このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 ペロポネソス駅の狭い駅舎内に二つしか無い出札口には人々が溢れていた。切符を購入する列に並んでコリント迄の片道券を手にしたのは硬券だった。これは懐かしくて良い。すぐホームに出ると油の染付いたレールが一本走っていて、あとは側線が3本の簡単な構内だ。入って来たのは青いスタイルの好いジーゼル列車だった。すると待合所からどっと乗客が殺到して乗り始めた。
 私は指定席だがやはり満席だった。隣の車両はと覗くと通路にまで乗客が立っている。その事が大変な旅になった。先頭車の半分がカーテンの付いたシートも柔らかい指定車だったが、いざ出発を始めると先頭の半分がジーゼル機関室になっていて振動が激しい。しかも狭軌の為に横揺れも加わって賑やかな事で頭の芯まで響いてきた。ビュッフェ車へ行こうとしたがデッキまでも一般乗客が溢れていたので諦めた。停車駅の出発や勾配でエンジンを負荷す時にはからだにバイブレーターの按摩である。外の景色を楽しむ間も無く1時間半を過ぎて松ノ木の有る駅に着いてやっと一息、和んだ気分になった。
ペロポネソス駅舎懐かしい硬券松ノ木の有る駅
 ここからの景色は禿山風景と違ってギリシャの赤い屋根と白い壁、オリーブ畑の丘陵が続いて美しい。停車した駅で明るい色の対向列車と交換すると自分の列車は大きくカーブを始めた。海溝が近づいてきた。エーゲ海とイオニア海を7㌔で結ぶコリント運河である。列車は海面から60米をそろりそろりと渡って行く。その下を1艘の白い汽船が此方に向かって来る。やがて到着したのは真昼の日差しが強い南国のコリントス駅だった。青い丸の信号板を掲げる駅手の合図でアテネから乗ってきたジーゼル列車は半島の南部カラマタに出発して行った。
コリント運河南国コリント駅舎出発信号板
 駅前はまったくの田舎で農家の平屋が並んでいるだけ、空地の中に野猫が群がって珍しい東洋人を警戒している。街らしい処は遠くだったので次の折返し列車でアテネに戻ることにした。出札口で再び硬券を購入すると、列車は半時間ばかり遅れていると言う。かっては繁栄したであろう広い待合室が手入れも無く残っていたのが虚しかった。構内で車両や駅舎を撮影していると重々しい響きがして重連のジーゼル機関車が客車を6両牽引してやって来た。今度は静かな2時間で帰れると思うと安堵した。最後部は荷物車で次の車両に乗り込んだ。乗客もまばらで自由に席を移動できた為に左右の景色を堪能する事が出来たのだった。
ジーゼル機関車のアテネ行き列車廃車?のミカド型蒸気機関車
 中間のメガラ駅からは少し乗客が乗ってきた。再び景勝の海岸を眺めていたが線路は今にも崩れそうな断崖を這う様に延びている。カーブの連続で楽しかったので窓を開けようとしたが硬くて巧く開かない。すると男性の乗客がやって来て窓を上に広げてくれたので、カメラを海や列車に向けて撮影した。さっきの男性の席に近づき「サンキューベルマッチ」と言うと「キャナイヘルプユー」と英語だ。日本から来たと言うと「こんにちは」にびっくり。彼は船員だった頃に横浜や神戸にも寄港したと言う。今日は家族達とアテネに遊びに行く処だった。
 アテネが近づいた頃には乗客も多くなっていて、再び車掌が検札に来たので提示するとポケットに回収してしまう。「あれー」と顔を見上げると「スーヴァニール」(記念に)と笑顔で手渡してくれた。次の停車駅アナリギリの構内には廃車に混じってミカド型のSLが止まっていた。撮影のためデツキに出るとスーヴァニールの車掌君が「アテネの下車駅はここでは無い、次だよ」と親切に教えてくれる。そして元船員の家族連れが下車際に寄ってきて「サヨナラ」「コンバンワ」と言ったのには愛嬌も噴出しそうになった午後3時を過ぎた車内だった。
1998年2月28日

BGM:ヘンデル作曲「勇者は帰りぬ」はさんのMIDI作品です      

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