このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

21世紀日本行政のミクロ的改革
〜独立機関の導入を手掛かりに〜

 中島 健

1、はじめに
 東西冷戦が終結し、内政的には自民党一党優位時代や持続的な経済成長の神話が崩壊したのは、実に1990年代を境にしてのことであったが、今日、我が国政府の運営の在り方、つまり行政についての改革もまた盛んに論じられている。90年代の各政権は、いずれも政治改革や行政改革を提唱。相次いだ高級官僚の不祥事に対する反発も追い風にして、1996年11月には橋本龍太郎政権の下で首相直属の「行政改革会議」が設置され、99年にはそれらの成果である中央省庁改革の各法案が国会に提出された。
 ところで、こうした一連の「枠組み」を改革する動きに対しては、それが行政の内実を変革するものではなく、「組織いじり」に終始しているといった批判が、マスコミを中心として常に聞かれる。行政府の権限やシステムが改革されない限り、真の意味での「行政改革」は達成されない、とするのがこれらの批判の中核である。なるほど、確かに単に省庁の組み合わせを変更しただけの行政改革では、真の改革とはいえないだろう。しかし、行政事務の複雑化・専門化や代議制民主主義と現実との矛盾の拡大に伴って行政国家化現象が見られるのはどこの先進諸国においても同じであり、これは現代国家にとって不可避の状況であって、歴史を逆転させることは出来ない。単に表層的な官僚バッシングや「はじめに縮小ありき」の議論では、現代の行政国家的状況には到底対応できないのである。であるならば、国家統治システムの構造原理、すなわち憲法及び行政法の観点から、これに対応すべきであろう。
 そこで本小論は、近年の我が国行政が抱えている問題、及び憲法学における「独立機関」(独立行政委員会等)の新たな定義づけを概観しつつ、21世紀我が国行政に向けた改革の在り方について考察する。

2、権力分立制概念の問題点と独立機関の意義

2-1 従来の権力分立概念とその問題点
 現代の我が国行政の問題を大局的に(国家統治システムの視点から)考える上でまず着目されるのが、立法・司法・行政の三権の関係、つまり権力分立制の再考である。元来、権力分立制separation of powers)や均衡・抑制check and balancesの法理は、憲法の保障の一形態(間接的かつ予防的な保障)として考えられてきた(※注1)。前者は、特定人に権力が集中しないようそれを分割するということであり、国家の統治作用の種別に応じて権力を分離することに焦点をあてた実体概念であり、後者は、権力の実体的な配分よりもむしろ権力相互の均衡と牽制に焦点をあてた関係性概念である。この点、 日本国憲法 は、厳格な三権分立制度を採用したアメリカ合衆国憲法に習うかたちで権力分立制の原理に立脚しており、立法権については「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」( 第41条 )、行政権については「行政権は、内閣に属する。」( 第65条 )、そして司法権については「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」( 第76条1項 )と明記している(※注2)
 ところで、このように、三権を実体概念として分類し、専制を防止することによって憲政を保障するという考え方は、前述したように、現代の行政国家化した国政における憲法保障のあり方としては不十分である、とする議論がある。それは、上記権力分立制の前提となる立法権・司法権・行政権の区分についても問題視される。つまり、一般的に、行政権は国家作用の内、立法(国民生活の将来にむけて一般的な法規範を定立する作用)と司法(具体的な法律嬢の争訟について、法的三弾論法によって法的解決をはかる作用)を除いた部分であると定義されており(「行政控除説」)、これは実体的(多種多様な内容を含む「行政権」を積極的に定義することは難しい)にも歴史的(君主の統治権から立法権と司法権が分離された、という歴史的過程)にも妥当性を有するのであるが、しかしこの定義では、凡そ国家にとって新しい任務のほとんどは「行政作用」に類別されることになる(※注3)。結果、形式的に三種類に分離され専制が回避されたとはいっても、実際には「その他」にあたる行政府が肥大化し、結局三権分立のバランスを損ねて憲法保障としては不十分となる恐れがあるわけである。

