このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

> トップ > 旅トップ > 京都トップ
京都市1
三十三間堂 (2007/10/08)
 3連休の最後だけ仕事は休みだったのですが、生憎の天気。どこも行く当てが無かったのですが、このシーズンの京都なら雨でもそんなに影響ないし人も少なそうと言うことで、突発的に行ってきました。 ただし車では混雑が予想され、なおかつ京都の中は以外と道が狭いのでとても走りにくい。駐車料金も沢山取られることから新幹線で行きました。意外と近いですね。
 以前もいったことがあったところで、京都の中でもなかなかお気に入りの場所なんです。比較的歩く距離が少なく、見ごたえのある場所といえば、ここしか思いつかないくらいです。  中は入るとすぐに驚いてしまいます。千手観音像が建物の中に整列しているではありませんか。しかもその数は尋常ではありません。成人と同じくらいの大きさの像がなんと1001体(そのうち何体かは他の博物館に出張中や、修復中のものもありますが)もあるのです。  これでいきなり驚きます。これだけで行く価値あります。
 さらにここには巨大な千手観音像や、二十八部衆立像、風神と雷神の像があり、これらは国宝!しかもとても間近にみることができます。この国宝軍団をみるだけでもすごいことです。その数は半端ではありません。
 後白河上皇の離宮法住寺殿として平清盛に命じて1165年1月30日に完成したといわれています。その後焼失しましたが、1266年に本堂が再建され、それが今残っているものとなります。また、当時地震により建物の倒壊が都で多発し、この本堂は免震構造をもっているようです。
 三十三間堂の名称は、本堂の内陣の柱間が33あることによるようで、長さのことではないみたいです。ただし建物の長さも尋常ではなく、江戸時代は軒先で「通し矢」と呼ばれることもやっていたようです。120mの長さで弓の腕を競うといったものだそうです。  現在はそこまでの規模のものは無いようですが、弓の大会は開かれるようです。
 なお、内部は撮影不可となっているため、残念ながら内部を見せることはできません。三十三間堂のホームページに実際掲載されている写真以上に迫力を感じます。
 入場料は¥600です。
京都国立博物館 (2007/10/08)
 三十三間堂の目の前にある博物館です。特別展示館が明治時代の建物でとてもモダンなのが特徴です。この日は常設展示のみでしたのでこちらには入れませんでした。 常設展示では、当然仏像のものがあったり、器や瓦など平安時代以前のものも展示されていました。建物自体はやや古い印象でしたが、内部は以外と広かったです。 京都だと、お寺それぞれに国宝やら重要文化財やらが置いてあるため、あまり目立たない存在なのかもしれません。
 それにしてもお寺が並ぶ京都にしてはオシャレな建物ですね。これはこれで明治を感じますので良いですね。 入場料は\500です。敷地は意外と広いです。
知恩院 (2007/10/08)
 浄土宗総本山です。法然の創設したお寺です。自分のとこは浄土宗ですので、ここが総本山と言うことになります。正式な名前は「華頂山知恩教院大谷寺」みたいですが通常は用いられないようです。 ここの三門は日本一大きい門みたいです。それにしても大きすぎます。ここまで巨大だったとは驚きです。人間と比較すれなその大きさは一目瞭然。高さは24mもあります。
 門には葵紋があります。これは徳川家と関わりが深いことがわかりますね。門の上には龍の絵や釈迦如来像もあり、国宝に指定されています。
 もともと法然は比叡山出身でしたが、浄土宗を開くために比叡山を去り、有名な南無阿弥陀仏を唱えていたそうです。どんな人間もこれを言っていれば極楽にいけるという考えが攻撃の的になり、流罪されます。  その後も延暦寺の衆徒により破壊されたり火災にあったりとしたようですが、江戸時代になると徳川家康が浄土宗徒ということもあり、全面的にバックアップされ再建されました。そのため徳川家と関係が深いお寺となっているようです。
 三門を通り抜け、急な階段を上ると見えてきます。こちらは本堂でとても巨大な建物です。現在修復中のため一部見ることができなくなっています。 内部もとても巨大で、とても驚く建物です。これで閲覧自由というからサービス満点。総本山ということもあり、ついつい南無阿弥陀仏といってしまいそうです。 ここのお寺の屋根の中央に瓦が少し積んであります。これは完璧な物はありませんという、意味が込められているといわれています。
 本日は結婚式をしていたので、人が沢山いました。ちなみに下のバスを見れば、本堂がどれだけ大きいか想像がつくと思います。。
 知恩院七不思議の一つである、忘れ傘です。とてもわかり難いですが。 軒下に左甚五郎が魔除けに置いたと伝えられる傘で知恩院を火災から守るものとされています。他にも七不思議はあるのですが、工事中のためほとんど見ることはできません。
 変わった形の塔。ここはとても良い場所でした。紅葉の季節とかにまた来て見たいですね。、
円山公園 (2007/10/08)
 知恩院から八坂神社に向かう途中にある公園です。桜に季節などは良さそうですね
 池にカモがいました。人間慣れしているせいか、近づくと逆によってきます。
八坂神社 (2007/10/08)
 祇園さんと呼ばれる神社です。スサノオを祭神とする神社の総本社で、官幣大社と呼ばれていたが明治元年の神仏分離令(廃仏毀釈)のときに八坂神社をいわれるようになったそうです。 現在は工事中の箇所が多かったのが残念ですが、本殿は綺麗な状態でした。
祇園の町 (2007/10/08)
 祇園の街中に初めてきました。ここで舞子さんとかが芸をしたりするのでしょうかね。庶民にはわからないところです。舞子さんってのは芸子さんの見習いでしたっけ。 それにしてもなかなか面白そうな町並みですね。この中は歩行者天国ではないので車が走ります。気をつけましょう。
 きななというお店に来ました。きなこのアイスです。きな粉の味がする不思議なアイスですが、なんとなく京都っぽいですね。 人気店のようで、少し並びました。若い女性がほとんどですので、男性諸君は気をつけましょう。
本能寺 (2007/10/08)
 本能寺の変で織田信長が自決したことで、とても有名なお寺です。現在は市役所の前にありますが、以前は場所を何度も変えているようです。だから信長が実際に自決したとされる場所は別のところみたいです。 現在の場所は信長が自決した10年後位に秀吉が建てたといわれています。 ちなみにそこには住宅が建っているようです。歴史の上に生活しているということが良くわかりますね。
 臥牛石。加藤清正が送ったものか。なんとなく牛のような形です。
 本堂です。とくにこれといってなさそうですが、ハトが入るので、窓はしっかり閉めるようにとのことでした。 それにしてもビルの間にあるのでなにか違和感を覚えます。
 信長のお墓? 信長廟と書かれていました。他にも本能寺の変で戦死したもののお墓などもありました。
 お寺の横には小さな博物館みたいになっていて、信長が使用したものと思われるものが展示してありました。¥500ですが、ややこじんまりした様子。 ちなみに写真撮影は禁止みたいです。
原谷苑 (2007/04/15)
 洛北の金閣寺の裏にある隠れた桜の名所です。桜の種類が豊富で長い期間で桜を満喫することができます。枝垂桜はとてもすごいことになっています。
 駐車場はほとんど無いので金閣寺からタクシーで行くのが賢いのかもしれません。道も細いです。 歩いていけば20分くらいはかかるでしょうか。また入場料は桜の開花状態により変動します。今回は¥1500でした。
 あたり一面桜桜桜です。桜のなかにいるような状態ですね。どの桜も大きく見ごたえがあります。
 緑の桜もありますが、まだ開花途中でした。周りがすごいのであまり目立たない存在になってしまってますね。
金閣寺 (2007/04/15)
 世界遺産で日本を代表する建築物です。金箔は何度も張り替えられたりするようですが、いやらしい位にきらきらしています。 池にもはっきりと写っていますね。建物の裏側は近くを歩くことができます。裏側ももちろんキラキラです。
 北山鹿苑寺が本当の名前だったような。一休さんにコテンパにやられていた将軍様ではあったが、現在は立場が逆転してそうです。
 陸舟の松は金閣寺の池の横にあります。後ろの建物が改修工事していたのが残念ではあるが、形はとても面白いです。 昔から変わった形をしていたようですね。
 入場料¥400。修学旅行の生徒と外人観光客がとても多いです。
二条城 (2007/04/15)
 二の丸です。建物の中を見ることができるのでとても面白いです。そもそも中に入れる時点で感動ですね。中には部屋がたくさんあり、廊下を歩きながら見ることができます。
廊下は鴬張り廊下と言われ、侵入者が来たときに音が鳴るようになっていたそうです。もともとはそのようには作られてなかったが時が経つと木が変形し、擦れ合う音がなるようになったという偶然の産物である説もあるようです。 知恩院にも同じような廊下があるようです。
 二条城は本丸の中は見ることができません。とても大きな庭を回って見ることができます。これだけで日が暮れますね。 清流園の近くには大きな桜も咲いていました。近づくことはできませんでしたが、どれも立派な桜でした。他にもいろいろな花もあり、とても楽しむことができます。

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください