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李登輝前台湾総統の訪日に思う 
日本の中国・台湾外交を問い直す

菊地 光

1、はじめに
 中華民国(台湾)の李登輝前総統(81歳)が、昨年12月27日から今年1月2日にかけて、家族ら3人を伴って我が国を訪問した。今回の訪日は、私的な家族旅行として財団法人・交流協会台北事務所(台湾における日本「大使館」に相当)に査証(ビザ)の申請があったもので、李前総統の訪日は、2001年4月に心臓病治療を目的として岡山県倉敷市等を訪れて以来、3年8カ月ぶりとなる。名古屋空港から入国した李前総統は、自身が学徒出陣で旧日本陸軍見習士官として駐留した名古屋城や、石川県かほく市の県西田幾多郎記念哲学館、同金沢市の八田與一技師(台湾のダムの父と呼ばれる技師)の生家を訪れ、京都では作家・司馬遼太郎の墓を訪問したり、京都帝国大学の恩師・柏祐 賢京大名誉教授(97歳)と再会を果たした。2日に関西国際空港から帰国したが、この間、31日、報道陣に対して「今回、日本を一層よく理解することができた。私にとっては文化の旅だった」「日本は秩序やいろいろな方面がみな良い国だ。台湾が新国家を打ち立てるうえで役に立つ」と述べた以外、日中関係に配慮してか取材には一切応じず、政治的発言や日本の国会議員との面会はしなかった。日本政府も、取材の自粛を呼びかけた(12月20日、官房長官記者会見)。
2、反発を強める中国
 李前総統の訪日に対して、中華人民共和国(中国)側はビザの発給段階から猛反発。12月16日(細田官房長官がビザ発給を記者会見で明らかにした日)には中国の武大偉・外務次官が阿南惟茂・駐中日本大使を呼び、ビザの発給を取りやめるよう申し入れた他、東京でも、王毅駐日中国大使が竹内行夫・外務事務次官に「理解できないし、受け入れることはできない」と抗議し、同様の申し入れを行った。劉建超・副報道局長も、16日の定例記者会見で、「李登輝は急進的『台湾独立』派の総代表、台湾独立勢力の頭目で、独立の外的条件をつくるという強い政治目的を持っているのは明白だ」「訪日には非常に強い政治目的がある。後ろ盾を探し、台湾独立の分裂活動を強めるためだ」「日本政府が中日関係を顧みず、訪日に同意したことは中国の平和統一の大業に対する挑発」「(ビザ発給の)決定を取り消さなければ、中日関係に新たな影響を及ぼすに違いない」と日本側対応を強硬に批判した。
 しかし、日本側は、李登輝前総統の訪日を「断る理由がない」(16日、小泉純一郎首相)、「(李氏は)一市民として日本を旅行したいということだから、断る理由はないし、まして日本の大学を出ているわけだから」(21日、小泉首相)、「(発給方針に)変わりないですね。断る理由があんまりないですから。中国には中国の立場がありますからね。そうあまりムキにならなくてもいいじゃないですか」(22日、小泉首相)、「観光目的の家族旅行と理解している。日中関係は従来通り重要。台湾への日本政府の考え方は不変だ。日中関係に大きな影響を与えるとは考えていない」(16日、細田官房長官)と、あくまで一私人の私的訪日であるとの立場を堅持。小泉首相のリーダーシップもあり、最後までブレない対応を示した。また野党でも、川端達夫・民主党幹事長は「現在は一私人であり、ビザの発給は当然だ。政府は堂々と、ビザ発給の考えや姿勢を中国に説明し理解してもらうべきだ」と延べ(12月17日の定例記者会見)、民主党の岡田克也代表も、中国共産党の劉洪才中央対外連絡部副部長と22日に東京で会談した際、「過度に指摘すると、大方の日本国民は『なぜそこまで』という気持ちになる」と対中感情を悪化させることへの懸念を示し、中国側の自制を求めている。わずかに、野中広務・元自民党幹事長が、「日中友好協会の名誉顧問として、この時期に訪中するのは適切ではない」「中国に事前に相談しなかった外務省のやり方も荒っぽい」として、予定していた訪中を見送る意向を明らかにしたが、この他に中国側の立場に立って政府を批判する声は聞かれなかった。
3、日台交流を促進すべし
 李前総統の訪日問題について、我が国は、中国に配慮しすぎるあまり、これまで台湾側に極めて冷淡な対応しかしてこなかった。2001年4月、心臓病の治療のため来日した際も、中国側に同調してビザ発給を認めないとする河野洋平・外務大臣(当時)ら外交当局と親台湾の森喜朗首相との間で対立。森首相の政治決断で、最終的にビザが出された経緯がある。2002年11月には、慶應義塾大学の学生団体「経済新人会」が学園祭での講演のため査証を申請したものの、中国側の反発と圧力に屈服したためか、大学側の意向を受けたとみられる学園祭実行委員会が講演企画を却下。李前総統側も申請を取り下げた。昨年9月には今回のような観光目的による訪日を打診したが、日本側から見送るよう説得され、申請を断念している(なお、今回の訪日でも、京都大学は、中国側の圧力に屈したためか、卒業生である李前総統の正式な大学訪問を認めなかった)。
