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「ポケットモンスター事件」と報道
〜アニメーションへの偏見が報道を歪めている〜

中島 健

1、はじめに
 平成9年(1997年)12月16日午後6時、テレビ東京系で放送された大人気のテレビアニメーション「ポケットモンスター」で、刺激的な透過光を使用した場面があり、それを見ていた幼児から高校生までの合計660人が、てんかん症状を訴えて一部入院する騒ぎがあった。この問題で、翌17日には放送事業を管轄する郵政省が事情を聴取したのをはじめ、警察庁も全国の警察本部に被害人数の調査を指示、更には東京都教育委員会も被害人数の把握を指示したことが各種メディアで大々的に報道された。また、民放のワイドショー番組でもこの問題が扱われ、問題は全国な規模にまで広まった。
 「ポケットモンスター」、略して「ポケモン」は、現在幼児から十代前半の子供たちの間で大人気のキャラクターであり、主人公の「ピカチュウ」をはじめとして数十種類のかわいらしい「モンスター」で構成されている。アニメ版のほか、ゲームボーイやニンテンドウ64用のゲームが発売されており、バンダイが昨年ヒットさせた「たまごっち」と共に、97年ヒットした2大飼育系キャラクターであり、小学館・任天堂の人気商品である。言うまでもないことだが、「ポケモン」には特に激烈で残忍な戦闘表現や、妖艶で刺激的な性的表現は無く、むしろ動物愛護的な作品でさえあり、近年ヒットしているアニメ、例えば「新世紀エヴァンゲリオン」や「美少女戦士セーラームーン」等と比べて、特段「教育的に悪い」ものではない。しかも、今回の事件はアニメーションの内容ではなく、技術的な問題に端を発した事件であって、本来ならば内容は何等関係ないはずである。
 にもかかわらず、この事件を報道した報道機関各社や、この事件で動いた政府関係機関の中には、明らかにアニメーションへの偏見、乃至は無知によると見られる的外れな行動をしたものが多々見受けられた。

■2、政府関係機関の反応
 政府関係機関で問題があったのは、東京都教育委員会である。一体、何の理由で教育委員会が事件の調査に乗り出すのであろうか。例えば、アニメーションの中に看過出来ない暴力シーンがあって、それが「教育上」問題ならば、介入も致し方無い。教育行政上、放送制作会社を指導し、保護者の注意を喚起するなどの措置をとるのもやむを得ないだろう。しかし、今回の問題は教育上の問題ではなく、前にも述べたように純技術的な問題であり、換言すればテレビ東京と視聴者の問題であって、私はそこに教育委員会が態々乗り出してくる積極的な理由を、見出すことは出来ない(子供関係の事件だからといって、すぐに教育委員会が介入してよいわけではない)。しかも、今回の事件はあくまで「ポケットモンスター」という特定の番組の、特定のシーンによって発生した事件であって、このところ問題とされているナイフや覚醒剤のような、子供たち自身の意志によって再発の可能性がある事態では全くない。教育委員会がこのような動きをとるのは、裁量権の逸脱ではないだろうか。
 いずれにせよ、報道各社が東京都をはじめとする各教育委員会の調査を報じたことで、騒ぎを大きくしたのは事実である。

■3、報道機関の誤った対応
 しかし、最大の問題はやはり報道機関自身である。民放の中にはワイドショー番組で文字どおり事件を拡大したり、テレビ東京の記者会見について「謝罪の言葉は聞かれませんでした」等という解説をつけたところもあり、看過出来ない事態に発展してしまった。勿論、結果責任という意味で、今回の事件についてテレビ東京側に謝罪すべき点が無いわけではなかったが、しかし因果関係については当時はまだ十分に解明されていなかった以上、テレビ東京の非を喧伝するというのは、良識的な報道姿勢ではない。殊に、今回の事件の原因の一つに、子供たちが暗い部屋でテレビを接近しすぎて見ていたということも含まれており、必ずしも全ての責任を製作者側におしつける訳にはいかないだろう。「テレビは明るい所で離れて見る」というのは、テレビが発達した現代社会の常識のはずである。
 新聞報道では、読売新聞が合計4個所でこの事件を扱っており、それなりに良心的ではあったが、その内容には首をかしげざるを得ないものが含まれている。例えば、読売新聞の社説は「マルチメディア技術の発達に伴って発生している危険性について、より多くの研究が必要である」としているが、果して長い歴史を持つ日本アニメーションの問題である今回の事件と、極めて90年代的現象である「マルチメディア技術の発達」との間に、何等かの関連性があったのだろうか。
 アニメーション(動画)は、文字どおり「絵」を動かしてつくる。透明なセルロイドに絵を描き、それを着色面の反対側から1コマ1コマ撮影する。「動き」を表現するために、1秒間に5枚程度の絵が使われ、ただ人物が歩く映像であっても、各コマごとに異なる絵を撮影してその「動き」を再現してゆく。このほか、爆発の閃光や点滅には「透過光」と呼ばれる表現が使用されるが、これは撮影台の下から放たれた光(着色することもできる)が発光する部分と同じ輪郭の紙を通るのを撮影し、後で先に撮影しておいた本編のフィルムに焼き付けるものである。例えば、信号の点滅・機関銃の曳光弾・魔法少女のステッキ・呪文の光線・爆発の閃光・きらめく涙のシーン等につかわれる、ごく普通の手法である。少なくとも、ここ10年以上は確実に使用されてきた技術であり、今回問題になった「ポケモン」も含めて、「マルチメディア技術の進歩」とは何等関連性が無いことなのである。おそらく、現代の諸問題と無理やりリンクさせようとしてコメントを考えていた新聞記者が、様々な定義があって何とでも使える「マルチメディア」というカタカナ語に飛びついた結果が、このナンセンスな記事だったのだろう。

