このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 編集後記 

 先日、友人と二人で8年ぶりに小学校時代の恩師に会いました。先生は、今はもう現役を引退されているものの昔と変わらずお元気で、ただ、かつてよりもやや丸くなられた、という印象を受けました。
 実は、先生は私達を教えていた当時、竹の棒を片手に授業を行い、悪い事をした児童にはその竹の棒で太もも(最近の小学生は皆冬場になると長ズボンを穿いているが、少なくとも10年前は男子は冬場であっても半ズボンだった)を叩いたりしていました。ただ、それだけ聞くと「体罰教師」のようですが、当時の私達からしても先生の「武力発動」は適切な形で行われており、決して先生がむやみやたらに体罰をしていたわけでも、学級運営を体罰に頼っていたわけでもありません。そこで、先生に、「先生はその後もあの竹の棒を使ってらしたのですか?」と問うたのですが、先生曰く、その後数年して教員と保護者との関係が変化し、結果として先生伝統の「竹の棒」は使えなくなってしまったそうです。先生によると、かつては保護者も学校の先生を一人の「職業教育者」として認め、一定の「信頼」と「委任」をしていたのに、最近では先生は単なる「教育公務員」であり、先生と保護者との関係はあたかも役所の如き「行政と市民」の関係になり、結果として「竹の棒」等の思い切った方法が取れなくなってしまったとのこと。また、最近話題となっている「学級崩壊」についても、教員の実力よりもむしろ家庭における躾の不足のほうが問題で、それ(躾)がここ10年で大きく低下してしまったそうです。
 教職員に限らず、最近の我が国においては、公務員は「国民から一定の信頼と委任を受けて裁量の範囲で行政を行う」立場から「国民の下に立つサービス業」の立場に変化しています。実は先日、私が市役所で住民票をとりに行った際、窓口の係員が「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と挨拶をしているのに違和感を持ったのですが(市役所の公務員とは別に商取引をしているわけではないので、私としては住民票の発行に対して商売用語を使われると、どうもしっくり来ません)、こうした傾向が果たして公務員の士気にどのような影響を与え、行政をどのように変容させて行くのか。バッシング報道に狂気乱舞する前に、一歩立ち止まってじっくり考えてみる必要があるのかもしれません。

 お知らせ 

 今月号は、管理者の旅行等により一部記事を先行掲示致しました。なお、次回更新は3月11日頃を予定しております。御了承下さい。


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