 だが、こうした日本側の一連の対応は、日中関係に配慮しているにせよ、民主政体国家である台湾の存在を否定する中国側の立場にあまりにも阿ったものではないだろうか。
 1972年の「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」前文では、我が国は「中華人民共和国政府が提起した「復交三原則」を十分理解する立場に立つて国交正常化の実現を図るという見解を再確認する」(注:「復交三原則」とは、1972年4月13日「民社党訪中代表団と中日友好協会代表団との共同声明」の中で示された、「一つの中国」原則、台湾は中国領土であり台湾独立に反対、日台条約は無効、とするもの)と表明。また第三項では、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」(注:「ポツダム宣言第八項」は「「カイロ」宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ 」としており、その「カイロ宣言」では「右同盟國ノ目的ハ日本國ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戰爭ノ開始以後ニ於テ日本國カ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト並ニ滿洲、臺灣(台湾)及澎湖島ノ如キ日本國カ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコトニ在リ」としている)としている。他方、当時においても、日本側は、台湾との経済・文化交流等の実務関係や人物の往来については引き続き継続していく考えを示しており、外務省の在外公館に代わって事務を行う財団法人・交流協会が設立されている。このように、日本政府の公式的立場からすれば、台湾の独立を認めたり、台湾(あるいは中華民国)を主権独立の国家として法的に認知することは難しい。
 しかしながら、他方で、沖縄の西に3万6000平方キロの領土と2250万人の人口を持ち、民主的な憲法と政府、軍隊を有し、かつて国連常任理事国の地位を占め、WTOにも「加盟」し、現在でも27ヶ国と正式な外交関係を有する政治的実体として、台湾を国家でないとすることはできないし、民主主義国として、中国が慫慂しているように台湾を無視することもすべきではない。日中の法的・政治的関係は尊重するにしても、日台間の交流を促進し、実務関係を強化すべきであり、台湾当局の元当局者だけでなく、経済・文化関係の維持・発展を目的として、現職の政府高官の相互交流も認められるべきである。何よりも、日本をはじめとする国際社会が台湾に対する関心を強め、交流を深めることは、中台問題の平和的な解決に資するではないか(台湾の存在を否定するかのような態度を強めれば、中国側の武力行使による統一を容認する環境を現出させることになる)。手始めに、アメリカがそうしているように、李前総統に数次入国ビザを発給するのも一案であろう。
4、自分の首を絞める中国の強硬姿勢
 そもそも、今回の問題に対する中国側の対応を見ると、如何にも強面で猛々しいという印象を受ける。11月下旬に小泉首相と会談した胡錦涛国家主席と温家宝首相がいずれも「台湾独立反対」を強く主張した直後だけに、中国としてはメンツをつぶされた形なのかもしれない。例えば、王毅駐日大使は、12月16日に竹内外務事務次官にビザ発給中止の申し入れをした際、「李登輝は退職した一老人ではない。中国を分裂する方向に狂奔している代表人物だ。その人物を日本に受け入れることは、日本政府が支持する『1つの中国』という政策に反する」と述べた他、21日の日本経団連主催の会合では「台湾独立勢力の代表人物はまさに李登輝である。公職から退いたとはいえ、分裂活動を進める急先鋒だ。中国を中傷、攻撃している人物に日本が好意を示すことは理解に苦しむ。もはやトラブルメーカーだけでなく、戦争メーカーになるかもしれない。彼のような危険な政治家に対し、国際社会、周辺諸国は赤信号を出しているのに、日本が再び青信号を出そうとしている」等と批判のトーンを強めた(ちなみに、この日、実際に李前総統に対して一次入国査証が発給されている)。22日には、ビザ発給を受けて、中国の武大偉外務次官は再び阿南駐中大使を外交部に呼び、「中国の立場を顧みない措置で、強い不満を表明する」と述べるとともに、「日本滞在中の政治活動を許さないよう強く求める」と申し入れた(但し、ビザの取り消しは求めず)(日本側は冷静な対応を求めた)。 李前総統帰国後も、中国国営新華社通信の日刊紙「参考消息」(4日付)は、李氏の日本への思い入れをやり玉に挙げ、「自分の身も心も入れ替え、日本人になりたくてうずうずしている」と批判。今回の訪日は「日本にこびへつらう旅」であり、李氏が西田幾多郎の哲学に心酔していることなどを指摘して、「一挙手一投足があたかも『日本人』になってしまったかのようだった」と非難。巧みな日本語についても、「中国語を話す時は気乗りがせず、話し方もしどろもどろだが、日本語になると、流ちょうで日本人と変わらない。新幹線の車内でしばしば日本語で独り言をつぶやいていたが、まるで自分がどこの国の人間か忘れているようだった」と皮肉る記事を掲載。更に、中国外務省スポークスマンは5日、読売新聞の取材に対してに、「李登輝は急進的な『台湾独立』勢力の総代表であり、正義感を抱くあらゆる人々によって軽べつされてしかるべきだ」との談話を発表。最後まで李前総統への恫喝姿勢を変えなかった。
