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遍路行進曲
いろいろな行進曲はあるのだろうが、行進曲というとパチンコ店から叩きつけてくる軍艦マー
チ。〜守るも攻めるもくろがねの〜、を思い出してしまう。
ピッカピッカのへんろに変身したとき、拳を握り眦を決し一点を見詰めたまま、聴き慣れた軍艦
マーチを足で聞き、気忙しい【キント雲】に乗って、寺から寺へと駆け抜けたような気がする。
平成11年の春であった。
車のお接待も断り、息急切って走り通して手許に残ったものは、1枚に17600円を支払った朱印
白衣、1冊に26400円を支払った納経帳、1軸に44000円を支払った掛け軸。
それぞれが2組ずつであった。勿論材料は別、加工賃だけである。
納経帳は本箱に納めたまま、軸は床の間に2枚並べて下げている。勿論表装もしていない。
朱印白衣は棺桶の主が身に着けたまま、天国か地獄へ行ってしまった。
懸命に走り抜けた、四国へんろとは一体何だ。
考えても浮かぶものは何もなく、お接待だけが【しこり】となって残っただけであった。
それから、もうひとつのこと。
ある寺の御住職に、2枚2冊2本の訳を訊かれた。1組は亡き妻の為、1組は自分の為と答えた。
1人が1組、1組3点と決まっています。今のあなたは、お大師さんに前借をしたことになります。
次回はお参りだけ、もう一度四国に参りお大師さんに借りたものをお返し下さい。と諭された。
銀行のようにお大師さんも貸付をするのかと、その時は驚いた。しかし一度で目的が達成できた
ので、結果オーライの大満足であった。
百観音巡りのように、二度結願の心算はなかったからであった。
1年を休んで平成13年、再びお遍路に姿を窶すことにした。
お大師さんとは赤の他人、しかし霊場のご住職ともなれば、お大師さんと満更知らぬ仲でもあ
るまい。
『あの男、前借しながら未だ姿を見せぬのか』
お大師さんの返済の催促に、御住職に言い訳をさせては申し訳ない。借りた心算はなかったが、
貸したと言われれば返すしかない。そのような気持も少しはあった。番外20ヵ寺の参詣を残して
四国霊場結願と胸を張る訳にはいくまい、が本音であった。
宿泊は相部屋が普通であった。部屋を此方が占領、相手にその気があれば相部屋は成立する。
しかし、部屋を相手が先に占領していれば、相部屋は先方の意思に左右される。
相部屋を嫌う人種が多数を占める、いや絶対多数に流れたこの頃である。
平成13年番外を含めた108ヵ寺。2度目の四国遍路を決意した時の最優先事項は、2月4日〜3
月24日、49泊の宿の確保。相部屋を此方が決めるためにも、それは先手必勝49戦49勝でなければ
ならなかった。
へんろみち保存協力会の別冊地図を参考に計画を練り上げた。お屠蘇気分が抜けたか抜けない
か、早々に49軒のお宿に予約を入れた。「こんなに早い予約をいただいても……」仕方がないと、
言わんばかりの返事であった。
1週間前に再度予約の電話を入れることで了解を得た。3月4日宿泊旅館の予約は約3ヵ月前に
なる。「予約日通りに来ることは無理でしょ」と言われた言葉の意味を、四国に渡って始めて知
ることになる。
初めての遍路の時、七子峠の階段を踏み外し窪川町2泊、病院で治療を受けた苦い経験がある。
今回、このような事故があっては予約を変更しなければならなくなる。あってはならないこと。
予約の宿には約束通り1週間前に電話を入れ、宿泊前日にも確認の電話を入れた。
雨が降っても雪が積もっても、休むことは出来ない。約束した時間に、約束した場所に行かね
ばならぬ。何と男の痩せ我慢である。
雨の降りが激しい。「1日休んだら……」女将の言葉は此方の身を案じてのことである。
此方もその気になりたい有り難いことではあるが、雨の中でも歩かねばならない宿命でもある。
早い朝食もそこそこに、雨の中を歩き出す。初めての柏坂越え、時間は多く見積もってある。
それでも雨の峠は不安である。
De.あ.い.21 でトイレを借り、お茶のお接待を頂き絵画展を鑑賞。その為登り口の時間40分程
遅れてしまった。雨も激しく風も出てきた。登り道の凹みには雨水が溜まり、ちょろちょろ流れ
出している。
繁った木々が途切れて視界が広がった。風は喚き身震いしながら山肌を駆け上がり目の前の頂
を超えていく。大粒の雨の群れも風にまかれ舞い上がり、風に乗って山頂を越えていく。
此処での雨は降るのではなく、湧き上がり風に跨り雲に紛れて飛んでいく様。暫く歩く事を忘れ
てしまった。この嵐の中、歩く遍路もいないだろう。とすれば今、柏峠は私だけのもの。
嵐の中でこそ見せてくれた、柏坂の陰の顔でもあった。自然の恐ろしい風景でもあった。
霊場へ着けば山門での礼拝。手水を使って身を清める。から作法は始まるのだが、ここから直
に納経所を覗く。空いていれば其の儘、納経をお願いする。御本堂の礼拝は次になる。
本来【御朱印】は礼拝を終ってから戴くのだが、時間の余裕はない。
寺から寺へ走れや走れ、お猿の駕籠やだホイサッサであった。
軍艦マーチに合わせ格好よく行進したのではない。○○も○○も一緒、間髪に走り抜けたので
ある。
お蔭で49泊。寸分違わぬ108ヵ寺を繋いだ結願であった。
考えてみたら108霊場にタッチしただけ。修行の心も何処かへ消し飛んだし、功徳を積むことも
も無かったし、悟りなど遙か彼方の雲の陰、思いもよらぬことであった。
寺から寺へ案内標識や遍路マークの宝探しに必死であった。ゆとりなど何処にもない。歩いて歩い
て、泊って泊ってだけの毎日であった。
「何をしているのじゃ」お大師さんに叱られそうだ。
5回6回と回を重ねることで妙なゆとりが芽生え、何でも知っているような顔のチンタラ遍路
になってしまった。
「真剣さが足らんぞ」またお大師さんに叱られそうだ。
108ヵ寺結願を終えて、5年が過ぎる。
余裕が出来て周囲を見渡すことが出来るようになった。海も山も空さえも美しい。
『お大師さんは、お寺にはいないよ。お寺とお寺の間に居るんだよ』
教えてくれた先達さん。今頃になって判りかけてきた。
梅にサクラ、紫陽花、躑躅。へんろ道の雑草の花すらも、心のゆとりと癒しを与えてくれる。
信心を何処かに忘れたチンタラへんろにも、8回も歩き回れば「しょうのない奴よのう」と
美しいものを見せてくれるのかも知れない。
チンタラに合わせる行進曲は、もう無い。風の吹くままに流れる風船行進曲に出会ったときに、
四国へんろの何かが、もう少し判るようになるのかも知れない。
四国霊場巡りを何度も繰り返すことで、夫々の遍路にマッチした遍路行進曲が生まれるのだろ
う。ワルツでも良いしタンゴでも良い。足に合わせて早からず遅からずの行進曲を自身で見つけ
ることが、悟り(強ち宗教の悟りだけを意味しない)を啓く第一歩であるのかも……
人生の残りを考えれば、人間を含めた四国の美しい自然を記憶することの方が、冥土のよき土
産になるのではあるまいか。
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