このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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朝来市
生野銀山(2010/03/22)
 戦国時代、豊臣秀吉や徳川家康が財源として管理したことで有名なところです。佐渡や石見と同様に当時とても重宝されていたようです。 歴史はとても古く1300年ほどの歴史を持っています。総延長距離は350kmを越え、深さは900m近くまで深く掘られていたようです。そのため、生野の町の下は穴だらけの状態になっているそうです。
 門はとても古そうです。よくみると菊の紋がありますね。生野銀山は織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と豪華メンバーにて管理されていたようです。 その後皇室で管理されるようになったようですが、最終的には三菱に払い下げされたようです。その後も採掘は行われ、昭和48年まで続けられたそうです。
 菊の紋は皇室の管理時代があったときに作られた門だからというわけですね。
 偶然にもボランティアガイド付きでの見学でした。冬季限定で行われているようです。ガイドさんが色々教えてくれてとても勉強になりました。 石見銀山が世界遺産になって、何故生野銀山が世界遺産にならなかったのかとか、銀の取れる量とか色々と教えてくれました。 写真左の穴が坑道入り口になります。右の滝は地下水が関係しているような言い方をしていました。資料館でも色々と説明してくれました。 瓦にも菊の紋や三菱のマークがついているものがあること、生野の地下はアリの巣みたいになっていることなどなどです。
 また銀山周囲には「ひかげつつじ」が群生しています。4月上旬には黄色の花が咲き乱れとても綺麗なんだそうです。現在はまだ黄色の蕾が出来始めたばかりでした。  満開の時に来て見たいですね。
 内部は結構寒いです。13℃で一定しているとのことです。冬場は元々厚着しているので何とかなりますが、夏場は涼しいというよりも寒いって表現が良さそうです。 見学コースは以前は短かったのですが、現在はかなり長くなり1000m位のコースになっています。そのためとても長く、満足の行く内容となっています。
 狸堀。いたるところにあります。歩く坑道は新しく掘られたものですが、これらは昔ノミにて手掘りされた穴そのものだそうです。 ノミの跡がそのまま残されている状態です。
 人形が置かれています。おそらくこのように作業していたのではと言われています。坑道はとても狭く大変なものであったことが伺えますね
 人形も数種類置いてあり、昔のスタイルのものもあれば、近代化されたものもあります。現代では削岩機やダイナマイトで一気に掘っていったそうです。 一気に効率は上がりどんどん進められたそうです。
 坑道内の採掘物や人間を運んだ車です。燃料を燃やすと有毒ガスで危険なため、電動です。
 これはエレベーター。とても深いところまで行っているようです。現在はもちろん使われておらず、深さ200m位のところで泊まっているそうです。 エレベーターは2階建てで、トロッコも運べたそうです。エレベーターの周りは囲まれていないため、落ちたら奈落の穴ってところですね。
 ちなみに現在はエレベーターが止まっているところはもちろん、すぐ近くまで水没してしまっているそうです。ここの銀山を再び採掘するにはこの水を抜かなければなりません。  その作業だけで数年はかかるそうです。そしてそれだけ莫大な費用を投じても、得られる銀が少なく割が合わないことから、ここが再び採掘されることは無いとされているようです。
 江戸時代の人たちはみんな赤いふんどしや腰巻をしていたそうです。狭い坑道内では頭を怪我することが頻繁に起こったそうです。 頭から血がながれ、普通の布で拭くと血の跡が目立ちます。怪我をしていると、仕事を休まされ(もちろん有給休暇なんてものは当時ありません)生活が困ってしまいます。 それをごまかすため、赤い布で血を拭くことで怪我を隠したことから、坑道内で働いていた人は赤いフンドシとかをつけていたといわれています。
 場所は外に移ります。坑道横の階段を上がり、5分ほど奥に歩いていくと露天掘り跡を見ることができます。慶寿の掘切と呼ばれています。 鉱脈が地表に現れ、ここを実際に掘ったようです。 そこから、どんどん地中に向かって掘り進んでいった結果が現在の坑道と成っているわけです。
 道沿いに巨大な滝のようなものが現れ、結構驚きます。それ以外にも、この辺りには露天掘り跡や横穴が色々と発見されています。  時間があるときにゆっくりみるのも良いかもしれません。
 入場料は¥900です。鉱山資料館のみ別料金です。

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