このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 編集後記 

 昨年の外務省機密費問題に関連して、我が国の外交における情報収集・分析力の不足が指摘されています。いわく、「機密費があっても有効に使われていない」「重要な情報は全てアメリカ頼み」「日本はスパイ天国」云々。
 確かに、これらの指摘は一部正しい面もあるでしょう(スパイ防止法制が無い、内閣全体で情報を把握する機関が無い、等。もっとも、真に「国家機密」に値する情報は報道されたりしないであろうから、巷で問題となっている「情報収集能力」の問題はどこまで実態を踏まえているのか、疑問無しとしませんが)。しかし、評論家の立花 隆氏が公然情報のみを元に田中角栄・元首相の金脈を暴いたように(第二次大戦中、米軍が行った実験では、新聞等の公然情報を駆使しただけで、米軍部隊の配置の8割は推定可能だったそうです)、多くの事象は公開された情報、即ち公然情報からでも読み取ることが可能ですし、実際には政府機関は多くの情報を日々入手しています。
 問題はむしろ、そうして収集された情報を一体如何なる基準で選別し、政策決定者へと挙げてゆくか、ということではないでしょうか。「政府が情報を入手している」といっても、その情報の質は玉石混交であり、どの情報が我が国にとって価値を有するかは一定の選別を経てみなければわかりません。例えば、「アメリカ本土をテロリストの攻撃から防衛すべし」といった問題意識が無ければ、例え「アル・カイーダ」という単語が事前の情報網に引っかかっても、有効な対応策をとることが出来ません。
 では、如何なる基準で価値ある情報をそれ以外から区別するのでしょうか。それは、国家の政治指導者が提示する我が国自身の「国家戦略」のはずです。これから5年、10年、我が国をどのような方向に持っていくのか。世界の中でどのような国に位置付けるのか。そうした戦略、そうした問題意識を持ってはじめて、それを達成するに必要な情報にも価値が生まれてくるのではないでしょうか。逆に言えば、如何に精密な写真偵察衛星や人的情報収集網を整備したとしても、「何のための情報か」ということが明らかでなければ、所詮「宝の持ち腐れ」で終わるのです。そして現在、我が国情報力において最も不足しているのは、実はこの点なのではないでしょうか。


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