まない。『テロも憎いが戦争もいや』という考え方も含め、広い灰色の領域がある。その領域にいる人たちを排除せず、仲間に入れて、どうしたら解決できるか、知恵を絞らなければならない。」として、軍事行動以外の道を模索するよう提言している。
 言葉は、不思議なものである。どんなに不合理な、無意味なフレーズでも、それを上手く組み合わせることで、あたかも意味ある現実が創造されるかのように表現できる。「朝日新聞」のこの社説は、まさにそうしたレトリックによって事実を隠蔽し、誤った認識を元に議論を組みたてているという他ない。このような論説が我が国の主要新聞社に掲載されること自体、世界からの孤立を招きかねない。
 そもそも、同社は「アメリカの報復」を云々し、「報復戦争が新たな報復を呼ぶ」として軍事行動に反対していたが、アメリカの攻撃目標はあくまでタリバン政権と「アル・カイーダ」(オサマ・ビン・ラディンが組織したゲリラ組織)に慎重に限定されており、同国の軍事技術(衛星誘導爆弾や巡航ミサイル等)からすればそれは十分可能なことである。「朝日新聞」に指摘されるまでもなく、今回の事件でアメリカ政府は冷静に「イスラム教徒」と「ゲリラ組織」を厳格に区別する態度をとっており、アフガニスタン民間人に対する被害が最小限に食い止められるよう慎重な配慮を施している(なお、例え攻撃で民間人に被害者が出たとしても、その責任は重大犯罪者の引渡しを拒絶したタリバン政権にある)。そして、パキスタンを含むイスラム穏健諸国も、アメリカの積極的な外交活動によってそうした立場を了承している。つまり、「アメリカの戦争を支持すると民間人に被害が出、イスラム諸国から反発を受ける」という前提自体、既に崩壊しているのであり、そのような主張をする者は、世界中どこを見渡しても今や同社とゲリラ自身(タリバーン政権を含む)しかいない。ちなみに、我が国世論の中でアメリカ支持を主張する論者は、誰もアフガニスタン民間人の無差別な殺傷を推奨しているわけではないことは言うまでもない。
 論者の中には、「報復」という言葉と捉えて、アメリカの自衛権行使を「武力復仇は国際法に違反する」と論難する者もいる。同社社説も、「そもそも、これは『戦争』なのか。」と問題提起し、「一人の容疑者を逮捕ないし暗殺することは戦争ではないでしょうし、一つの犯罪組織を壊滅せしめることも戦争ではない。ニューヨークの被害は甚大でしたが、保険会社は戦争免責を主張しないで保険金を支払うようです」という作家の池澤夏樹氏の言葉を紹介する。しかし、こうした池澤氏の議論は「戦争」という言葉の言葉尻を捕らえた言い掛かりであり、5000人以上の被害者を出した今回のテロ事件を矮小化せんとする(そして、それによって我が国における安全保障論議を停止させんとする)企みでしかあり得ない。問題は、「アル・カイーダ」という国際テロ組織が極めて大規模・組織的な武力行使をアメリカに対して行ったことをどう評価するかであり、米保険会社の細かな定義や法令解釈ではない。無論、アフガニスタン情勢そのものの改善には外交的、経済的手段を用いる必要もあろうが、こと「アル・カイーダ」及びタリバーン政権に関しては、「対抗する手段は戦争(軍事力)だけ」である。
 同社は「付かない人間はテロ支持者だ、といわんばかりに・・・アメリカに付くか、付かないのか、と迫る」というが、そうした言説の一体何が問題なのであろうか。軍事力によってのみ存在するテロ組織に話し合いの余地は無く、彼らの攻撃に対し何等の対応措置もとらないということは即ち犯罪者の物言いを承認することに他ならないことは、本文記事でも何度も強調してきたことである。そして、テロに屈服することを潔しとしないアメリカ及びイギリスは、彼ら重大犯罪者及びその支援国を殲滅すべく犠牲を恐れず行動しており、それに賛同するかどうかは即ちテロに屈服するかどうかということになる。テロ攻撃を受けて主張を変えるということは、即ち暴力による言論の歪曲を承認することになる。「アメリカに付かない人間は、テロ支持者」と見るのは極めて自然なことであろう。朝日新聞社は同社の阪神支局が右翼団体と見られる犯人に襲撃され記者が殺害された「朝日新聞襲撃事件」を強く非難しているが、犯行声明を出した「赤報隊」を名乗る犯人を逮捕するのに実力行使を拒絶するのであろうか。アメリカの報復攻撃に反対することは、あたかも「赤報隊」の主張を受けいれて、同社の記事内容を修正するかの如き行為である。
 8日午前2時(米東部時間7日午後1時)に行われたブッシュ大統領の演説でも述べられているように、この「テロとの戦い」に「中立」はあり得ない。朝日新聞社は社説の中でコラムニストの天野祐吉氏の「テロも憎いが戦争もいや、だからどっちにもつかない、なんて選択は許されないらしい」「いやはや、怖い時代になったもんだ」という言葉を紹介し、「テロも憎いが戦争もいや」という同社の立場を主張する。しかし、以上に見てきたように、「テロも憎いが戦争もいや」という言説は「日本語」としては成り立つかもしれないが、事実としては全く両立不可能である。「報復がいや」ということは「テロを退治しない」ということであり、悪辣なテロリストらの大量殺戮行為を黙認することに他ならない(再三強調するように、「非軍事的手段による対処」は日本語としては成立しても事実としてはあり得ない)。こと対「アル・カイーダ」戦争に関しては、グレーゾーンはあり得ない。「テロも憎いが戦争もいや、だからどっちにもつかない、なんて選択も許されるとすれば、いやはや、怖い時代になったもんだ」。天野氏は、自らの言論に従い、例え御自身が何らかの形で暴力を受けたとしても、是非警察の強制力を使わないで犯人を逮捕する努力をして頂きたい。
 同社社説はアメリカにおける言論状況を憂慮し、集会では「非国民」という言葉も飛び出したことを紹介している。不法なテロ軍事組織を殲滅せんとするアメリカの軍事行動を否定する者は、アメリカ合衆国としても「非国民」であろうし、全ての自由民主主義国にとって「非国民」「非地球市民」である。結局、同社に自らが提唱するような「冷静な熱情」はなく、そこにはただ「反米の熱情」や「反軍の熱情」があるだけである。冷静さを失っているのはアメリカでも日本でもなく、自己の主張(護憲、反軍、反米)が脅かされようとしている朝日新聞社そのものではないだろうか。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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