このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 編集後記 

 最近公開された映画「マトリックス」は、コンピューターによって作られた幻想空間「マトリックス」に人間が束縛され、騙されて生活している世界を描いているという。私はまだこの映画を見たわけではないが、この設定にはなかなか面白いものを感じる。というのも、無論この映画が描こうとしているような、起床から就寝までの全ての生活過程を電子的に制御されるといった事態は実際には想定されないにしても、広い意味で「人間が科学技術に使われている」という状況には現在でもしょっちゅう体験することだからである。いや、そもそも人間には、「技術に使われる」ということを好む傾向すらあるのかもしれない。例えば、我が国においては、「近代憲法」という国家統治の一つの法的「手段」が、いつのまにか理想的な国家像を投影する「目的」にすりかえられ、国民は長らく「一国平和主義」の「幻想」の中に生きてきたわけだが、これはまさに現実社会における憲法的「マトリックス」ではないだろうか。
 映画では、この事実に気付いたキアヌ・リーブス扮する主人公「ネオ」が、時代を現実に引き戻すために動き出すという。我が国における「憲法的ネオ」を務めるべき政治家とは、一体誰なのであろうか。

 お知らせ 

 今月号(10月号)は、全文揃わないもの10月初日に掲示することが出来ました。なお、予定しておりました投稿文は、来月号の掲載と致します。


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