小坂井支線は豊橋(平井信号所)を頂点にした三角形を形成する路線の一つであり、長さが1.2kmと短いもので、伊奈と小坂井を結ぶ路線でした。 小坂井支線の歴史は愛知電気鉄道(現・名古屋鉄道)が豊橋への延長と豊川稲荷への観光について豊川鉄道(現・JR)と協議した結果できたものと考えられます。
東岡崎まで路線を延ばしてきた愛知電気鉄道が東海道線との接続をするために豊橋までの延長を計画していました。建設費の節減のため小坂井付近で豊川鉄道に乗り入れる計画で豊川鉄道と協議しましたが豊川鉄道は拒否しました。 そこで愛知電気鉄道は豊川鉄道に揺さぶりをかけるため?に豊川市内を通り(おそらく現・名鉄豊川線)豊橋北部に達する路線を立案しました。 当時の豊川鉄道の大きな収入源として、東海道線で豊橋まで来て豊川鉄道で豊川稲荷に参拝する観光客をターゲットにしたものがありました。 愛知電気鉄道が豊川市内を通る路線を完成させると名古屋からの観光客が直接豊川稲荷までいけるようになってしまい、それを恐れた豊川鉄道は協議を受け入れる方向となりました。そして提携の内容は以下のものとなりました。
①平井信号所ー吉田駅の間の路線数を増やし、両会社で共有するもの
②平井信号所ー豊川駅間の複線化
③小坂井ー豊川駅間の愛知電気鉄道の乗り入れ、およびその区間の電化
これらのような内容でした。私鉄時代はこの関係が続いていたのですが豊川鉄道が国有化すると名古屋鉄道は以前計画した豊川市内の路線を建設(現・名鉄豊川線)を開始しました。 そして豊川稲荷までの路線を完成させ営業すると同時に、その役目を失った小坂井支線は廃止となった。
現在は線路もはずされ、線路跡は一部残されるのみとなる。
豊川鉄道が吉田(その後は豊橋駅となる)ー豊川間を開業
愛知電機鉄道(その後は名古屋鉄道となる)が東岡崎ー小坂井間を開業
愛知電機鉄道が吉田ー伊奈信号所を開業し三角形が形成、伊奈信号所ー小坂井は小坂井支線となる
豊川鉄道は政府に買収され国有化され国鉄飯田線支線となる
名古屋鉄道が稲荷口ー豊川稲荷を開業と同時に小坂井支線を廃止