■4、動画作成上の問題
 ところで、前述のようにアニメーションは1コマ1コマをまさに「手作り」で制作してゆくのだが、それは逆に、30分程度の映像でもかなりの人的コストがかかることを意味している。実際、97年夏に公開された劇場版アニメ「もののけ姫」では、膨大なセル画使用数が広告され(セル画が多いことはすなわち映像の滑らかさにつながる)、またその膨大さゆえに制作元の「スタジオジブリ」では、従来の手作業による着色にかわってコンピューターによる着色やCG技術の応用を模索した。
ところが、97年の「新世紀エヴァンゲリオン」や「もののけ姫」のヒットに代表されるアニメ人気によって、97年度後半のテレビアニメは過去最大の放送数となり、作品数が制作会社全体の能力の限界に達してしまった。前述の「セル画」に着色する作業だけでも、(全シーンが動きのあるシーンならば)映像1分あたり300枚、したがってテレビアニメ作品1放映(本編約25分)あたり7500枚のセルが単純計算で必要になってくる。だが、これを行う職業「アニメーター」は、セル画1枚あたりの着色料金が300〜500円の出来高払いであり、月収も10万円程度にしかならないため、日本国内ではなかなか有能な人材を発掘できなくなっている。そして、制作費を考えれば給料をこれ以上あげる訳にはいかないので、最近のアニメーションのほとんどは韓国、中国、台湾、インドネシアへの「海外発注」に頼らざるを得なくなってきているのである。(とはいえ、現段階では海外のアニメーターの能力はまだ高くなく、また日本アニメ独特のキャラクターデザインはどうしても国民性や文化の違いが出てきてしまうので、人物の顔アップ等重要なところは日本のアニメーターが着色し、背景や人物が小さくしか写らないところを海外のアニメーターにやらせるようになっている。)
 となれば、制作会社としては1作品の中で、同じ映像の流用、反復動作、心象風景の描写にみせた止め絵の多用等でセル画枚数を節約せざるを得ない。「もののけ姫」とは違って、「ポケモン」も含む大抵のテレビアニメは、たとえば重要人物以外の背景の「街の人A」等は止め絵とし、主人公も口だけ動かす等して、セル画を節約している。これは、よほど強力なスポンサーがついている訳でも無い限り、制作費が制限されているテレビアニメ作品にとって致し方の無いところではある。例えば、96年度後期に放映された「ハーメルンのバイオリン弾き」では、圧倒的に止め絵が多く、動画というよりも紙芝居に近い状態になってしまった。また、かの「新世紀エヴァンゲリオン」も、最終回に近づくにつれて心象風景の描写に名を借りた止め絵や映像の流用が多くなり、ときにはそれまでのセル画をめまぐるしく入れ替える等の手法がとられて、視聴者の間で論議を呼んだことがある。今回の「ポケモン」の効果にしても、左下にいるサトシ、ピカチュウらは一寸たりとも動かさずに、画面の大部分を占める透過光のスペースで、「赤」と「青」を単純に交互入れ替えするだけで爆発表現が可能であったからこそ、制作会社はこの手法を使用したのである。「最も単純で最も効果のある表現」を狙ったのが、今回の「点滅シーン」だったといえよう。

■5、読売新聞記事の奇妙な記事
 この他にも、この事件を報道した新聞記事にはおかしなものがあった。例えば、読売新聞97年12月18日づけ朝刊の、山田冨美雄・大阪府立看護大学助教授のコメントである。「最近のアニメ番組は、表現のリアルさや強さが増し、死生観などが置き去りにされている。番組設定や映像の効果など、子供への影響を考える時期だ」(全文掲載)というが、全くナンセンスで意味不明な発言と言わざるをえない。第一、今回の事件で問題となっているのは、再三指摘しているように技術的な側面であって内容的なものではないのである。「表現のリアルさ」が増すのは多いに結構であり、実際、初期のアニメと比べて現在の「アニメ絵」のデザインは、相当洗練されてきている(ただし、脚の長さとか目の大きさ等の誇張はアニメ絵の特徴である)。髪の毛や肌の濃淡をしっかり表現し、ある種の立体感とかわいらしさを表現した「アニメ絵」は、だからこそ世界的評価を受けているのである。「死生観などが置き去りにされている」等に至っては、議論の方向性が違いすぎている。もし、この表現がポケモン同志の戦闘の事を指しているのなら、山田助教授はもう一回「ポケモン」の設定を学ぶべきである(設定上、ポケモンは死なない)。更に付言すれば、たとえ「ポケットモンスター」や「ドラゴンボール」といった小学生むけの作品が氏のいうような「設定・映像効果の検討」対象であるとしても(そんなことは絶対に有り得ないが)、「バトルアスリーテス大運動会」、「スレイヤーズ」や「吸血姫美夕」といった、中学生以上を対象とするアニメーション作品には金輪際関係の無いことである。

■6、おわりに
 「ポケットモンスター」は、援助交際やルーズソックス、アムラー、シノラーといった退廃的な文化が流行している昨今の日本にあって、極めて健全なブームであっただけに、今回の事件で「ポケモン」というキャラクター自体の人気が落ちてしまうことは、大変残念である。この問題の再発防止を希望すると共に、テレビ東京にあっては是非、いたずらに世間の風評に惑わされる事無く、子供たちに夢を与えるアニメーション作品をしっかり放送してほしい。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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