このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
山崎新湖はどこだ?
「1611年の会津大地震で、山崎新湖ができたこと、勝負沢が崖崩れにより
通行不能になったため、坂下ー片門ー束松ー野沢の道が開かれた。」
(「会津諸街道と奥州街道」)
山崎新湖!
どこだろう?地図には載っていない。
私は、地図上で越後街道(1611年以前)を辿った。
湖っぽい所は、
東羽賀集落と西羽賀集落の間、只見川がS状蛇行して湖になっている所しかない!
と考えた。
ところが、西会津町教育委員会町史編纂室の方
(他市町村の事も、とても丁寧に教えていただきました) に拠れば、
「山崎新湖(喜多方市慶徳)は寛永の末年までで涸れた。」
喜多方市慶徳〜っ?
越後街道は、そんなとこ通ってないぞ〜!?
さらに、越後街道の変遷に関して、
「「越後街道」といわれるものは慶長16年(1611)の地震以前
若松→塩川→青津→勝負沢峠→東羽賀→西羽賀→塩峯峠→塩坪→
尾登→野沢→野尻→津川 ・・・ と辿ったのを
この地震によって勝負沢峠が崩壊したので、以後
若松→高久→坂下→鐘撞堂峠→西羽賀→野沢→野尻→津川となり、
さらに寛永5年(1628)、
若松→坂下→束松峠→縄沢→野沢→野尻→車峠→白坂→宝川→津川 となって、
これが明治15年(1882)の三方道路による藤峠の開削まで定着しました。」
との、お教えを戴いた。
ふ〜む、
1611〜1628年の間の街道に、東羽賀がない。
もしかして、半分以上、水没したか?
喜多方市慶徳町山科地区(喜多方市南西角)、
あった、山崎集落(↓下図2)!
海抜は、175m直ぐ上だ。ここか?山崎新湖?
ところで、街道沿いの青木集落(下図6)・青津集落(その左)の海抜は、176m台だ。
そして、これらの集落が水没したと言う話は聞かない。
さらに、山崎集落をはじめ、山都町街、東羽賀集落も、175m直上にある。
もしかして、
山崎新湖とは、
只見川(下図左、上下に流れる川)と、阿賀川(下図、右下から左上に流れる川)の
合流点(下図、左上1/4)が堰き止められ、その上流の、海抜175m以下が水没した
湖だったのではないだろうか?
国土地理院の5万分の1の地図を読み込み(2万5千分の1を参考にし)、
海抜175m以下を、青く染め抜いてみた(↓)。
なるほど、山崎新湖だ。
越後街道も、少し水没している。
![]() 手前の森の陰が、蛇行し枯れか かった昔の阿賀川。左手の山の 手前が、今の阿賀川。 |
![]() (←)(B)汽車に重なる、暗青の大地が、 山都町三津谷地区だ。 2段の河岸段丘の上は、海抜200mだ。 |
1:喜多方市街西縁 2:喜多方市慶徳町・山崎集落 3:山都町街
4:高郷村・東羽賀集落 5:高郷村・西羽賀集落 6:坂下町・青木集落
![]() 写真と同じ所(上図の4と5の間) から、上(北)を撮影。上図只見川 下1/3 胃袋の形の所が映っている。 (紅葉した時だったが、やっぱり曇りで、 画像処理で、明るめの紅葉調にした。) |
![]() (D)喜多方市・慶徳地区・ 山崎集落。 集落と田圃に数mの 高度差があり、 阿賀川(中央上1/4〜右上1/3)に 向かい、緩やかな傾斜で 水田の高度が下がっている。 |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |