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異国人との交話の可能性
〜「自分」の中の「日本人」と「言語人」〜

楊井 人文

対話における客観性/中立性
 半年以上前のことになるが、大学のゼミナールで「日中間の歴史認識問題」というテーマのもと、研究発表および質疑・討論がおこなわれたときのことである。質疑に入るや、日本人大学院生(男二人)と中国人留学生(女二人)のあいだで喧喧諤諤の論争が始まった。彼女たちは「日本人は中国に侵略した事実を認め、きちんと反省しているのか。」「ドイツと比べ、日本の対応はお粗末と言わざるを得ない。」などと声高に主張し、彼らも「侵略・反省というが何をもってそう言うのか、定義してもらいたい。」「ドイツとは状況が違って一概に日本と比較することはできない。」などと真っ向から反論した。院生が挙げていく定義や事実にもかかわらず、留学生たちは「反省の態度がみられない。」の一点張りで、両者の認識の溝は広がり、険悪な雰囲気も漂いはじめた。そして留学生があきらめたように「もう今日はやめにしましょうか。」と、院生が顔の火照りを抑えきれずに「このまま帰ったら負けたような気がして我慢ならない。」と言ったところで、私は徐に挙手し、以下のような旨のことを発言したのである。
「日本人ももっと中国人の民族感情を了解した上で対話をする構えが必要なのではないか。私の意見は学問的な議論から外れるかもしれないが、日本人は論理や定義のことばかりに言及するのに対し、中国人の方も負けじと反証しようとしている。しかし実はそんなことは中国人にとって、どうでもよいことなのかもしれない。確かに客観的な立場からは日本人側に筋が一見通っているかもしれないが、現実の中国人には日本人から何を言われようと納得しない、戦後百年は消えることのない怨恨感情があると思う。そういう中国人を前にして、一見客観的な論争を要求しようとしても、かえって溝を広げる原因になっているように見える。仮に日本人と中国人の間に何らかの和解を求める気があるのなら、これは歴史認識問題ではなく歴史感情問題なのだという認識こそがまず必要ではないか。」
 この私の発言には二重の意味が込められていた。一つは文意をそのまま受け取った場合で、日本人としての私が日本人には自制を促し、中国人の怨恨感情の存在には理解を示したことである。その意味では、留学生の気持ちをある程度満足させることになった。もう一つは文意を皮肉として受け取った場合で、要するに中国人は客観的な議論ができないし論理より感情が優先しているという示唆であり、民族性に対する痛烈な批判と読むこともできたことである。私は後者としての意味が露骨にならぬよう言い方にかなり気を遣ったつもりだが、それでも勘の鋭い院生はしかと見抜いて苦笑まじりに言っていた、「君の発言はものすごく丁寧だったが、実はものすごく厳しいことを言っていたね。」こうして院生の気持ちもある程度満足させることになった。もちろん、私のこの時の発言はその場の収拾に効果を発揮したにすぎない。
 私が思ったのは、異国人(この場合は中国人)とこの種の問題について議論するとき、価値中立性や学問的立場に徹することを装っても無駄なのではないか、ということである。なぜなら、相手は我々を「学問人」としてではなく、「日本人」として見ていたからである。ただし、これはゼミナールなのだから、まずもって中国人の側が自分たちの民族的主張をもっと相対化しなければならないことは言うまでもない。そうだとしても日本人の側においては、相手の思考原理や感情構造をある程度理解しておいた上でないと、民族的感情を相対化することなど到底できないと心得るべきではないのか。
 私は何も、客観的な事柄は存在しない、したがって相容れぬ主観と主観の衝突しか存在しない、ということを言いたいのではない。我々は自己のアイデンティティ(帰属集団や政治的立場)に基づいた発言「しか」できないのであろうか。そうではないはずである。我々は自己のアイデンティティから自由であることはできず、自由だと装っても軽率とみなされるほかないが、かといって自己のアイデンティティの一側面に固執した言動は、しばしば偏狭な振るまいに陥りがちだということも忘れてはならない。
 他者と対話するということは、ディベートすなわち「固定化された立場からの主張の応酬」で成り立つものでは決してないのだ。立場が大きく異なる他者どうしであればこそ、論理やルールというものがとりわけ重要なのは言うまでもない。だが、共通の解が何処かに存在すると仮定しつつ、それに至ろうとするためには、論理や客観性を素朴に追求するのではなく、議論の立脚点を柔軟に変化させたり、他者の主観について想像力を働かせたりすることが不可欠なのである。さもなければ、互いが絶対性の代弁者を僭称しかねず、それが立証も反証も困難なものだとすれば、「神々の闘争」(M・ヴェーバー)ないし「文明の衝突」(S・ハンティントン)になるしかないのである。そうなれば、声の大きいものか力の強いものが優勢になるだけの話となる。喧嘩してはならないというわけではないが、喧嘩にも「いい喧嘩」と「悪い喧嘩」があると考えたい。