 翻って、元日本陸軍少尉の経歴を持ち、「22歳まで日本人でした」と言って夫人とも日本語で流暢に会話し、「日本人が行った良いことを、日本人にも知ってもらいたい」と側近に語る李登輝前総統に、大多数の日本人が親しみと共感を覚えるのはごく自然なことだ。台湾問題はあるにしても、中国側が李前総統を「トラブルメーカー、戦争メーカー」、「分裂活動を進める急先鋒」等と批判すればするほど、日本人の気持ちは強面の中国から遠のき、親日の台湾に傾く。台湾高速鉄道の受注に際しても、欧州のTGV・ICEを際し置いて日本の新幹線システム導入を後押ししたのは他ならぬ李前総統だったと聞く。折りしも、内閣府が12月18日付で発表した「外交に関する世論調査」で、中国に「親しみを感じる」と回答した人が昨年の前回調査と比べ10.3ポイント減の37.6%に落ち込み、1975年の調査開始以来最低となった他、逆に「親しみを感じない」は58.2%(前回48%)と大幅に増加したというが、サッカー・アジアカップで極端な反日ブーイングを繰り広げてみたり、日本の領海を原子力潜水艦で侵犯させてみたりしていれば、このような結果が出るのもむべなるかなである。中国の対応は、自身の強硬姿勢で自ら首をしめ、結果として日本を親台湾にしているのである。
5、情けない最高学府の対応
 付言すれば、李前総統の訪日問題に関連して、慶應義塾大学(2002年、学生が学園祭で企画した李前総統の講演会を中止させた)や京都大学(今回の李前総統の訪日で大学公式訪問を許可せず)がこれまでとってきた冷淡な対応、中国に阿った態度は、何とも情けないという他ない。両校とも我が国を代表する最高学府のはずであるが、その両校が、中国の政治的圧力に屈し、「学問の独立」をかなぐり捨てて、中国共産党の応援団に成り下がるというのは、一体どういうわけであろうか。特に、慶應義塾大学は、創立者・福沢諭吉の掲げた「独立自尊」の標語をモットーに、私学の雄として学界をリードしてきた存在のはずである。それが、「中国との学術交流が断絶する」等の理由で学生の企画する講演会を中止させるというのでは、「独立自尊」なる歌い文句とは何だったのかと厳しく問わざるを得ない。
 「学問の独立」とは、学術以外の政治、経済、文化といった要因を排し、学問的真理のみを探究するという態度のはずであり、学究に台湾独立だとか李登輝訪日反対といった政治的要素が入る余地は無い。そもそも、「中国との学術交流が途絶える」というが、一党独裁政権の下で「学問の自由」が認められていない国との「学術交流」には本質的に限界があるのであって、断絶するならそれはそれで仕方の無いことと考えるべきである。むしろ、中国側の圧力に屈する形で李前総統の講演や訪問を認めないという態度をとることは、大学の教授・理事全員が、一民主政体国家を場合によっては武力で併呑せんとする中国の内戦に加担することになることを自覚すべきではないだろうか。
6、おわりに
 元来、我々日本人にとっては、文化的には中国も台湾も親しみやすい国であった。何より2000年にわたる歴史的結びつきがあるし、食文化や漢字をはじめとする中国文化は今でも根強く残っている。大多数の日本人にとっては、意識の上では中国(本土)も台湾も漠然と1つの「中国」として認識され、明白には区別されていない観すらある(だから、今回、中国当局が台湾問題を喧伝したのは、「中国」と「台湾」の区別が付かない大多数の日本人にその「差」を教えてしまったという意味で、中国にとって逆効果であった)。
 だが、内閣府の世論調査にも現れたように、瀋陽総領事館事件、靖国参拝問題、大陸棚問題、原潜侵犯事件、そして今回の問題を経て、日本人の対中感情は、中国自身の外交的「冒険」行為によって益々悪化している。中国自身の言葉を借りれば、中国の一連の「嫌日」強硬外交は「トラブルメーカー」であり、「正義感を抱くあらゆる人々によって軽べつされてしかるべき」ではないか。「終戦時は(日本陸軍)第10軍司令部の見習士官として名古屋にいた。今回は60年ぶりで、とてもなつかしい」と語る李前総統の出身国である民主政体国家と、「李登輝の訪日を認めれば報復措置をとる」と言い張る一党独裁の核保有国とで、どちらの国とより仲良くしたくなるか、答えは明らかであろう。中国が今後とも今まで同様の対日外交を続けていくつもりなら、日本の政治世論が台湾独立を支持するようになる日も来るのかもしれない。

 菊地 光(きくち・ひかる) 本会会長


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