2-2 独立機関の位置づけを通じたその解決
 この点から、従来の三権分立の実体概念的把握にかわってこれを関係性概念均衡・抑制の法理)として把握し、特に肥大化した行政権を立法権の均衡・抑制関係の下に置くべきだと主張するのが、白鴎大学の駒村圭吾助教授である。駒村助教授は、アメリカ合衆国における独立機関(独立行政委員会等)に関する判例・学説の変遷やそのあり方の検討、さらには 日本国憲法第73条第1項 の「法律を誠実に執行」するという誠実執行条項から、我が国における関係性概念としての抑制・均衡の法理の復権を主張しているが、その骨子は概ね以下の通りである。
 即ち、著者はまず、アメリカ合衆国における独立機関問題の動きについて、これを判例の観点から分析する。それによると、アメリカ連邦最高裁の判例は、主に大統領の公務員解任権の観点から出された一連の判決(著者は、1935年の「Mayer v. U.S.」事件判決から1958年の「Wiener v. U.S.」事件判決までの3事例を扱っている)では、権力分立制の形式的な意義と実質的な意義双方を含み不安定であったのが、1983年の「Immigration and Naturalization Service v. Chadha」事件判決を契機として次第に実質的意義重視へと傾斜し(それまでの「独立機関は行政権であるから執行権から分離される」とする形式的意義は、独立機関の規則制定を準立法ではないとする上記判例によって否定された)、1986年の「Bowsher v. Synar」事件判決を経て、1988年の独立検察官制度に関する「Morrison v. Olson」事件判決で、従来の「準立法権・執行権峻別論」を廃棄し、かわって「純然たる執行的公務員」ではないこと、管轄権の限定、在職の一時性、政策形成権限の不保持等を基準とする実質的基準を示した(※注4)。これらの判例から、著者は、独立機関に対する大統領の解任権が制約される根拠として、形式的根拠(準司法権および準立法権を担当する)及び実質的根拠たる中立性(立法府の制定した法律のみを忠実に実行する)、専門性(洗練された専門的判断能力が陶冶されるためには、地位が保障されていなけれはならない)並びに司法的性格(裁判類似性。証拠法則に基づき法的判断を行う公務員は、大統領、議会ともに解任権を行使できない)という特徴を指摘する(※注5)
 次に著者は、独立機関に関する諸学説の検討を行い、厳格な権力分立制(形式的アプローチ)と執行部一元論を採用して一切の独立機関を否定する「独立機関否定説Executive Agencies論」(以下、「EA論」と表記)と、柔軟な権力分立制(機能的アプローチ、執行二元論)を採用してある種の独立機関を認める2学説、即ち「Arm of Congress」(独立機関は中立的で立法機関の一部であり、法律を忠実に執行しなければならないが故に独立性が認められる、とする。以下「AC論」と表記。)及び「Fourth Branch」(立法部・執行部双方の統制権・管轄権の競合状態=中立性により独立性が認められる、とする。以下、「FB論」と表記)を比較検討する。そして、著者自身は、①行政国家化現象の中で執行部門が肥大化していること、②三権を完全に区別することは理論的・現実的にも不可能であることの2点からEA論を批判し、更に大統領が独自の民主的基盤を有するアメリカにおいては、FB論のほうが妥当するであろうと述べている(※注6)
 更に著者は、以上の米憲法上の論争について、自身の立場が機能的アプローチ(柔軟な権力分立観)にあり、形式主義と機能主義は対立ではなく相補関係にある(三権の最高機関の分立=権力分立は民主制の根本的な構造であるからこれを修正するには改憲を要するが、それ以下の法改正で対応可能な領域は「均衡・抑制の法理」が適用される)と主張する(※注7)。そして、アメリカ判例法において従来使用されてきた「中立性」「裁判類似性」「専門性(expertise)」の概念を批判し(※注8)、独立機関設置の新たな政策的根拠として、①「政府の失敗(government failure)」(誠実執行条項違反)時の抑制・均衡発揮としての官僚機構の改編、②領域横断的あるいは焦点となっている課題の解決(従来の硬直化した官僚機構では対応し得ない部分)、③熟慮的討議(deliberation)の要求される分野を挙げる(※注9)

※注釈・参考文献
1:佐藤幸治 『憲法』第三版 青林書院、1995年 45ページ。
その他の予防的保障としては、公務員の憲法尊重擁護義務や憲法改正手続きの厳格性といった点が挙げられる。
2:佐藤前掲書、80ページ。
 もっとも、戦前の大日本帝国憲法は天皇の下の厳格な権力分立制を打ち出しており、むしろそうした分立の残滓が、現代の行政改革を妨害している、との説もある。
(森田 朗編 『行政学の基礎』 岩波書店、1998年 15ページ。)
3:佐藤前掲書、209ページ。
4:駒村圭吾 『権力分立制の諸相』 南窓社、1999年 22ページ以下。
5:駒村前掲書、58ページ〜60ページ。
6:駒村前掲書、84ページ〜111ページ。
7:駒村前掲書、117〜128ページ。
8:例えば、「専門性」概念について著者は、従来の①真理の客観的追究、②価値中立性、③真の公益の発見といった意義づけを一種の科学信仰に基づく専門性への過大評価であるとして、安定した任期の下で特殊能力や知識を獲得する熟慮的討議にその意義を求めている。
(:駒村前掲書、132ページ。)
9:駒村前掲書、133ページ以下。

3、行政改革と独立機関

3-1 現代日本行政の問題点
 ところで、90年代の我が国の政治的論点であった行政改革は、80年代までに蓄積されてきたいわゆる「官僚主導」型行政の弊害を是正するという目的で開始されたものであった。つまり、よく言われているように、1945年の敗戦以降(あるいは、より歴史的な視点を採用すれば1868年の明治維新以降)、欧米先進諸国に追いつくことをひたすら目指した我が国は、よく組織された官僚制と自由民主党による開発独裁型の経済運営で驚異的な経済成長を遂げたのであるが、安定成長期以降、追いつきがひと段落し経済や行政に多様性が求められるようになって、そうした官僚制の硬直性や弊害が問題視されるに至った。そして、それに加えて90年代以降、一連の官僚不祥事(官官接待、大蔵省幹部不祥事、厚生官僚不祥事、防衛庁調達実施本部の不祥事等)や裁量行政の問題点(住宅専門金融会社の処理問題、薬害エイズ事件、金融監督行政の問題点等)が浮き掘りになり、1996年10月の第41回衆議院総選挙では行政改革が大きな争点となったわけである(※注1)。例えば、大蔵省の金融行政の分野では、戦後から1970年代にかけては、経済発展の基礎となる資本の不足(経常赤字)が日本経済最大の問題であって、海外から移転した資金を如何に効率的に重要産業に配分するのかということを大蔵省主導で決定し、金融・資本取引を規制することはそれなりに合理性があった。つまり、少ない物資を効率的に配分する戦時経済型の統制システムが、このころは有効性を有していたわけである。しかし、70年代以降、経常収支が黒字に転じ、逆に海外への資本輸出がはじまると、国内金融産業に対する影響力の低下を嫌った大蔵省が(他の西側先進国はどこでもやっている)自国通貨による資本輸出を通じた影響力の拡大をせず、資本輸出は米ドルによることとして円の国内閉鎖体制の維持をはかり、これが金融産業の国際的競争力の低下に繋がった(※注2)。つまり、全般的にみれば、70年代までの「〜からの自由」(欠乏からの自由)を目指した時期には妥当した、特定の規範を理念とした行政府のあり方が、それ以降の「〜への自由」の時期においては不適当になっていったということである。
 もっとも、ここで注意すべきなのは、行政改革のマクロ的意義とミクロ的意義の問題である。つまり、前述の金融行政の分野でいえば、「何故大蔵省は政策を誤ったのか」「そうした官僚による政策判断の誤りが何故是正されないまま残っていたのか」という観点からその改革を目指すのが「ミクロ的な行革」であるのに対して、「そもそも、何故官僚の多くの重要政策決定権限があったのか」という観点からの改革が「マクロ的な行革」であり、後者はいわば「統治改革」(「政治改革」という表現では、問題が矮小化される可能性があるので、敢えてこの表現を使う)にあたる。そして、前者のみの改革では、残念ながら真の意味での行政改革は、統治改革の水準までも含むものでなければ、一過性のものとなってしまうのである。それは、マクロ的な行政のあり方とは即ち我が国における政治のあり方のことであり、ひいては国民の政治的意識の問題であって、仮に今、短期的な問題意識から何等かの改革が為されても、自律的な改革意識が国民の内にない限り、再び同種の問題で損害を蒙ることになるからである。例えば、かつての太平洋戦争に至る我が国外交の失敗は、端的には昭和戦前期における政治の役割低下と一部軍部官僚による政策の失敗に由来したのであるが、しかしそれによって一旦は亡国の憂き目を見たにも関わらず、戦後我が国は同様の失敗(つまり、国民の適切な政治意識による官僚のコントロール)を経済の分野において犯した(※注3)。歴史的に見ても、我が国では「改革熱」は一過性のものに終わる傾向が強く、ここに「熱しやすく冷めやすい」といわれる国民性が色濃く反映されているといえよう。

3-2 「専門性」の活用
 それでは、前述した駒村助教授の案による独立機関の導入は、一体どの分野において最も有効性を発揮するのであろうか。
 前掲書によれば、駒村助教授の独立機関(この特徴はそれが「独立」している点にあるのだとすれば、即ち独立性)に対する意義付けは、大きく分けて2つあった。即ち、権力分立性の柔軟解釈の帰結としての中立性、及び高度知識の獲得過程としての専門性である。ここで、 憲法 の三権分立原理と関係する中立性はマクロ的行革、行政における専門性はミクロ的行革と対応しているといえよう。
 この内、中立性について駒村助教授は、首長制(大統領制)によって立法部・執行部ともに民主的な基盤を有しているアメリカ合衆国においては、立法部と執行部の統制が競合・均衡した状態を意味するFB論を支持しているが(※注4)、我が国におけるその妥当性については言及していない。しかし、ここでFB論が支持されているのが二元的民主制の特質(つまり、立法部と執行部との対立はいわば全国民に関係する対立である)に基づいている点を考慮すれば、国民から選出された議員のうちから執行部を形成する議院内閣制(一元的民主制)を採用する我が国においては、立法部と執行部との対立はいわば政府内部での対立であるから、アメリカよりもより議会優越の方向で考えられるべき、ということになろう。
 では、そうした議会優越化によって、一体何が変革されるのであろうか。現代日本政治学の概ね一致した見解によれば、現代日本政治を動かしている主要なアクターは政治家、官僚、利益団体及び地方政治家であり、それぞれのアクターは政治資源を取引することによって政治的な活動をしている、とされている。例えば、中央の政治家は、その政治力の源泉である地位を保持する、つまり国政選挙で継続して勝利するために、支持や地盤を拡大し政治権力を獲得することを目指している。そして、そのために、官僚に対しては省庁間の対立の調整を図るかわりに行政が持つ情報の提供や利益配分を受ける、という取引を行っている。また利益団体に対しては、政府が提供する利益を配分し政治力を提供するかわりに支持や政治資金を獲得する、という取引関係がある。しかし、政治家は決して絶対的な地位にあるのではなく、常に政治家同志の競争に晒されているのであって、中選挙区制時代は同一選挙区内の保守系政治家、現行の小選挙区制下では他の潜在的保守系候補者との間で競争が生じる(それ故、より大きな政治力を発揮できる大派閥のほうが好まれ、一層政治力を増す)。一方、立身出世を目的とする官僚は、自省の権限(政治資源)拡大のために、省庁間紛争の調停を政治家に依頼するかわりに、前述した行政情報や公共事業等といった支援を約束するのであり、これまた省庁内部及び省庁間の水平的競争に晒されているため、結局より大きな政治力を持った省庁が一層権限を拡大することとなる(※注5)。以上のように、政治部門における二者の政治力学的な連携関係が存在し、しかも法的にも議院内閣制として行政府と立法府の距離が接近している我が国においては、国会の優越性を高めることは、こうした政治家—官僚の力学を政治家優位に変化させる意味合いがあるのである(※注6)。そして、駒村助教授が主張するように、 憲法第73条1項誠実執行条項は、そうした国会優越化を正当化する有力な論拠となろう(※注7)
 但し、ここで注意しなければならないのは、第一点に、こうした政治力学の変動が、必ずしも行政の「健全化」をただちに保障しない、ということである(それは、その前提を用意するだけである)。これは、政治家が結局選挙民の意向に沿った動きしかとれない以上、この分野の国民の問題意識が高揚されない限り、つまりそれによって国会の「チェック機能」が稼動しない限り、行政の諸問題は放置され続けるであろうということである。まだ、第二点として、単に抑制・均衡の法理から議会優越の重要性を主張するのであれば、独立機関の導入以外にも、より効果的と思われる別の手段が様々に存在するのであって、独立機関の導入という個別政策に強い必然性があるわけではない、ということである。例えば、1999年8月に閉会した第145通常国会においては、連立与党・自由党のかねてからの主張により、政府委員制度(国会における官僚の答弁)の廃止と副大臣・政務官を導入する法改正があったが(※注8)、こうした行政内部への直接的な政治権力の浸透のほうが、よりドラスティックな「行革」をもたらす可能性が高い。翻って、独立機関制度は、確かに行政府内部に立法府が切り込む手段とはなろうが、我が国における抑制・均衡の課題である政治的なリーダーシップの発揮には直接的にはつながらない。つまり、独立機関導入論議においてその「中立性」は、独立機関固有の重要性としては一段弱いということが出来るのである。
 よって、我が国行政における独立機関導入の現実的な意義は、むしろ次の「専門性」、つまり、安定した地位による特殊知識の獲得過程と熟慮的討議の保障にあるといえよう(但し、現行の「審議会」との違いを出すために、一定の実効的な権限を有するようにすべきであろう)(※注9)。特に、複雑化、専門化した行政内部にあって、いわゆるキャリアと呼ばれる官僚は、総合的な見識を身につけるという目的のために様々な部署を転々とするのだが、こうした措置はゼネラリストとしての見識を与える一方、各部署における深い専門的知識を持った政府高官の養成を阻んでいると言われる。事実、大蔵省の金融政策の失敗に関しては、そもそも大蔵官僚の多くが国家公務員1種法律職試験の合格者であるために、経済・金融の知識に乏しかったのではないか、という問題提起も為されている。そこで、こうした分野において高度の専門性(熟慮的討議の可能性)を持った、ハイレベルの意思決定を行う機関として独立機関が導入されるというのであれば、その意義は大きいと言えるであろう。

