このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

大師饅頭



 洋菓子には興味がない。狙いは何時も【まんじゅう】である。
このお店、40番札所観自在寺の入り口の角にある。初めて四国を巡った時から、別なる意味で気になる店
であった。
ガラス戸越しに覗くと、陳列ケースの中で様々なケーキのが所狭しと群れ泳いでいたのである。
糖尿君は余の関知しない菓子、と思い込んだまま通り過ぎていた。

 平成18年。医師には甘い物は厳禁とは言われていたが、観自在寺まで来たら急に甘いものが欲しくなっ
た。勿論、欲しくなったのは私ではなく、糖尿君である。
ショーケースには艶やかなケーキが、これが目に入らぬかと並んでいる。ガラス越しに恨めしく眺めていたら、
隅の方にケーキとは素性をことにする、饅頭らしきものが蹲っているではないか。

 元気よく扉を開けて店内に入った。若いご主人は饅頭だという。しかも、名は大師饅頭。壱千余百年も
過ぎればお大師さんとて変わり身は早いもの。宣伝を含めた綺麗な袈裟に包まれていた。
信仰心が有ろうと無かろうと歩き疲れたへんろを店の片隅で待っていてくれたのである。

 糖尿君感涙に咽び、いそいそと一箱を買い求めた。山門を潜り御本堂お大師堂の御参りを済ませ、宿に
て大師饅頭の写真を撮り心ゆくまで賞味したことは言う迄もない。撮影時確認した作品は土門先生と紛う
ものと自画自賛、佳作中の佳作の自信はあった。が、如何弄くり回してもこれ以上の【大師饅頭】の写真
にはならないのである。御参りの前に饅頭を買ったことがお大師様のお怒りに触れ、このようなピンボケ
の写真に変化したものと、糖尿ともども大いに反省した次第。

 反省したとは言いながら人間の、とりわけ糖尿の性とは哀しいもの。次回も入門前に饅頭に手を出した
のである。悔やみつつ予約の宿に着いた。
『この饅頭、へんろの皆様と召し上がって下さい。写真も撮りたいのでその内の2個を私共にもお願いし
ます』
 おへんろさんに饅頭を差し上げることで、お大師様にお縋りしようと考えたのだが………。
待てど暮らせど饅頭は姿を見せなかった。
『昨日の饅頭、美味しかったゎ。ご馳走様でした』
お大師様は、此度も饅頭の先買いに怒っておられるのか。糖尿と私2個の請求に怒っておられるのか。
それは判らない。2個は誰の胃袋に或いはお大師様の胃袋に納まったかも定かでない。

『写真が上手に撮れたからとて、饅頭の旨さが判るわけではあるまい。喰ってみるのが一番。饅頭を捨て
て、包み紙を集めている人間など聞いたこともない。饅頭は食うことに尽きる。あの世に行って叱られる
ともこの世で一つでも多く口にすることが肝要……』
饅頭が期待を裏切り姿を消したことに、糖尿は口を尖らしている。糖尿君の言い分にも一理あり。
彼の持論に賛成の皆様。何処の饅頭も天下一品。目に付いたら御賞味あれ。
【霞と写真の饅頭は、食えた例なし】と言うじゃありませんか?

CAN


観たり、訊いたり、糖尿の食い倒れに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください