このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 「第九」の里 ドイツ村

 

 1番霊山寺を打ち2番極楽寺に向かう。程なく坂東谷川に架かる橋を渡り終えると、すぐに信号機のあ
る交差点。右に折れて500メートル程歩くと写真のように異国風な建物が見えてくる。
これがドイツ館である。

 林 啓介著 「第九」の里 ドイツ村 の前書きで紹介する、元ドイツ捕虜のエドアルド ライボルト氏
が坂東の古老たちにあてた手紙の一節。
 「……あのおり私たちは捕虜でありました。そして皆さんは戦勝国の国民でありました。にもかかわら
ず、私たちたちは心を通わせ合いました。国境も、民族の相違も、勝敗もそこには存在しませんでした。
 皆さんと私たちは それらすべてを乗り越えて、心を一つに強く結ばれあったのでした。
友愛という一つの心に……」

 これは民族の違いを超えた美しい心の詩、心の交流である。

 坂東の捕虜収容所のドイツ人は日本で初めてベートーベンのの「第九交響曲」を演奏したことで有名で
あるという。
坂東での「第九」の演奏は1918(大正7)年6月1日であったという。
異国の地で、彼等はどのような想いで「第九」を歌ったのだろうか。

 館内は広くはない。何気なく飾られた写真や遺品に触れえると歌心がなくても、此処の広場で「第九」
の合唱を無性に聴きたくなる。不思議な雰囲気を感じる所でもある。
ドイツ人捕虜と素朴な坂東の人たちとの交流。何時しか勇気と希望を与え敵味方を越えた歌声。
やがて共にスクラムを組んで第二次世界大戦に敗れ、各地に捕虜となった日本人とドイツ人。
「第九」は夢と希望を与えながら、片や哀しみと悔恨の涙を流させるものなのだろうか。

 「第九」を歌うなら、一度は訪れたいドイツ館。歌に乗せる心が新しくなると思う。
歌わなくても館内を一巡りすれば、四万十川に落ちた雨は四万十川を流れなければならない訳が見えて
くる。希望があろうと涙があろうと、この水の惑星に住むものの宿命(さだめ)であると……

CAN


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