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戦域ミサイル防衛
〜第1回:戦域ミサイル防衛の紹介〜

中島 健

1、はじめに
 去る8月31日、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)の行った日本列島越え弾道ミサイル実験以来、我が国では戦域ミサイル防衛TMD、Theater Missile Defense)に関する議論が再燃している。1996年10月の北朝鮮ミサイル実験疑惑(「ノドン Nodong1号」の発射実験を企図)の時は、実験自体がアメリカの圧力により中止された為、国民の間に北朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対する認識ははなはだ希薄であったが、今回の、日本列島を横断する形で実施され、しかも一部の報道によれば最先端の弾頭(北朝鮮はこれを「光明星Kongmyongsong1号」なる平和目的の人工衛星で、楕円軌道上から「金日成将軍を称える歌」と「金正日将軍を称える歌」を放送している、と主張している)はアラスカ沖の太平洋上に落下したという「テポドン Taepodong1号」の脅威は、国民をして偵察衛星の保有やTMDに対する関心を否がおうにも高めたといえよう。
 しかしながら、TMDというシステムは複雑な歴史と内容を持つものであり、「これがTMDだ!」と示すことができる単一のシステムではない。実際、TMDの中核部分の研究開発はまだ初期の段階にあって、軍事専門家や計画当事者であっても、このシステム全体の費用や軍事的効果、実用化時期といったことについて明確には答えることができないのである。そしてその不明確性故に、TMDは一般的には更に解りにくい、漠然としたものになってしまっていることは否めない。更に、我が国ではTMD計画参加の是非について、その技術的な問題点よりももっぱら政治的な信条から反対する論調が数多く見られるのであり、このような主張がTMDの信実の姿を一部歪曲していることもまた否定できないのである。
 そこで本稿では、TMD計画についてその歴史を含む全貌を概観し、TMDシステム全体の構造を明らかにするとともに、果たして我が国はこの計画に参加すべきかどうか、についても論じてゆきたい。
なお、第1回目の今回はTMD計画を概観するにとどめ、我が国がTMD計画に参加すべきか論じた部分については来月号に掲載する。

2、TMDの歴史
 TMDの直接の起源は、東西冷戦真っ只中の1980年代にアメリカのロナルド・レーガン大統領が提唱した戦略防衛構想(SDI、Strategic Defense Initiative)にまで遡ることができる。では、そもそもSDIとは何だったのだろうか。まずはこの点について明らかにしたい。
 東西冷戦時代、自由主義諸国の盟主であるアメリカと社会主義諸国の盟主であったソビエト連邦は、互いに大量の戦略核兵器を付きつけ合い、その抑止力によって核戦争を防止してきた。この核抑止力の基本的な構図は、概要次のようなものであった。まず両国が大陸間弾道ミサイル(ICBM、Inter-Continental Ballistic Missile)及び戦略爆撃機(但し、爆撃機といっても搭載しているのは自由落下爆弾ではなく、空中発射巡航ミサイルALCM Air Launched Cruise Missileである)を互いに付きつけ合い、相手が先制核攻撃を行えばこちらも同時に報復すると威嚇する。しかし、仮に不意をつかれて相手の先制第1撃を蒙り、自国の大陸間弾道ミサイル・戦略爆撃機が全滅してしまうと、こちらは報復(反撃)手段を失うことになってしまう。またそのような可能性を放置しては、相手国を先制第1撃の誘惑に導くことになる。そこで米ソ両国は、報復第2撃用潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM、Submarine Launched Ballistic Missile)を開発し、原子力弾道ミサイル潜水艦(SSBN)を北極海やオホーツク海に配備することで、仮に陸上配備の核兵器が全滅しても報復が可能なようにしていた。陸上配備の核兵器は互いに偵察衛星等の情報から位置を大体把握しており、先制第1撃で破壊される可能性は高かったが、潜水艦ならばその場所を特定できず破壊されることがないので、第2撃用の核兵器は必ず報復に使うことができるのである(しかし、潜水艦は発射台としては不安定な分、ミサイルの精度が落ちる)。互いに確実に核の反撃を受ける(その結果は国土が焦土と化し、国民の多くが死亡する事実上の滅亡である)と考えれば、こちらから先制攻撃を仕掛ける動機を抑えることができる、とするこの状態は相互確証破壊(MAD)と呼ばれ、核抑止力の基本的な考え方であった(以上の、ICBM、SSBN、戦略爆撃機は、「核の三本柱」と呼ばれた)。
 では、相手の弾道ミサイルを確実に撃墜する技術を持てば、この「恐怖の均衡」から脱出できるのではないか。そう考えたのが、「600隻艦隊」構想など対ソ対決姿勢で知られるアメリカのロナルド・レーガン大統領だった。もっとも、相互確証破壊の状態から離脱するということは、相手国にとっては重大な意味を持つ。つまり、もし仮に自国が相手国の弾道ミサイルを全て撃墜できるという自信を持てば、こちらからの先制核攻撃をためらう理由も無くなり、結果として核戦争を誘発しかねないからである。現に、東西冷戦時代に米ソ両国で弾道弾迎撃ミサイル(対弾道弾ミサイル、ABM、Anti Ballistic Missile)が開発されたことがあったが、弾道ミサイルを核弾頭によって撃墜する(当時はまだ誘導装置の性能がよくなかった)この種のミサイルが大量に配備されれば、双方とも先制第1撃をためらう理由が薄れて核の抑止力が機能しなくなる危険が生じてしまうことが懸念された。結局、その様な事態を恐れた両国はABM制限条約を締結して、互いに配備場所・基数の制限(1箇所・100基)と開発の制限を約束しあったので、そのような危機は回避された。
 SDIは、基本的にはこのABMと同じ考え方を基礎としている。1983年3月、レーガン大統領ははじめて、SDIの端緒となる「戦略防衛」についての演説を行い、弾道ミサイル防衛システムの構築によるソ連ミサイルの無力化と、相互確証破壊からの離脱を表明した。大統領は、この演説ではその具体的な手段については多くを語らなかったが、この演説をもとに国防総省が計画を具体化、体系化して、SDIとして登場させたのであった。
 SDIは、宇宙に配備する宇宙兵器を主体とするが、これは、大陸間弾道ミサイルのような超長射程のミサイルは、初期段階で破壊するのが最も効率的だからである。高速で飛行する弾道ミサイルを撃墜するには、通常「ブースト段階」と呼ばれる上昇段階、もしくは大気圏外に離脱してきたところを撃墜するのが望ましい(次章表1参照)。ブースト段階ではまだ速度も遅く、しかもロケットエンジンが噴射する赤外線を探知しやすいからである。逆に、再突入時には、オトリを含む複数の弾頭(最新型の核ミサイルは8〜10個の別々の弾頭を装備している)が分離し目標数が大幅に増加してしまい、迎撃には不利なのである。宇宙兵器の具体例としては、電磁力で鉄の弾丸を発射する電磁レールガン(Electromagnetic Rail Gun)、高エネルギー粒子を照射するレーザー(指向性エネルギー)発射機とその戦闘用レーザー反射衛星(Mission Mirror)、X線レーザー衛星(X-ray Laser)、化学(酸素・ヨウ素)レーザー(Chemical Laser)、宇宙配備の迎撃ミサイルなどが計画され、一部の実験衛星は実際に打ち上げられた。また、レールガンやビーム兵器は、地上でのテストが繰り返された。
 このように、国防総省の発表した多くのSDI兵器が未だ実用化されていない空想的な宇宙兵器であったため、報道機関はこれを「スターウォーズ計画」等と揶揄したが、もう一方の当事者であるソ連は慌てた。ABM条約の時は、米ソ両大国がそれぞれこれを製造配備する技術を持ち、故に相互にこれを抑制することで、一方が勝手に相互確証破壊の構造から離脱し、先制核攻撃の優位に立つことが上手く阻止することが出来た。しかし、SDIのような、宇宙に高度精密な武器を配備し弾道ミサイルを撃墜するシステムを構築する技術を持ち合わせていなかったソ連は、アメリカと対等の立場でこの種の武器を規制できなかったのであった。換言すればソ連は、アメリカのSDIの配備によって、アメリカからの先制第一撃を一方的に受ける立場に成り下がる危機に瀕したわけである。それ故、ソ連はアメリカのSDI計画をことあるごとに批判し、核軍縮の前提条件としてSDIの中止を求めたり、SDIの開発実験そのものを「ABM条約違反」としてたびたび非難した。結局、ソ連はSDIに対抗して核ミサイルの弾頭数そのものの増加によるSDIの無力化を企図し、核兵器以外の分野を含めて大規模な軍拡を実施しアメリカに対抗しようとしたのだが、これがソ連経済の一層の悪化と、ソ連そのものの崩壊の促進につながったのであった。
 東西冷戦の終結を受けて、アメリカはソ連との全面核戦争の脅威から解放された。しかし、アメリカはあらゆる脅威から完全に解放された訳ではなかった。1991年、アメリカは「唯一の超大国」として、自身が多国籍軍を主導してイラクと戦う湾岸戦争を経験したが、この戦争ではイラクが戦域弾道ミサイル「アル・フセイン」を戦略兵器としてサウジアラビアおよびイスラエルに対し使用、アメリカは改めて第3世界に拡散した弾道ミサイルの脅威に直面することになった。しかも、弾道ミサイル撃墜の切り札として、サウジアラビアやイスラエルに展開させたMIM-104パトリオット(PATRIOT、Phased-Array Tracking to Intercept of Target目標迎撃用フェーズドアレイ追跡)地対空ミサイル(SAM、Surface-to-Air Missile)は、実は弾道ミサイルの弾頭を完全に破壊することができず、迎撃は全くの失敗に終わってしまったのであった。
 そこでレーガン大統領を継いだ共和党のジョージ・ブッシュ大統領は、冷戦終結後の弾道ミサイル対策として、SDI計画を縮小した「限定的攻撃に対する全地球的防衛GPALS、Global Protection Against Limited Strikes)」の構想を発表した。もっとも、GPALSは単なるSDIの縮小版ではない。まず、SDI時代に計画されていた、レールガンだとかレーザー兵器といった非現実的な宇宙兵器はほとんど廃止され(GPALSでは、上昇してくる弾道ミサイルに体当たりして破壊する「輝く宝石」Brilliant Pebblesのみが残された)、大部分が地上配備の兵器とされた。これは、計画全体の現実性、費用対効果を高めるものであり、「平和の配当」と呼ばれた冷戦後の軍縮に対応したものでもあった。次に、GPALSでは防衛の対象がアメリカ本国と同盟国だけでなく、旧ソ連を含む全世界に拡大され、旧ソ連にも共同開発が呼びかけられた。これはGPALSが、以前のような米ソ全面核戦争ではなく、第3世界の狂信的政治指導者のミサイル発射や事故による偶発的緊急事態を想定しているためであり、またそれに伴って対処すべきミサイル数は数千発から100〜200発程度に引き下げている。なお、このGPALSの地上兵器群の中に、パトリオット地対空ミサイルPAC3(Patriot Advanced Capability level3)、拡大射程迎撃機ERINT、Expanded Range Interceptor)、戦域高高度広域防空THAAD、Theatre High Altitude Area Defense)ミサイルや海上配備のスタンダードミサイル・ブロック4A等、後のTMD計画に繋がるような兵器が登場した。
 1993年、民主党出身のビル・クリントン大統領は、それまでのGPALSを発展的に解消させる弾道ミサイル防衛BMD、Ballistic Missile Defense)構想を発表し、またアスピン国防長官は、「スター・ウォーズの時代は終焉した」と宣言した(これは、「スター・ウォーズ」という名前を嫌った国防省当局が、正式な発表で「スターウォーズ」という言葉を使った最初で最後のことであった)。   
 BMD構想は、海外に展開するアメリカ軍と同盟国を守る戦域ミサイル防衛(TMD、Theatre Missile Defense)と、アメリカ本土を限定的な弾道ミサイルから防衛する国家ミサイル防衛(NMD、National Missile Defense)の2つから構成され、国防総省のSDI局を改編したBMD局(但し格下げされた)が担当している。そして、この内のTMD構想に、中国や北朝鮮の弾道ミサイルの脅威下にある我が国の参加が呼びかけられているわけである。現在では、技術的な問題(NMDの方が、より高度な技術を必要とする)や脅威の度合いからTMDがNMDに優先されており、NMDは配備を前提とした研究の段階にある(一説によれば、NMDは中国がアメリカ本土に到達する弾道ミサイルを開発するまで、後回しにされるという)。予算も、1998年度ではTMD関連がBMD局全体(36億6024万ドル)の63%を占めるのに対して、NMDは23%、将来の先進技術開発が14%になっている。なお、TMDでは偵察、通信、情報収集用途以外の全兵器が地上配備となり、「輝く小石」は廃止されている。


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