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05カンカン遍路行状記



 糖尿病悪化。平成17年、2月〜3月。四国の遍路行を断念。大事なものを紛失したような鬱陶
しい気持で梅雨を迎えてしまった。
平成17年8月8日【88クリーンウォーク四国】参加のついでに、ぐるり回ろうと考えた。

 『……最近体調も良くなってきましたので……』
『四国へんろには行かないほうがいい。数値がよくない。止めた方がいいんだが……』
そう言ってカルテの手を休めると、度の強い眼鏡越しに患者を見詰めた。
医師は、当方の嘘を見抜いている顔である。

 『どうしても行くというなら、無理をしないこと。飲料水は充分に携帯すること。インシュリ
ンは半分の4単位にすること。低血糖に充分注意、砂糖などを忘れず持参すること……
本当は行かない方が良いのだがね』
主治医は、行かない方がいいと、また念を押した。

 老人とは我侭、自分の命、貴方のお好きなようにどうぞ。と言われたようにも思えたのだが、
許可を勝ち取ったことが嬉しく、腹の立たない診察室であった。
「万歳、俺は行くぞ」

 8月4日、早朝出立。新幹線で東京から大阪へ。大阪駅から高野山に向う。
高野山納経所、時間をかけて無理なお願い。道理が引っ込んで、これも老人の我侭。
「これが最初で最後」の宣告。【しまったもう少し増やして置けばよかった】と後悔あとに立っ
たが、和歌山1泊。翌朝、船で徳島港に向った。

 電車に揺られ牟岐町。此処で連泊。
8月8日は【88クリーンウォーク四国】
【牟岐町お接待の会】準会員であるからには、一宿一飯の恩義、「お接待の会」の皆様と行動を
共にする以外道なし。覚悟はとうに決めている。昨年は大雨に祟られ、集合しただけで、やがて
散会。今年は晴天、2回分をと頑張ってみた。

 クリーンウォーク無事に終了8月9日、再び電車に揺られて徳島駅を通過。板野駅で下車。
3、2、1と逆打ちをして、1番霊山寺前の民宿に宿をとる。翌日電車で板野駅まで。一度歩い
た道は二度歩きたくない、省エネの性分。此処から何時もの通りのコースを歩き出す。
それでも遍路慣れした証だろうか。歩くこと、乗り物を活用すること、気分に従うことに拘りは
ない。

 「88ヵ寺を1日でも少ない日数で……新記録達成を……」早周りのオリンピック精神を捨てた
ら、気楽な四国漫遊を心ゆくまで堪能できることを会得している。
 
 霊場を巡り、悟りを啓く。と人は言うが、衆生に生きる光を与えた高僧の伝記を読むにつけ、
歩いた位で悟りを啓くなど【おこがましい】限りである。他人より速く八十八霊場を駆け抜けた
実績を【これが耳に入らぬか】と吹聴するのが精々。それが今様の人の、心であるからだ。

 切幡寺、藤井寺を過ぎて鴨島駅前で1泊。前回お世話になった徳島市民病院。再診をお願いし
ようと電車を利用して訪れてはみたが、人影もなく入り口は閉まったまま。裏口へ回って守衛に
尋ねたら、「本日は土曜日で オ、ヤ、ス、ミ」。
曜日も日にちも、己の痴呆症すらも忘れてしまう、四国とは困ったお国柄である。
 
 鶴林寺麓の宿に連泊、番外慈眼寺に向う。これが3度め。「向う」とは聞こえはいいが、自分
の足で歩いたのは1度だけ、残りはバスの脚を借り果報は寝て待てだ。路線バスは廃線となり、
町営の小型のバスが運行していた。
早朝、元気溌剌バスに乗り込んだ。勿論歩かないのだから、元気溌剌である。

 橋の袂で下ろされて、此処からが登りの本番である。だら登りの道が漸く灌頂滝の下に出た。
見上げると滝がない。今夏は旱魃。雨の降らない日が続き、岸壁を流れ落ちる水すらないのであ
る。滝のない岸壁は背丈が低く、横に広がりすぎているように見えた。それに岩肌の皮膚は薄黒
く、斑に染めて汚く見えた。


  水のない滝の顔              僅かに滴る滝の水

 薄黒く汚れた岩肌であるからこそ、流れ落ちる水は素麺のように白く淑やかに見せて、見る者
に感嘆を与えるのだ。岩肌が滝を引き立て滝の白さが視線を引き付け、広い岩肌を一幅の襖絵の
よう縦長に切り取り 岩肌の陰影を美しく引き立ていたのだ。水のない滝を見上げて灌頂の滝の
本当の美しさを思い知らされた気がした。

 車で乗り付けた賑やかな家族は、「滝がない」と大声を上げて再び車に乗り込み、坂を下って
いった。水が流れなければ確かに滝ではない。しかし水がないからこそ水に隠され続けた岩肌が
見れたのではあるまいか。仮に今後100年、年1回四国を遍路し続けても、水のない灌頂滝を見る
ことはできまい。そのように思えば今夏、灌頂の滝、慈眼寺まで足を延ばしたことはラッキーと
言わざるを得ない。

 36番青龍寺近くの民宿に宿をとる。翌日早めに宿を出る。宇佐大橋を渡り暫く歩き高知県交通
宇佐出張所の待合室に腰を下ろす。 
老齢化そのものの肉体と年の功とが相俟って、何食わぬ顔をしてバスや電車に乗りたがる。その
連続である

 今日は遍路みちをそれて、花山院廟を尋ねる大義名分がある。だからバスに乗ることに、なん
の躊躇いもない。

 乗るべきバスが姿を現した。以前に比べると何と小振りになったことか。
発車まで30分もある。その間、待合室のベンチで腰を痛くしたまま。発車間際に、漸く乗車扉が
開いた。最前部に陣を取り運転手に花山院に行きたい旨を告げ、近くの停留所で下ろしてくれる
よう依頼する。

 バスは8キロほどの道程を、停まることを忘れて走りに走った。つまりこの区間、乗る人も降
りる人も居なかったわけである。バスは小さな橋を渡って停まった。
「この道を川に沿って行きますと花山院廟はあります。山の方へ入りますのでもう一度、部落の
人に訊いてみてください」
親切な運転手さんであった。確か浦の内の出見というバス停であったと思うのだが……

 乗客のいなくなったバスは砂埃を上げ、小さな尻を左右に振って海辺の崖に消えていった。
運転手がひとり。乗客がひとり。だから【ワンマンバス】と言うのだろうか。

 昔、バスには切符を切る車掌さんがいた。合理化の名の下に機械化され、運転手ひとりだけで
運行するようになった。将来、運転手ひとりに乗客ひとりになることを見越して、ワンマンバス
運行に踏み切ったとするならば、バス会社には先見の卓越する逸材が跋扈していたに違いない。

 ワンマンの状況が続いたら、バスは軽自動車のように小さくなる。
運行本数が減り、やがて廃線に呑まれるのではあるまいか。ご老人は別な意味で先が見えている。
仏様になれるチャンスが其処まで来ているのに、今更お大師さんに功徳をおねだりすることはあ
るまい。
 
 バスが大きくなるように……。電車に笑みがこぼれ、車内が賑やかになるように……。
老人は運賃を払い、乗ってのって乗り捲くるべきではあるまいか。四国を巡って戴いた【お接待】
大事にあの世まで持って行ったところで、どうなるものでもない。
生きている間に【ワンマンバス、ワンマンカー養育の為】、乗ってのって乗りまくリ、いただい
たお接待を運賃に代え、払って払ってお返しすべきではあるまいか。 財布が軽くなったと、思
い煩うべきでない。

 日本人の平均寿命が延び続け、あの世でも人口の減少に困り果てている。高知県営種崎渡船の
ように、今は三途の渡し賃など、無料で運行されているはずである。
最後の渡船も無料。奪衣婆も特別期間限定で、当分の間海外旅行に出掛けていると聞く。
財布が軽くなっても、今更恐れることは何もはない。
 
 ここ3年、四国ではアキカン拾いに終始してきた。平成16年は霊山寺から雲辺寺間、タマちゃ
ん袋で114袋拾ったのに、今年平成17年は同じ区間を拾ったのに71袋であった。
【88クリーンウォーク四国】や地元自治体による清掃運動ゴミ拾いで「捨てられているゴミが少
なくなったのだ」とすればポイ捨ては以前の通りで、モラルの改善は見られないことになってし
まう。
【ポイ捨てはしない】ひとり一人が、心がけたいものである。

 ≪高野山での無理なお願い≫ 説明不足でした。
アキカン拾いを始めた時、アキカン引取りの場所として108ヶ所のお寺さんにお願いをいたしま
した。快諾のご連絡をいただいたのは50余ヵ寺でした。50余枚の写経の後部に高野山の印をいた
だき、前部にアキカン引取り霊場のそれをいただくことでした。

 毎日門の前に立ち、その日最初に通り過ぎる編のにお接待をする、杖をついたお婆ちゃん。
S字自動車道を真直ぐに登る最短距離のへんろ道。毎月清掃を続ける76歳と84歳のお姉さんたち。
畑にお座りをしながら草を取り、行過ぎる遍路を待ち続けるお姉さん。
『お金ないけんのう、高野山によろしゅうのう』
財布から、なけなしのお金を取り出すお婆ちゃん。
 体が不自由で高野山にとうとういけなかった。そのような人たちに高野山ご霊場のご朱印を、
お渡しする。

 本来戴いたお接待は寺院に納め、【お接待を下された方の為を祈る】と聞かされたが、了解を
得て【NHK歳末助け合い海外の部】に納めることにしている。お寺さんはとてもお金持ちに思える
からである。

 今回はお遍路ではなく、チンタラお四国巡りであった。選挙はある筈が無いと踏んで四国へ渡
ったのに、不在投票をする破目になった。区切りのいい窪川から一旦帰宅。とんぼ返りの心算が
四国を台風が襲いJRが運休、結果自宅で6日もチンタラしてしまった。
7日目に窪川に戻り、再び歩き出した

 【花へんろ】言葉も写真もテレビの映像も綺麗である。春の四国、映像で見る菜の花畑。へん
ろ道で出会うことはない。道端に菜の花が見れたら、ゴミのポイ捨ては無くなるかも知れないし、
お遍路さん少しは増えるかも知れない。
テストケースだ。徳島県の国道県道のポイ捨てアキカンの多い所に、菜の花の種を蒔いて見た。
 
 発芽率は25%位で背丈10センチの、か弱いものもある。だから今年平成17年は考えを変え、お
へんろ宿の人たちに種の袋を渡し、畑に蒔いてくれる様に依頼した。
「へんろ道に畑はないよ」
「遍路道に畑のある、お知り合いに頼んで下さいよ」
こちらも簡単には引き下がれない。
しかし、アキカン拾いに菜の花の種蒔き。2兎を追っているのだから、上手く行くはずはないの
かも知れない。

 体調は案の定、雲辺寺下に着たらもう駄目。連泊したがどうにもならない。

 菜の花の種は、東北は福島県の種店に電話で注文した。
「30キロ? 北海道に蒔くのかね」返ってきた返事である。
四国のへんろ道に蒔くといったら、10キロあれば充分、それでも余ると言われた。

 考えた末に15キロの注文をしたのだが、香川県には蒔き切れない種の袋を、お持ち帰りするこ
とになってしまった。1年経てば種の発芽率が悪くなると聞く。残りは多めに蒔けばいい……か。
そうすれば残りの種は、香川県で何とか消化できるだろう。それよそれそれと考えながら、阿波
池田駅から電車の人になった。

 来年は【88クリーンウィオーク四国】に参加したあとで、雲辺寺の麓から結願の大窪寺先長野
のバス停まで種蒔きをすればいいか。【一寸先は闇】の歳もわきまえず、来年を考えた車中での
勝手な夢であった。平成の花さか爺さん。まっこと夢のまた夢だが、その時までの暇潰しには悪
い話でもない。
 誰にも邪魔されない夢、だから四国の旅は見飽きることがない。

CAN
 四国八十八寺 遍路の旅をして 06.04

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