このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
石山遊歩道(背あぶり山) |
H15.07.21(曇)
会津若松市の南東、背炙山(せあぶりやま、863m)には、
現在のドライブ・ウェイ(”東山サンライン”と言うらしい。私は知らなかった)を横切り
直登するような遊歩道(石山遊歩道)がある。
この遊歩道は、豊臣秀吉が会津下向時に通った旧白河街道の可能性あり。
と、(私は)密かに思っている。
ので、(トレーニングを兼ねて)登ってみた。
背あぶり山 石山遊歩道 | 秀吉が通った 旧白河街道か? |
道路地図(マピオン) 1/2.5万 地図:若松 |
ルート 図 | 遊歩道3の出口が地図と違います。 残雪期のレポ も参照してください。 |
車は、東山温泉街直前の右手の東山小学校跡(温泉旅館の駐車場でもあるが)の
奥は”松平御廟駐車場”となっているので、そこに留めると良い。
東山温泉入り口の変形十字路(奴朗ヶ前)の北東角に2軒の茶屋がある。![]() 沿道には地蔵様もたくさんある。その道に入ってみた。 (結果的に、この道は、街道に関係なかったかも・・・です。 この部分のルート図は、 こちら 。) 少し登って右、または、突き当たって右に曲がると・・ | ||
![]() 正面は、砂防ダムで終わってしまう。 左に、”奥の細道”(?芭蕉は会津に来てないが)等という 案内板と伴に幅3m程の道があるので、登ってみた。 | ||
沿道は、たくさんの野草で、花盛りだった。![]() | ||
![]() ヤブカンゾウ(藪萱草) オシベが花弁化した半八重咲きで、 花の形が分りにくい。 | ||
![]() 葉は薄い卵形で葉縁に鋸歯あり。、実の直径 1.5cm。高さ5mの落葉低木。和紙の原料の 楮は本種とカジノキの雑種。 紅花苺も似るが、紅・・は、葉は3小葉で、もっと高山の 水場に多い。花は下向き紅色。枝や葉に全く刺が無い。 | ||
![]() ドクダミ(毒痛、毒溜) 言わずと知れた?日陰ならどこでも生える。 毒痛説:殺菌・消炎・利尿効果がある。 田舎には、今でも、愛用している お婆さんがいる。 毒溜説:強い臭が、毒を溜めていると嫌われた。 「嫁の屁」「疫病神」・・の俗名もあり。 | ||
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![]() キンミズヒキ オカトラノオに似て、黄色の花。 葉は細長で3出。花期は7〜10月。 | ||
道は、やがて、踏跡だけになり、 さらに、 倒木の後は、踏跡さえなかった。 ![]() ここは、街道に無関係だったかも・・・・m(_"_;)m | ||
やむなく、車道に戻り、東山サンラインを登った。 | ||
御宿東鳳を過ぎ、3つ目の左カーブの後に、石山遊歩道の最初の入口がある。 道幅は2m弱で、良く整備してある。ここが、旧白河街道ではないだろうか? ![]() 海抜で250m弱の登り、腹部に巨大なハンディーを持つ私の足でも、 40分程で登り終えた(車道に出た)。 | ||
山頂方向は右手である。国土地理院の5万分の1地図では、ここから 2km程は、車道を歩かねばならない様だ。 実は・・・、 車道に出て、20m程登ると、直ぐ右手に下り道がある。案内板の字が剥げ 落ち読みづらかったが、そこが、石山遊歩道の続きの様だった。 (後日、そこを、歩いてみた。) 少し谷へ降りて、湿地の傍を進むと、やがて、横T字路になる。真っ直ぐの 道は本当の道っぽいが、湿地様で、やがて、道がなくなりそうだった。 左に曲がり、山へ登る道を選んだ。登り続けると、下の二枚目の写真の 標識の所に出た。 | ||
(初回は知らなかったので) 車道を(右へ)10分程?登った。 2つ目のカーブに、石山遊歩道第三の入口がある。 ![]() 道幅は1m弱と、狭くなる。 しばらくは、なだらかな登りだ。 ![]() 頂上近くの最後の部分は、急な登りだった。 苦しくなった私は、 ”写真撮影”という名の、小休止を取った。 | ||
![]() 〇〇ウド、〇〇ニンジン・・・似たものが多いが、 この花、私だと、見上げる高さに、大型ながら、 スッキリ綺麗な花、茎が節毎に少し曲がる。 シシウドで良いだろう。 | ||
![]() 萼(がく)と萼がつながり、間の所が上に 反り返っている。 萼の反り返りのないものは、 ヤマホタルブクロ。 | ||
程なく、車道に出る。第三の遊歩道は、30分弱の歩程だった。 車道を数分歩くと、関白平(=峠)だ。 関白平らの西側(黄金平)からは、若松市(写真上の薄水色)が良く見える。 ![]() ![]() ”おけい”は、戊辰時、会津藩のドイツ人軍事顧問 ヘンリー・スネルの屋敷で、お手伝いをしていた。 戊辰敗戦後、スネルは若干の会津藩士と共に、 アメリカ合衆国カリフォルニア州エルドラドに入植した。 17歳の”おけい”も同行したが、翌年には(コロニーは失敗し)、 ビーア・カンプ家の手伝いに入ったが、19歳時、高熱を出し逝去した。 入植地の見える丘に埋葬された。 昭和32年、同じ墓が、故郷・若松市の見える背あぶり山にも建てられた。 詳しくは、会津若松市公式HPのこちら。 | ||
![]() ママコナ(飯子菜) 下の花弁に、白い米粒の様な斑点が2つある。 この斑点は、盛りを過ぎると、濃い赤に変わる。 | ||
![]() ウツボグサ(靭草) 靭:矢を入れて腰にくくりつける容器 背あぶり山のウツボグサは、ことの他、色が濃い。 |
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