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中学生の「所持品検査」は当然だ
〜学校内の生徒の安全を確保せよ〜

中島 健

 今年1月以後、相次ぐ中学校での武器を使った殺傷事件で、中学生への「所持品検査」が改めて注目されている。ところが、各種調査によれば、今年2月6日現在、全国46都道府県のうち、東京都を含む23都道府県で、教育委員会が中学校における所持品検査の実施を容認している一方、10数の都道府県では、生徒の人権保護や私事秘匿権(プライバシーの権利)を理由に、これを見合わせることとしているという。これは、一連の事件を軽視した、誤った対応ではないのだろうか。
 そもそも銃刀法(「銃砲刀剣類所持等取締法」、昭和33年法律第6号)は、刃渡り15センチを越えるナイフや5.5センチ以上の飛び出しナイフの合理的目的なき所持を禁じている(参考参照)。これを当然かつ厳正に適用すれば、バタフライナイフ等の所持は全く違法であり、仮に中学校の生徒がかかるナイフを所持していることが露見した場合、当該生徒は現行犯逮捕(又は少年法に基づく補導等)されてもやむを得ないはずだ。所持品検査を否定する地方公共団体の教育委員会は、つまるところ、公立学校内において、銃刀法という法律に違反する、目的の無い(遊びや格好よさのみが目的である)ナイフなど殺傷能力の高い武器の所持を、今や古びた「学問の自由=学内自治=治外法権」的思考で容認していることになる。これは、公的機関が、事実上公立学校における違法行為を黙認していると言っても過言ではあるまい。
 従来ならば、「中学生がナイフを所持したり、ナイフを使って教師や生徒に危害を加える可能性は低い」と反論することもでただろうが、既に学内・学外において殺人事件・強盗事件を含む凶悪な事件が発生しており、この現実の前にかかる反論は説得力を欠く。検査を行わなければ、違法な武器を所持していない「普通の生徒」(事件をおこした少年は決して「普通の生徒」ではない)の基本中の基本的人権である生命権は、一体どのように保障されるのだろうか。「所持品検査は教師と生徒の信頼関係を損なう」という、一見正論に聞こえる主張する識者もいるが、学校内への違法な武器持ち込みを許容し、他の生徒の生命を脅かすことも「やむをえない」とする教師と、法律を守っているごく普通の生徒との間に、信頼関係が維持されるとは到底思えない。もし信頼関係の維持を云々するなら、検査・警備の担当者を教師以外の人物(警備員や米国のような学校警察官)にすればよい。ましてや、「生徒の中で所持品検査への反対意見が多いから」という反対理由のは、生徒と教師の「立場」の違いが全く考慮されていない、本末転倒の論議だ。生徒が所持品検査を嫌がるのは校則に反する学習に不要な所持品(武器を含む)があるからであって、それを発見するのが検査の役割ではないのか。
 また、検査と生徒の私事秘匿権の関係から考えても、所持品検査が直ちに私事秘匿権の侵害となるとは思えない。例えば、現在でも新東京国際空港(成田空港)の構内に入るに際しては警察と空港公団による検問が実施されており、空港に入場する者は、旅行客であろうと見送り客であろうと、また日本人であろうと外国人であろうと、全員がこの検問を受けている。しかし、一般的には、これが私事秘匿権の重大かつ違法な侵害であるとは見做されていない。所持品検査は空港の安全の為に行われるのであり、公共の福祉の為の合理的な措置だからである。学校も又、空港と同じく公共施設であり、検査は公共の安全に寄与するものである以上、プライバシーの制限も認容されるべきである(ただし、例えば女子生徒の生理用品などは女性職員が検査する等の丁寧な対応の実施は、言うまでもない)。
 勿論、今回の問題は、ただ単に公立学校において所持品検査を実施すれば、それで解決するものではない。しかし、中学生の間に、t他人に危害を加えうる危険なナイフの所持が浸透しており、かつそれは違法であることを考えると、所持品検査は必須と言わねばなるまい。既に、文部省や各教育委員会の「校長に一任」「人権侵害にあたる」という曖昧な態度によって、3月9日には埼玉県東松山市立東中学校で1年生同志のケンカ殺害事件が発生し、1人の尊い命が奪われている。実は、事件の前、埼玉県は、バタフライナイフを有害玩具に指定していた。しかし、この事件で加害生徒が使用した果物ナイフは、かかる指定を受けておらず、結果として事件の発生を防ぐことはできなかったのである(問題は、如何に公立学校への危険な武器類の流入を防ぎ校内の安全を確立するか、ということであって、特定のナイフの形式ではないはずだ)。優先的されるべきは、法を犯している子供の人権ではなく、法を遵守している子供の人権のはず。そして、(当然すぎることだが)学校内といえども法律は有効であり、遵法精神を教えることは公教育の大きな目標の一つのはずである。同級生に暴力を振るえば刑法の、武器を所持すれば銃刀法の適用を受ける、ということを毅然として生徒に示していく必要があるのではないか。如何に学校が、(法学用語でいうところの)「私的団体」としての「部分社会」であろうとも、国家の法秩序の外部に位置している訳ではない。所持品検査は、教育委員会の「校内の安全を確保する」という毅然とした態度を表象するものとしても、必要だ。
 更に、これを機会に、校則についても見直しがなされるべきだ。例えば、「腕時計禁止」だとか、「シャープペンシル禁止」(これらの規則は私の小学校に実際にあった)、あるいは頭髪丸刈りを強制する規則など、一般的にも、また教育的にも合理性の無い規則は廃止されるべきだ。一般の生徒が所持品検査に反対する理由も、このような非合理的な校則に違反しつつも、担任教師によって所持を黙認されたものについても、今回の検査で「摘発」されることを恐れてのことで、決して凶器の流入を許容している訳ではないのだ。
 もっとも、本当は教育委員会の遵法意識が欠落していることがそもそもの原因かもしれない。今回の事件が社会問題になる以前に、教育委員会は当然のこととして銃刀法を厳守すべく行動すべきだったが、実際は「人権」や「校長一任」という責任逃れを盾にそれを怠ってきた。これを不作為と言わずして何といおうか。そもそも、現在の学校現場では所持品検査が出来ないことから、たばこ一つ規制できないでいる。未成年者喫煙禁止法は厳然として存在するのにも関わらず、である。

(参考)銃砲刀剣類所持等取締法(昭和33年法律第6号)

 (定義)
第二条  この法律において「銃砲」とは、けん銃、小銃、機関銃、砲、猟銃その他金属性弾丸を発射する機能を有する装薬銃砲及び空気銃(圧縮ガスを使用するものを含む。)をいう。
2  この法律において「刀剣類」とは、刃渡十五センチメートル以上の刀、剣、やり及びなぎなた並びにあいくち及び四十五度以上に自動的に開刃する装置を有する飛出しナイフ(刃渡り五・五センチメートル以下の飛出しナイフで、開刃した刃体をさやと直線に固定させる装置を有せず、刃先が直線であつてみねの先端部が丸みを帯び、かつ、みねの上における切先から直線で一センチメートルの点と切先とを結ぶ線dが刃先の線に対して六十度以上の角度で交わるものを除く。)をいう。
 (所持の禁止)
第三条  何人も、次の各号のいずれかに該当する場合を除いては、銃砲又は刀剣類を所持してはならない。
(各号略)
2〜4 (略)

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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