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山崎新湖はどこだ?



「1611年の会津大地震で、山崎新湖ができたこと、勝負沢が崖崩れにより
通行不能になったため、坂下ー片門ー束松ー野沢の道が開かれた。」
(「会津諸街道と奥州街道」)

山崎新湖
どこだろう?地図には載っていない。

私は、地図上で越後街道(1611年以前)を辿った。
湖っぽい所は、
東羽賀集落と西羽賀集落の間、只見川
がS状蛇行して湖になっている所しかない!
と考えた。


ところが、西会津町教育委員会町史編纂室の方
(他市町村の事も、とても丁寧に教えていただきました)
 に拠れば、
「山崎新湖(喜多方市慶徳)は寛永の末年までで涸れた。」

喜多方市慶徳〜っ?
越後街道は、そんなとこ通ってないぞ〜!?

さらに、越後街道の変遷に関して、

「「越後街道」といわれるものは慶長16年(1611)の地震以前
若松→塩川→青津→勝負沢峠→東羽賀→西羽賀→塩峯峠→塩坪→
尾登→野沢→野尻→津川 ・・・ と辿ったのを

この地震によって勝負沢峠が崩壊したので、以後
若松→高久→坂下→鐘撞堂峠→西羽賀→野沢→野尻→津川となり、

さらに寛永5年(1628)、
若松→坂下→束松峠→縄沢→野沢→野尻→車峠→白坂→宝川→津川 となって、
これが明治15年(1882)の三方道路による藤峠の開削まで定着しました。」

との、お教えを戴いた。


ふ〜む
1611〜1628年の間の街道に、東羽賀がない。
もしかして、半分以上、水没したか?

喜多方市慶徳町山科地区(喜多方市南西角)、
あった、山崎集落(↓下図2
海抜は、175m直ぐ上だ。ここか?山崎新湖?

ところで、街道沿いの青木集落(下図6)・青津集落(その左)の海抜は、176m台だ。
そして、これらの集落が水没したと言う話は聞かない。
さらに、山崎集落をはじめ、山都町街、東羽賀集落も、175m直上にある。


もしかして
山崎新湖とは、
只見川(下図左、上下に流れる川)と、阿賀川(下図、右下から左上に流れる川)
合流点(下図、左上1/4)が堰き止められ、その上流の、海抜175m以下が水没した
湖だったのではないだろうか?

国土地理院の5万分の1の地図を読み込み(2万5千分の1を参考にし)
海抜175m以下を、青く染め抜いてみた(↓)
なるほど、山崎新湖だ。
越後街道も、少し水没している。


 (→)(A)坂下町・長井の袋原集落
 手前の森の陰が、蛇行し枯れか
 かった昔の阿賀川。左手の山の
 手前が、今の阿賀川。
 
 (←)(B)汽車に重なる、暗青の大地が、
 山都町三津谷地区だ。
 2段の河岸段丘の上は、海抜200mだ。





:喜多方市街西縁  :喜多方市慶徳町・山崎集落 :山都町街
:高郷村・東羽賀集落 :高郷村・西羽賀集落 :坂下町・青木集落


 (C)越後街道(1611以前)に載せた
 写真と同じ所(上図の4と5の間)
 から、上(北)を撮影。上図只見川
 下1/3 胃袋の形の所が映っている。


 (紅葉した時だったが、やっぱり曇りで、
 画像処理で、明るめの紅葉調にした。


 (D)喜多方市・慶徳地区・
 山崎集落。 集落と田圃に数mの
 高度差があり、

 阿賀川(中央上1/4〜右上1/3)に
 向かい、緩やかな傾斜で
 水田の高度が下がっている。




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