これはディアナ号の復元模型。
プチャーチンとはロシアの軍人で、ペリーが日本と和親条約を結んだことを知り、ペリーに遅れてやってきました。 当時のロシアはイギリスやフランスと戦争をしていましたが、危険を冒してまで日本を目指し、1853年7月18日日本に一度来日するも、追い返されました。 それでもあきらめず、1854年11月にようやく交渉することにこぎつけました。しかしその直後の11月4日に安政東海地震による大津波が発生しディアナ号は自力航行不可となりました。 数百隻の日本船が救助に向かいましたが、ディアナ号は宮島村沖に沈没してしまいまた。乗組員500人は全員救助され戸田に収容されました。その後12月21日に日露和親条約が結ばれました。