※注釈・参考文献
1:ところで、ここで留意すべきなのは、官僚機構そのものの問題点と官僚の個人的な問題点の峻別である。というのも、90年代の行政改革論議には、ともすればマスコミによる「官僚バッシング」の傾向が著しく、場合によっては問題の本質を隠蔽する働きをしたからである。例えば、公務員の給与体系等の変革なくして成立した公務員倫理法は、こうしたバッシングに影響されたものと思われる。
2:吉川元忠 『マネー敗戦』 文春新書、1998年 180ページ以下。
3:吉川前掲書、6ページ以下。
 それによると、90年のバブル景気崩壊によって失われた株式の時価420兆円、土地評価額380兆円(合計約800兆円)は、国富の実に11.3%に相当し、これは第二次世界大戦によって我が国が受けた対国富損害率(約14%)に迫る数字であるという。そもそもバブル景気が発生してしまったのは、前述したように我が国が資本輸出をドル建てのみとして「円の鎖国体制」を継続し、そのために余剰資金が国内に過剰に投資されたからであり、これは大蔵省の国内影響力確保策の一環として実施されたのであって、「自己の国内的権益の保護を目的とした政策の失敗」という意味では軍部官僚の失敗と同じ構造である。
4:駒村前掲書、225ページ以下。
5:岸本弘一 『現代政治研究』 行研、1988年 また、
  小林良彰 『現代日本の政治過程』 東京大学出版会、1997年
  堀 要 『日本政治の実証分析』 東海大学出版会、1996年 等を参考とした。
6:実際に、政治的リーダーシップが強いとされているアメリカやイギリスでは、多くの政治職の官職が用意されており、例えばイギリスでは与党議員の3分の1以上が政府の役職に就任するという。
(:森田前掲書、9ページ以下。)
7:駒村前掲書、247ページ以下。
8:余談になるが、第145通常国会において、たとえばガイドライン関連法案や国旗国家法案が「重要法案」と称されたが、私は、この副大臣制度導入こそもっとも重要な「重要法案」であり、住民基本台帳法改正などはむしろ瑣末な技術的法案であったと考えている。
9:駒村前掲書、138ページ。

4、おわりに
 間もなく20世紀が終わろうとしているが、考えてみれば、この一世紀の我が国の歴史は、行政府のあり方に大きく左右された歴史でもあった。前半の半世紀では、明治日本を世界の列強にまで導いた開発独裁型の政治が資本主義の矛盾の中で軍部官僚にとってかわられ、その軍部官僚主導の内政・外交が破綻するという経験をした。続いて後半の半世紀のうち前半では、逆に経済官僚主導の経済発展が成功するという体験をした。だが、それもその後の25年の「行政の失敗」によって、今再びその成功体験は中和されつつあるのである。
 21世紀の我が国が新たな発展を迎えるためにも、今、統治構造の改革が正に求められていると言えよう。

※主要参考文献
芦部信喜・高橋和之編 『別冊ジュリスト 憲法判例百選Ⅱ』 有斐閣、1994年
阿部照哉・畑博行  『世界の憲法集』 有信堂、1991年
岸本弘一 『現代政治研究』 行研、1988年
小林良彰 『現代日本の政治過程』 東京大学出版会、1997年
駒村圭吾 『権力分立制の諸相』 南窓社、1999年
佐藤幸治 『憲法』第三版 青林書院、1995年
堀 要 『日本政治の実証分析』 東海大学出版会、1996年
森田 朗編 『行政学の基礎』 岩波書店、1998年
吉川元忠 『マネー敗戦』 文春新書、1998年
座談会「行政改革の理念とこれから」『ジュリスト』1161号(1999年8月1日・15日合併号) 有斐閣

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


目次に戻る   記事内容別分類へ

製作著作:健章会・中島 健 無断転載禁止
 
©KENSHOKAI/Takeshi Nakajima 1999 All Rights Reserved.

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください