このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

寺社 追補


”会津ころり三観音”の内、立木観音、鳥追観音を載せて、
中田観音を載せてないのは、(会津五街道に無関係とは言え)不平等ではないか
”延喜式に載ってる会津の三社”の内、磐椅神社、養蚕神社を載せて、
伊佐須美神社が載ってないのは、いかがなものか

長床を載せたなら、
(寂れているとは言え)なかなかの三重塔を持つ法用寺も載せたい。
願成寺もはずせない。

と言う訳で、この4寺社を、追加撮影してきました。(H14.11.30(小雨))
願成寺は、別ページ。


  中田観音 (弘安寺) 
 
 新鶴村の西縁、JR只見線・根岸駅の傍の道を西に行き、山に突き
 当たるった所にある。野口シカ(英世の母)が、息子の出世を願い、
 はるばる、猪苗代から月参りした所だ。

 会津ころり三観音の一つで、堂内の奥の柱に
 抱きつくと、痴呆にならないうちに、コロリと
 他界できるらしい。

 銅造十一面観世音菩薩、脇侍不動明王、
 地蔵菩薩立像は、東北地方でも珍しい、
 鎌倉時代の鋳像として、国の重文に指定
 されている。
 (よく解らなかった、県立博物館管理かも)



法用寺

高田町の北西角にある。中田観音から、山沿いの道を 2km弱 南下
するとある(2つ目の集落・雀林集落)。

寺伝によれば、720年得道上人より開かれたが、焼失。
808年、徳一上人により、現在の位置に再建された。

山門(↓)の両側にあった木像金剛力士立像は、平安中期・藤原時代の作で、
国重文に指定されている。阿形は、鶴ヶ城天守閣に展示されている。


 吽形(→)は、本堂=観音堂に安置されている。
 堂内は真っ暗なので、フラッシュを焚かないと
 見えない。

 (←)本堂の南に、
 三重塔がある。
 
 雰囲気のある塔だ。

 写真右が本堂。


  伊佐須美神社

 延喜式に載っている会津の三社の一つ。
 明治初期、松平容保の次男健雄が分家し、
 ここの宮司になった(現在、宮司が誰かは未確認)
 三社の中では、最も繁栄しているが、
 商売っ気が目について、やや興ざめだ。



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