対話におけるルール/マナー
 とりわけ異国者どうしの交話にはルールないしマナーも必要である。これは、九月に上海で行われた日中学生シンポジウムで、向こう側の学生が歴史教科書問題についてステレオタイプな形で提起したときのことである。ある日本人学生の応答のしかたは「日本は言論の自由がある国であり、問題にされている教科書は八冊のうち一冊にすぎない。」という、これまた紋切り型のものだった。「右翼は日本でもごく少数の変な存在なのです。」という、正しくはあるが場違いである発言すら見られた。それも予想していた通りなので、私は問題とされている歴史教科書の市販本を皆の前に掲げ、中国側に、この本の一ページでも目を通したことのある人はいったい何人いるのか、挙手を求めたのである。だが私はむしろ、日本人の方に向かって同じ質問を浴びせたいくらいであった。歴史教科書の内容が本当に問題かどうかではなく、それを調べも知りもせずに云々するのは、日本人とか中国人とか以前の問題なのである。なぜなら、自己の主張のためには、正確な認識に努めることなく事柄を裁断し、人柄を侮辱することもいとわない態度は、対話のルールを逸脱するものだからである。当の採択率がほぼ皆無に等しかった基本的事実も知らない中国人に対しては、さしあたり私は「日本国内ではアジア諸国との関係が悪くなると称して教科書採択を妨害する運動を展開した勢力がいたのです。そもそも教科書は先ほど読み上げた通り危険思想などとは無縁でありますし、その教科書でさえ教育の現場では使われない目に遭ったくらいなのですから、今の日本は中国が脅威に感じるほどの代物ではないのです。したがって中国側のご心配には及びません。」と言っておいた。
 一方こういうこともあった。中国共産党中央党校、すなわち将来の党を担う若手エリート数十人が来日したついでに我が大学を訪問し、私たちゼミナールの学生が歓待したときのことである。ある女学生が(日米安全保障体制の東アジアにおける役割にかんする)発表をおこなったのだが、それが終わるとその女学生は中央党校の連中に囲まれ、詰問攻めにあうという光景が見られた。日本人はいかに我々(の祖先)をひどい目に遭わせたかを認知させようとするものだった。皮肉にも、原稿を読んだ女学生自身は日本に長く住んでいる中国人で、その日は中国語に堪能だからという理由で、たまたま執筆者に代行して読んだに過ぎなかった。彼らは彼女を中国語のうまい日本人だと思っていたらしいが、あとで聞けば、彼女は自分が中国人だと明かすのも面倒になってやめたらしい。
 最後に中国人との対話について、南京に行ったときの小さな出来事も紹介しておきたい。そのとき私はかの名高き「南京大虐殺記念館」に向かうべく、駅前で車を拾おうとしていた。そこへタクシーの運転手らしい三十代とおぼしき男性が近づいてきたので、値段交渉をして連れて行ってもらうことにした。てっきり乗用車のタクシーだと思っていたが、突然ヘルメットを渡されると四百ccのバイクに乗せられた。私が「これはタクシーじゃないだろう。」と言えば、彼は速度計を指して「いや、これはタクシーだよ。」と言った。中国語でタクシーのことを「計程車」と言うが、「計程」とは計測器のことを意味するのである。彼の背中にしがみつきながら自分は日本人だと紹介し、いくらか会話を交わしたが、バイクに乗ったのが案外気持ちよかったせいで、目的地に着くや私は何も考えずに彼にツーショットをとりませんかと申し出た。しかし彼は断った。残念ながら彼の話したことすべては聞き取れなかったが、彼の祖父が被害にあったことなど、彼はこの記念館の前で日本人である私と二人で写真に収まることができない訳を説明した。その説明ぶりに私は丁寧な印象を受け、決して日本人としての私を責めるという風ではなかった。私は送ってくれた礼を言い、彼もさわやかに別れを告げた。私は彼の良心が何となくわかるような気がして、嫌な気がしなかったのである。
 異国人と交話する経験を通じて気づいたことは、私には「日本人」(母国人)としての部分と「言語人」としての部分の両面を「自分」(自己のアイデンティティ)の中に持ちあわせている、というより持ちあわせていたいという思いである。異国人とあい対するときには、「自分」の中の「日本人」がどうしても立ち現れてこざるをえず、それに目をつむるわけにはいかない——それに目をつむるのを慣わしとする多くのヒューマニストの存在は、ここでは論ずるに値しない——。が同時に、対話や人間交際におけるマナーやルールを共有しようとするならば、そこに出身や立場に固着しない「言語人」(ホモ・ロクエンス)としてのあり方も確認できるのである。どちらか一方だけが大事であるという問題ではない。両方の要素をバランスよく表現に生かすことが、至難ではあろうものの、大事なのではないかと私は考える。

楊井 人文(やない・ひとふみ) 大学生


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