このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


 ベトナム豪華寝台列車

 ハノイ駅に到着したのは午後9時丁度だった。アメリカの爆撃で破壊され再建された正面中央口には赤いネオンの駅名が大きく架かっている。その下を入ると乗客たちが集まり始めていたが静かな構内だった。首都の駅らしく世界主要都市の時計が表示されているが、分針がまったく合っていないのはご愛嬌か。待合室からホームに出るのには女性駅員が立っていて、乗車券をチェックしてから通すだけ。線路と同じ高さの構内をどんどん進み、レールを横切る通路を渡って乗車する列車の機関車前を通過してやっとホームにたどり着く。さらに車両を数えながら200米進むと寝台車が見えた。窓際にオレンジ色のランプと二段ベッド、もう欧米の乗客が寛いでいる。私の乗車する14両目の入口で乗務員にバウチャーの提示をすると「ウェルカム」と返ってきた。

 乗り込んだ個室は4人用で純白のシートがセッティングされていて、枕元にウォーターボトルとタオルが入ったポーチが置かれていた。中央の細長いテーブル上にはプラム酒が注がれたグラス、そして小皿に乗った楊枝を刺した角切りチーズが4人分で乗客たちを歓迎していた。室内はとても明るくて快適で、私は上段ベッドを選んだ。
 定刻の午後10時00分、ガタンと大きく揺れて列車は出発した。すると通路いっぱいの大柄なアテンダントがにこやかにウェルカムの挨拶に回ってきた。胸には [Victoria SAPA] のマークを付けていて、もうホテル列車の中だった。
 列車がゆっくりと構内を行くうちに単線になり、ゲートを出ると市内のバイクの洪水が停車している踏切を進んで行く。両側に民家の軒が迫った狭い間を右にカーブしながら少しずつ登って高架になっていったが速度は自転車程だ。その間も車両の揺れは激しく、左右に上下にガタンゴトン、レールの軋む音がギギギッガガガーと響いてくる。やがてロンビエン駅ホームを通過してホン河の大きな橋に差し掛かった。

洗面台しゃがみ式トイレプルマンカーのトイレアテンダント
 私の乗車した車両の後にプルマンカー2両と食堂車が連結されていた。この4両がビクトリア・ホテル専用で他の車両との扉はクローズされ、乗降口もロックされたまま終着駅ラオカイ迄の一泊ホテルです。今がベトナム観光のベスト・シーズンの為に欧米からのツアー客が多く、私の車両は増結されたベトナム国鉄仕様の寝台車だった。
 トランクを下段シートの下に格納すると直ぐに車内探訪に向かった。ホテル専有のプルマンカー内部は木製の安南風でシックな造りだった。レストランカーに入るともう欧米人たちが賑やかに楽しんでいた。喫煙場所もここに限定されていたので早速ハノイ市内で購入した高級たばこタンロン(昇竜)に火をつけた。サービスにボーイがグラスのプラム酒とチーズをテーブルに運んでくれた。この酒は宿泊ホテルの高原の町サパ特産で、甘口の香りの良い赤ワインの様な果実酒である。ところが出発以来続く車内の振動はますます酷くなってグラスの中の酒が飛び出しそうになり、慌てて咽喉に通した。

 個室に戻ると他の3人はベッドに潜っていて、明るい照明も落されていた。上段の天井も余裕があり居住性は良い。11時に横たわるが振動は相変わらず激しい。ローリングにピッチング、時々下からの激しい突き上げが入る。突然左右に大きく傾く為に中越地震の連続である。短いレールの継ぎ目がガタンゴトンとリズミカルに響いてくる。この揺れは、道床、レール、車両が巧くマッチしていない為に発生しているものと思われる。これでは豪華振動列車だ。
 しかし暫らくすると長旅の疲れか、すぐに眠りに入ることが出来、翌朝5時を過ぎて目覚めた時には振動も無く静かな走行になっていた。あの激しい振動は途中で無くなっていたのだ。

増設されていたエヤコン完備の寝台は豪華振動列車だった

 午前6時30分、到着したのは中国雲南省河口と川を挟んで国境を接するラオカイの町だった。まだ朝霧に湿ったホームを乗客たちが大きな手荷物を持って降りて行くが、フランス人が開発した1450米の高原の避暑地サパに向かっての足取りは軽やかだった。
2004年11月9日

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