このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

笑いカワセミ、汝の名はクカバラ
〜オーストラリアの楽しい森の住人〜

中島 健

1、はじめに
 「笑いカワセミ」という鳥をご存知だろうか。オーストラリア独特のこのカワセミは、同国のマスコット的存在であり、オーストラリア人なら誰でも知っている「楽しい森の住人」である。しかし、翻って我が国では、オーストラリアの代表的な動物といえばまずカンガルー(Kangaroo)やコアラ(Koala)といった有袋類系の動物が思い出され、ちょっとかわったところではカンガルーの小型版であるワラビー(Wallaby)や、「卵を生む哺乳類(単孔類)」のカモノハシ(Platypus)が有名になってはいるが、この、19世紀から21世紀初頭にかけてオーストラリアのシンボル的存在であった鳥は、全くといっていい程知られてはいない。それでは、オーストラリアの大自然が生んだこの「楽しい森の住人」を、皆様にご紹介することとしよう。

2、クカバラとは何か
 笑いカワセミ。英語ではクカバラ(Kookaburra)と呼ばれているこの鳥は、世界最大のカワセミの仲間であり、オーストラリア原産の独特の鳥である。体長はカラスほどもあるが、外見は茶色の翼と白い体、そして灰色と黄色のくちばしを持った、カワセミ然としたものである。顔が相対的に大きく、くちばしは太く力強く、体はポッチャリしていて太っている(まれに痩せているクカバラも見かけるが、太っているほうがかわいい)。尾翼はこげ茶色と茶色の縞模様で、目のまわりも翼と同様茶色になっている。全体的にかわいらしい外観を持っているが、性格は結構獰猛で、動物園でオリの中のクカバラに木の枝を目の前に差し出すと、「ハムッ、ハムッ」という感じて食らいついてくる。
 しかし、何といってもその特徴は鳴き声である。「ク、ク、クカカカ、クカカカカ・・」と鳴くその声は、まるで人間が大声で笑っているかのうようであり、その大声は遠く離れた場所にも届くくらいの大声である。毎朝、ガムツリー(ユーカリの木)に2〜3羽が並んで「座り」、くちばしを大きく明け、喉を反らして出すその笑い声は、乾いたブッシュ(森)に住むアボリジニー(オーストラリア原住民)達は勿論、流刑植民地だったオーストラリアに流されてきた白人入植者達にも、殺伐とした気持ちを和ませ、新鮮な一日の始まりを迎えることができるものとして知られていた。それ故、クカバラはオーストラリアでもパロット(インコ)と並んで最もよく知られた鳥であり、また彼の国では様々なところで記章や商標になったクカバラにお目にかかることができるのである。
 クカバラには「ラフィング・クカバラ(Laughing Kookaburra)」と「ブルー・ウィングド・クカバラ(Blue Winged Kookaburra)」の2種類がおり、この内本当の意味で「笑う」のは前者の方である。しかし、日本では「クカバラ」それ自体を「笑いカワセミ」と訳してしまったため、笑わない方(正確には、ラフィング・クカバラのようには笑わない方)のブルー・ウィングド・クカバラの日本名までもが「アオバネワライカワセミ」になってしまった。ラフィング・クカバラ(以下、断らない限り「クカバラ」と書いたときはこの「ラフィング・クカバラ」を指す)はオーストラリア東部(タスマニア島を含む)のユーカリの森に、またブルー・ウィングド・クカバラは同じくオーストラリア北東部の森に、それぞれ分布している(両者とも、砂漠地帯にはいない)。
 クカバラはカワセミの仲間であるが、漁をすることはほとんど無く、もっぱらヘビやカエル、時には小鳥を食べている。そしてその狩猟法はカワセミと同じく、アクロバティックなものである。普段は木の上に止まり、何やらジッと下を見つめているが、一旦眼下の地表に動く獲物を見つけると、ねらいを定めて一気に急降下し(というより梢から飛び降り)、獲物が気づく前にくちばしに挟んで飛び上がり、木の上に戻る。そのあと、獲物をくちばしで挟んだまま石や木に首をひねるようにして叩きつけて、獲物を仕留めるのである。このようにして危険なヘビを退治してくれるクカバラは白人開拓者達に親しまれ、後述するように「スネーク・キャッチャー(Snake Catcher)」乃至「スネーク・デストロイヤー(Snake Destroyer)」とも呼ばれるようになった。
 クカバラは木の中に巣を作り、1回につき3〜4個の卵を生むが、卵や子供のクカバラはヘビ等の天敵に逆に食べられてしまうこともある。

3、アボリジニーにとってのクカバラ
 クカバラは、今日のオーストラリア国家を形成している白人・アジア人系入植者達がそれを知る以前に、大陸に古くから住みついていたアボリジニー達に「神聖な鳥」として知られていた。彼等の信仰によれば、はじめ、この世は光の全くない暗黒の世界であったが、パンジェル(Punjel)と呼ばれる神が、この世界に光をもたらすために、膨大な量の焚き木を集めた。それに「偉大なる聖霊」が火をともして太陽を創造したことで、世界には光がともるようになった。ところでパンジェルは、毎日定期的に太陽を昇らせるために、信頼できる下僕を探していたが、たまたまその朝早起きしていたのがクカバラだけで(笑)、結局クカバラが朝を知らせて太陽を登らせる神聖な役割を負ったのである。クカバラは、いわばニワトリの役割を担っていたのである。但し、クカバラはこのようにアボリジニー達の間では知られた存在であったが、その名前については、広大な大陸にちらばるアボリジニーの部族毎に千差万別であった。以下に、その代表的な例を挙げておこう。

※笑いカワセミのアボリジニー名(出典:A.H.Chisholm,Bird Wonders of Australia, 1934年)
KookaburraKowburraKangroburraKakaburriAkkaburraKakaburraArkooburraKouburraKocaburraKakooburraKarkoburraKarconburKookooburryKokoparraGoogooburraCowurburraKowkargarGugagaGingargaKamminmalliToonesDoowalKaggooGreggoomKarkun goonKoakaGragonKakorimGookergakaKoorKooreeKulkyneKonga KoorungalKnongkrongKooar tangTarakookKronKoonetKorung-korungKangooWokookBurndiganWook-wookCoarg

 よく見ると、中には現在の英語名のもととなった「Kookaburra」に近いものもあるが、逆に「クカバラ」とはあまり関連がなさそうな名前もチラホラ見受けられて興味深い(Koakaなど、KookaburraよりもむしろKoalaに近いし、KangooKangarooに近い)。

4、クカバラの正式名称の行方
 一方、白人入植者達の間における生物学上の正式名称は、1846年から1975年まで「Dacelo gigas」であった(正式な記録であるChecklist of the Birds of Australiaに掲載)。自然学者グレイ(G.R.Gray)が名づけたこの名前は、ギリシャ語で「オオカワセミ」(DaceloHalcyon、つまりカワセミの古い言い方、gigasは「大きい」の意)であった。ところが、1975年以後、クカバラの正式名称は「オオカワセミ」から「Dacelo novaeguineae」、つまり「ニューギニアのカワセミ」になってしまった。ニューギニア島には、クカバラは存在しないにもかかわらず、である。
 もっとも、この誤った命名にはそれなりの理由がある。ヨーロッパ人としてはじめてクカバラを発見したのはサー・ジョセフ・バンクス(Sir Joseph Banks)で、彼はジェームス・クック(James Cook)の最初の探検(1769年〜1771年)の際、オーストラリア東海岸でクカバラを2羽射殺し、持ち帰ったとされている。だが、この時彼はその笑い声を聞くことなく射殺してしまったため、自分が持ち帰った鳥が「クカカカ…」と面白い声で鳴くことは知らなかった。従って、クカバラをはじめて正確に紹介したのはフランス人探検家ピエール・ソネラ(Pierre Sonnerat)で、1776年に発行されたその著書『Voyage a la Nouvelle Guinee』(『ニューギニア旅行記』、フランス語のアクソンは省略)の中で、クカバラについて詳しく紹介している。しかし彼は、クカバラを見たのは「ニューギニアであった」と書いており、故にそれを見た自然科学者がクカバラの正式名称を「ニューギニアのカワセミ」に変更してしまったのである。しかし彼は、クカバラのあの特徴ある笑い声については、バンクスと同じく何ら言及しておらず、それ故この著作に対しては疑義が提起されている。そのため「ニューギニア発見説」を批判する学者の中には「彼がニューギニアで手にしたクカバラは剥製であって、本物ではなかった」と解釈する者もおり、さらに穿った見方をする学者は、「ソネラはクカバラの見本をバンクスから貰い受けたに過ぎず、それを『ニューギニアで見つけた』と言っているだけではないか」とも主張している。
 結局、この誤った名前は「先に発見した記録が『ニューギニアだ』と言っている」という理由だけで現在に至っているわけだが、これに対しては「先に見出された名前を妥当性を無視して正式名称とするなら、それはオーストラリア大陸を新オランダ大陸と名づけるようなものだ」という批判まで浴びせられている。オーストラリアでは、同国のマスコットであった鳥に「ニューギニア」と入るのを嫌ってか、今日でもなお従前の「オオカワセミ」を正式名称として使っている文献が数多く見うけられるのである。

5、クカバラの通称
 では、植民者達の間で通用していた通称はどうだったのか。1788年1月にシドニーのジャクソン港に到着したフィリップ総督以下の遠征艦隊は、上陸後この広大な大陸の殖民に着手したのだったが、当初は食料不足に悩まされ、殖民者達は予想外の厳しい生活環境の中に置かれていた。そんな状況の中で、ある貧しい植民者の一人は「野鳥も我々のみすぼらしさを笑っている」と書き残したそうだが、多分これがはじめて一般市民が耳にしたクカバラの笑い声だったのであろう。1789年に書かれたフィリップ総督の殖民記録『The Voyage of Governor Phillip to Botany Bay』では、クカバラは「オオチャイロカワセミ(Great Brown Kingfisher)」と記述されており、またその中で原住民の名称として「クカバラ(Kookaburra)」をはじめて紹介している。見た目からすれば、この命名は的を得ているといえよう。その他、当時イギリス第1艦隊軍医長だったジョン・ホワイト(John White)の日記にもこのGreat Brown Kingfisherが登場することから、これが初期の通称であったと思われる。しかし、その後原住民の名称が優先されて、「オオチャイロカワセミ」は一般的に「クカバラ」と呼ばれるようになったようである。
 ところで、笑いカワセミには以上の様な由来を持つ「クカバラ」の他に、「ラッフィング・ジャッカス(Laughing Jackass)」と「スネーク・キャッチャー(Snake Catcher)」という2種類の別名を持つ。後者は、前述したようにクカバラの生態を指して命名されたものと思われるが、前者についてはその由来は詳らかではない。一説によれば、Jackass(英語では雄馬、まぬけの意味もある)はフランス語の「Jacasse」から来ているとされるが、「Jacasse」は本来カササギ(マグパイMagpie)を指す単語であるため、有力説とはなっていない。また別の説によれば、ゴールドラッシュ期に大陸にやってきた鉱山労働者達が、クカバラをその笑い声から「チャカ・チャカ(Chaka-Chaka)」と名づけ、これが転じて「Jackass」になったという。しかし、オーストラリアでゴールドラッシュがおこった時期と、クカバラがはじめて発見された時期とが明らかにズレており、これもまた決定的な説ではない。しかし、いずれにせよ、「Laughing Jackass」は「Kookaburra」に次いでポピュラーな名前であり、このためクカバラはしばしば「ジャック(Jack)」と短縮されて親しまれているのである。

6、クカバラ人気の歴史
 クカバラは、今日でこそオーストラリア国民なら誰もが知っている存在であるが、白人が入植した当初は、当然のことながらその名前はほとんど知られていなかった。また、敢えてそれが紹介されることも(他の有名な有袋類と比較すれば)少なかった。その理由は、クカバラの外見が平凡なカワセミだったからであり、「大きめのカワセミ」ということの他に、白人入植者達をひきつける特徴がなかったからであろう(前述したとおり、初期の植民者達はこれを「Great Brown Kingfisher」と名づけた)。白人入植者達の注意は、少なくとも同じたぐいのものを見たことのあるカワセミより、今までの旧大陸における動物の常識を覆すような、カンガルー、エミュー、コアラや黒鳥といった見慣れぬ動物達に向けられていたのである。
 しかし、幸いなことに、やがて森の中で奇妙な笑い声を出すのがあの笑いカワセミであるとわかると、人々はそれを「ブッシュの親みの象徴」として受け止めるようになった。ことに、今世紀初頭にネヴィル・カイレイ(Neville Cayley)らオーストラリアの水彩画家達が、このチャーミングなカワセミを描き始めて以来、クカバラはオーストラリア国民に広く認知されるようになった。その結果、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての、オーストラリアのナショナリズムが大いに高揚した時期には、クカバラはオーストラリア軍ばかりか国家の象徴的な存在にまでなって、挨拶状や商標としても大いに使われ広まった。戦間期には芸術家(画家や陶芸家)達の間ばかりでなく児童文学にも登場するようになり、1930年代に入ると商品のデザインやみやげ物、芸術品にまで使われるようになって、クカバラ人気は絶頂期を迎えた。以下に、現在でも歌われているクカバラを歌ったオーストラリアの民謡を紹介しよう。

「クカバラのうた」(オーストラリア民謡、日本語歌詞は中島の意訳)


Kookaburra sits in the old gum tree,
Merry, merry, king of the bush is he,
Laugh kookaburra, laugh kookaburra,
Gay your life must be
.

クッカバラ 座ってる大きな木
楽しいブッシュの王様だ〜い
やあ!笑ってるよ やあ!笑ってるよ
楽しくなっちゃうね

 第二次世界大戦中は王立豪州空軍の第1爆撃航空隊と第453航空隊のマスコットとして採用されていたクカバラであったが、戦後その人気はコアラやカンガルーに押されてかつての勢いを失ってしまい、以後1980年代に至るまでクカバラ人気は低調に推移することになる。公式的な記章やマスコットに用いられることも少なくなってきた。時代が前後するが1908年にオーストラリア連邦の正式な国章が制定された際、中央の盾を支える動物はカンガルーとエミューであったし、現在でもクカバラを記章の「盾持ち」に使っている自治体はビクトリア州コルンバラ(Korumburra)やニュー・サウス・ウェールズ州ボウラル(Bowral)などごく限られた数でしかない。口の悪いクカバラ評論家はそれを「コアラが、クカバラから王冠を奪い取ってしまった」と表現するが、しかし1980年代からオーストラリア人達は、再び「森の住人たち」の中でも最も心和む笑い声に耳を傾けるようになってきている。
 1987年、西オーストラリア州フリーマントル(Fremantle)市(パース市の西にある港湾都市で、日本の南極観測艦「しらせ」やアメリカの空母もよく寄港する)において開催された「アメリカズ・カップ(ヨット・レース)」で、タイトル防衛を賭けて戦ったオーストラリアのヨットチーム「タスク・フォース87(Taskforce87)」は、カンガルーやコアラを差し置いてクカバラをチームのマスコットに選び、「キャプテン・クッカ(Captain Kooka)」と名づけた。結果、このレースにオーストラリアのチームは見事優勝し、このときからクカバラは再びオーストラリアのシンボル的動物の一員に復帰したのであった。その勝利にあやかってか、シドニー湾で開催された1989年のアメリカズ・カップでは、オーストラリア代表チームは「クカバラ1号」「クカバラ2号」と名づけたヨットを出場させたりもした(但し、レース自体は見物の船で湾内の渋滞がひどくなったため中止された)。更に、1988年のヨーロッパ人入植200年記念では、オーストラリア人の高まる国民意識(ナショナリズム)に支えられてクカバラ人気も上昇し、アイスクリームからワインまで、実に様々な種類の商品のイメージキャラクターとして、登場するようになったのである。
 西暦2000年のシドニー・オリンピックでは、大会のマスコット・キャラクターとして、コアラやカンガルーをさしおいて、単孔類のカモノハシ(Platypus)とハリネズミ(Echidna)と伴に、「king of the bush」クカバラが選ばれ、「オリー(Olly)」と名付けられている。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


目次に戻る   記事内容別分類へ

製作著作:健章会・中島 健 無断転載禁止
 
©KENSHOKAI/Takeshi Nakajima 1998 All Rights Reserved.

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください