このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

鹿瀬(かのせ)(1)  平瀬トンネルにて


撮影日:H14.11.02 



平瀬(びょうぜ)トンネルは、明治40年に着工し、大正の初めに完成した。
レンガ造りの、なかなかお洒落なトンネルだ。長さ2006m。


日出谷側出口(入口)の上には、当時の鉄道院総裁・後藤新平の書による
「宝蔵興焉」(宝蔵これにおこる)と刻まれている。


鹿瀬側には、同じく後藤新平の書で、「貨財殖焉」(貨財これにふえる)と
刻まれている。( 鹿瀬町HP より)


H14.11.02、この連休の天気予報は、新潟・会津の降水確率 80%だった。
汽車の通過時間より、1時間程 早くついた。
日出谷駅構内で時間を潰していると、”カシャカシャ”と音がする。
あられが降ってる〜っ!
駅前の雑貨屋(日用雑貨、食品、鑿(ノミ)、衣服、薬・・何でもある〜!)で、
即席ラーメンを食べた。食べ終わる頃、霰はやんだ。

撮影地に出かけた。あの霰の中でも、三脚を立てて待っている人々がいた。
斜向かい後ろの人に、「もう少し前に行ってくれ」と言われた。
(客車も入れる予定なので、前だと(私は)汽車に隠れるので良いらしい)

やがて、暗いトンネルの中に、汽車の前照灯が見えてきた。
汽車は、トンネルを出た
煙を出さない!
早く、煙出せ〜!

一瞬の間の後、煙をだした!
サービス煙無しの、真っ白な煙だ!

さながら、ウェディング・ドレス姿の貴婦人か?
(ん? 貴婦人は既婚か?)





 え〜い、足元も撮っちゃえ。



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