このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

   旧飯田線西豊川支線を往く
はじめに


 豊川市には街中にJRと名鉄の2種類の鉄道が走り、電車を見る機会がとても多い。にもかかわらず昔からほとんど電車を見ることがない路線があります。そこは踏み切りが降りるのが稀だと言われています。 子供の時から不思議に思っていた線路だったので調べてみました。


概要


 豊川鉄道が豊川海軍工廠の輸送目的に建設された路線です。当初は豊川駅から西豊川駅までの2.4kmを結ぶものでしたが、工場までは少し距離があり便宜を図るために1km延長され北東門乗降場が設置されました。  その後は豊川鉄道が政府に買収され国有化しましたが営業はそのまま継続されました。
 戦争により豊川海軍工廠が壊滅的被害を受け閉鎖しました。そこには国鉄工場など工場が建設されましたが、もともと海軍工廠の輸送目的に敷設されていたため利用客は少なくなり、一般営業廃止となってしまいました。  その後は日本車両の専用線となり、そこで作られた車両の運送などに使われ、現在に至ります。
 今でも稀に使っているようですが自分はみたことはありません。




1938年(昭和13年)10月13日
西豊川支線敷設の免許申請
1939年(昭和14年)09月25日
敷設の免許される
1941年(昭和16年)09月26日
路線の敷設工事開始
1942年(昭和17年)05月12日
開業
1943年(昭和18年)08月01日
豊川鉄道は政府に買収され国有化され国鉄飯田線支線となる
1945年(昭和20年)08月07日
豊川海軍工廠空爆により海軍工廠が壊滅
1956年(昭和31年)09月14日
一般運輪営業廃止。国鉄分工場での利用のみとなる
1964年(昭和39年)04月?日
日本車両専用線となる




 ①豊川駅
 ②豊川踏切
 ③鈴与踏切
 ④谷川踏切
 ⑤鉄橋?
 ⑥大通踏切
 ⑦第二礼通踏切
 ⑧良通踏切
 ⑨女通踏切
 ①豊川駅
西豊川支線の始まりは豊川駅です。現在の駅舎は1996年に建設されたものです。以前の建物もとても綺麗な建物でした。そのときは貨物専用のホームがあったようです。
 手前の線路が支線の線路です。たまにしか使われないためレールは錆ています。
 ②豊川踏切
豊川駅から初めの踏切です。交通量は多く、正月などではとても混雑します。一番奥が支線ですが車が走るため踏切内ではレールが光っています。
 ③鈴与踏切
とても狭い踏切です。それまでの道と比べて一目瞭然。通れるかわからず立ち往生してしまう車も多いところです。走ってくると結構びびる。
 でも実際はエスティマも通れます。日本車ならまず大丈夫でしょう。自身が無ければ隣の踏切に行きましょう。
 まだ飯田線と平行にはしっています。
 実際のレールはご覧のとおり。
 ④谷川踏切
この踏切のあたりから飯田線と分かれていきます。左に曲がって行くのが支線で、右は飯田線です。中央に見える踏切は谷川踏切です。
 分岐後は左に弧を描きながら少し登っていきます。なぜ登っていくかは不明です。築堤は結構な高さになります。
 ⑤
支線でここだけ線路の下を道路が走ります。なぜここだけ?この道を避けるためだけに築堤が作られた感じがしますが何故でしょうかね。
 その後は少しずつ下っていきます。カーブのところだけ高くする理由があるのでしょうか。
 ⑥大通踏切
名前のわりに小さい踏切です。交通量はあまりないですね。アスファルトも敷いただけのような踏切です。
 ⑦第二礼通踏切
それなりに交通量のある踏み切りです。この踏切には止まれ標記があります。支線の踏切には標記があるものと、無いもの、信号機が付いているものとあり、差があります。
 ⑧良通踏切
この踏切が今回のレポートの発端です。昔からこの踏切をよく渡ったのでとても不思議だったんです。信号機と連動で赤になったりしますが電車は見たことがないですね。 写真は信号は赤ですが電車はもちろん通りません。ちなみに真ん中のトラックは決して信号無視しているわけではないです。
 この辺りは線路脇のスペースは駐車場や畑に使われています。それにしても長い直線です。 線路内へは高い塀も無いので入り放題ですね。
 ⑨女通踏切
使用頻度は少なそうな踏切です。止まれ標記が無いので車は減速のみでしょう。
 ⑩美幸踏切
 ⑪西豊川駅跡
 ⑫千両踏切
 ⑬油通踏切
 ⑭佐奈川踏切
 ⑮門跡?
 ⑯工場踏切
 ⑰日本車両
 ⑩美幸踏切
西豊川駅のすぐ横の踏切です。線路が二つに分かれたため踏切が広く、少し不自然な状態ですね。
 ⑪西豊川駅跡
ここに西豊川駅がありました。桜木公園のすぐ北側にある不自然なスペースです。ここだけ荒れていますね。
 ⑫千両踏切
西豊川駅から延長された側の踏切です。ここは信号機があります。完全に踏切用のようです。赤になったら電車が通るということでしょう。
 ⑬油通踏切
佐奈川の東側の踏切です。ここだけ信号が黄色点滅です。そのため減速する車が一番多い踏切です。
 この後は佐奈川を横切ります。線路へは容易に侵入することができますが、枕木間が結構開いていて怖いので渡りません。 こういうの渡っている最中に電車が来るのがお約束のような感じですね。
 ⑭佐奈川踏切
佐奈川にかかる鉄橋です。右の踏切が佐奈川踏切で歩行者専用となっています。
 佐奈川踏切の後は自衛隊の敷地の北側を通っていきます。不法侵入のようで入りづらいですね。自衛隊周辺だけフェンスが出てくるので観察しづらいです。
 ⑮門跡?
本野町の所では道と平行に線路がはしっていますがフェンスがあるのでわかりにくいです。そこで発見したものです。北東門乗降場はもう少し先だと思うから何でしょうか。構造から門のような気がしますがね。
 穂の原住宅の辺りで分岐が増えます。現在は物置のようになっています。
 ⑯工場踏切
最後の踏切です。ここから先は日本車両の敷地に入っていきます。ここの踏切はとても急なカーブのところに位置するので知らないと怖いですね。
 ⑰日本車両
この門の向こうは日本車両の敷地内です。この門が開いているときは電車が出てくるということですね。




 戦争時代に使われた戦争遺跡でありながら今も尚現役で使われ、電車の必要がなくなるまでは使われると思われます。  調べてみたら結構面白かったです。このまま残して、有効に活用してほしい線路ですね。

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