このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

戦争への視点
〜「戦場の実態の想起」は危険なこともある〜

中島 健

 1998年8月のテポドン事件、99年3月の日本海不審船事件をきっかけに、今、我が国においては、国民の安全保障に対する認識が(不十分とはいえ)かつてない水準にまで高まっている。集団的自衛権の領域に限りなく近くまで踏み込んだ所謂ガイドライン法案について、連立与党はおろか主要な野党の民主党までもが「絶対反対」ではないということ自体、海部俊樹内閣時代の「国連平和協力法案」の審議状況を知る者にとってはまさに隔世の感がある。正に、東西冷戦終結と共産主義イデオロギーの呪縛からの解放が進んだ結果であろう。とはいえ、戦後半世紀に渡って我が国のあり方を規定してきた「絶対平和主義」という考え方の爪あとはまだ至るところに存在しており、そうした主張に固執する評論家や言論人が、未だに観念的な言葉遊びで例えば「ガイドライン法案」に根強く反対していることは事実である。そして、そうした極端な戦争観に根ざした戦争観が、結局のところ戦争の危険性を高めていることに気付かないでいるのである。
 例えば、元共同通信記者で作家の辺見 庸氏は、インタビュー「われわれはどんな曲がり角を曲がろうとしているのか」(『世界』99年6月号、岩波書店)で、まず、最近の世論調査でガイドライン関連法案に賛成した国民が66%(共同通信、1999年3月電話世論調査)であったことをとり上げ、不景気や不審船騒ぎでの情緒的な報道がこうした情緒的賛成論者を増やしたと評価する。そして、「正義」の旗の下に行われる空爆に晒される状態(戦場)の実態を想起すべきであり、我々はガイドライン法案の賛否について、「『北東アジアを戦場とすることに、そもそもわれわれは耐えられるのか』という問題提起」を出発点とすべきであると主張する。更に氏は、最近の我が国の政治状況を「鵺のような全体主義」であるとし、マスコミもその一端を担っていることを批判している。世論調査が自説と合致するときは「国民の賢慮」としてこれを持ち上げ、都合が悪くなると「民衆ってときに哀しいと思います」と大衆民主主義の問題点を論うのも問題であろうが、氏の主張で最も問題なのは、戦争を個人の戦場における体験のみで語ろうとしているところにある。
 なるほど、確かに戦争は悲惨である。組織的な闘争の中で個人はほとんど無力であり、戦場で人が死なないことなどあり得ない。故に、私は、
「戦争は悲惨であり、基本的には避けるべきものであると考え」ていることは、 本誌98年7月号 で既に述べた通りである。「いかに高尚な理想を掲げ、いかに世界に評価されようとも」、事実としては「実際に戦争を戦う将兵にとってみれば、戦争とは軍隊という組織の任務に過ぎず、自分が死ぬかもしれいないという意味で大層危険な行為」なのであり、故に「戦争を兵士の視点から捉え、あるいは戦火に巻き込まれる一般市民の視座で観察することは、大変重要である」。その点、つまり「戦場のリアリティーを想起すべきである」という1点においては、私と辺見氏は一致するといえよう。
 問題は、その先である。上記の前提から、氏は『北東アジアを戦場とすることに、そもそもわれわれは耐えられるのか』という問題提起こそ、ガイドライン法案審議の出発点とすべきであると主張する。そしてそのことの結論は、(氏は断言しているわけではないが)事実上「ガイドライン関連法案」反対、戦争反対という方向性に導かれる。
 だが、ここで注意すべきは、その前提から出発した、一見正しく見えるこの結果部分である。もし我々が、氏の主張するように「戦場の実態を想起」して矛先を納め、在日米軍を撤退された結果、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)という、それこそ「(辺見氏の言葉を借りれば)鵺のような全体主義」を遥かに上回る「まごうとなき軍事全体主義」国家が進出し、民主政体を採用する我が国(如何に辺見氏が現体制を批判されているとはいえ、まさか民主政体であるという事実そのものは否定できまい。少なくとも、氏としてもベストでなくともベターではあろう)を破壊するが如き行為、つまりは彼らが「北東アジアを戦場とすること」を望んだ場合、氏の努力は結果として何の解決にもならなかかったことになるのは明かである。換言すれば、辺見氏の如き戦争観は、北朝鮮の如き信用ならない国家(彼の国の外交声明文を読めば、その不誠実さは明らかである)の瀬戸際政策を一層容易にし、北東アジアが戦場となる危険性を一層高めることに奉仕しているのである。
 そもそも、「戦場の実態」を第一とする戦争観が生む弊害について、我々は既に約半世紀もの間苦い体験をしつづけていた。莫大な軍備を注ぎ込んで「戦った」東西冷戦である。
 第2次世界大戦中の協調から一転して対立するようになった米ソ両超大国は、互いに自国の体制と同盟国を守るためにやがて競って核兵器開発に乗りだし、程なく大陸間弾道弾(ICBM)、潜水艦発射弾道弾(SLBM)、戦略爆撃機の「核の三本柱」を完成させた。そして、遂には互いに互いを地球上から抹殺できるだけの量の核兵器で武装し、相互確証破壊(MAD)による核抑止の状態に陥ったのであったが、同時にこれは、(敗戦間際の状態をのぞいて)近代戦争史上はじめて戦争指導者も又「戦場の実態」の中に組み込まれたことを意味した。つまり、米ソの両指導者は、全国民を抹殺できるだけの兵器の脅威の下に立ち、自己を含む生命の危険を直接に感じるような立場に、近代戦争史上はじめて否応無く立たされたのである。これは、正に辺見氏の説く「戦場の実態」を直接的に想起させた状態であり、またその帰結として、「自国をを戦場とすること」を嫌った米ソ両首脳は、全面核戦争をはじめようとはしなかったのであったが(逆に、米本土が安泰の中一方的に行った我が国との全面核戦争=広島・長崎核攻撃では、トルーマン大統領はそれほど躊躇しなかった)、同時にこれは、世界に大きな矛盾を生じさせてしまった。つまり、全面核戦争による滅亡を恐れるあまり、地球上の少なくない地域に、「共産主義」「プロレタリア独裁」なる非民主的な制度の存在を許してしまったのである(如何に欧米の大衆民主主義あるいは民主制に問題があるとはいえ、まさか、辺見氏といえども個性の尊重や報道の自由の無いような政治制度を支持はしまい)。そして、西側民主主義諸国が彼らに勝利したその方法は、正に西側の政治指導者達を「戦場の実態」から出来るだけ遠ざけ、かつ相手国の指導者を「戦場の状態」に暴露されたままにしておくこと、即ちSDI(戦略防衛構想)の宇宙兵器によって東側の核兵器による破壊から逃れられるようにする(逃れられるように見せかける)ことだったのである。
 東西冷戦の歴史は、我々に「戦場の実態を過度に想起すれば、却って平和が脅かされる」ということを教えてくれた。今、冷戦時代の対立構造が残る北東アジアにおいて我々がなすべきことは、「北東アジアを戦場とすることに、そもそもわれわれは耐えられるのか」等といった冷戦版「いつか来た道」的視点にではなく、むしろ「北東アジアで冷戦状態の過ちを犯すことに、そもそもわれわれは耐えられるのか」、換言すれば「中国(中華人民共和国)や北朝鮮の脅威から如何に逃れるのか」という視点に立脚して外交を考えることなのではないだろうか。

 中島 健(なかじま・たけし) 大学生


目次に戻る   記事内容別分類へ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください