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牟岐町お接待の会
卒業論文
O.Kさん
牟岐町お接待の会 1章 はじめに
2章 「お接待の会」
1.発足 2.活動 3. 特徴
3章 会員の話
1. 動機 2.感想 3.問題点と展望 4.まとめ
4章 考察
5章 付加価値
謝辞
注. 参考文献
1章 はじめに
近年四国遍路のブームがおこっている。数年前まで、バスや自家用車での遍路が一
般的となり、歩き遍路の人数は非常に少なくなっていた。それが今、急増していると
いうのである。
私の知人にも歩き遍路をしてきた人がいる。その人の話を聞いて驚いたのは、今で
もお接待が頻繁に行われているということだった。
接待とは、遍路に対して金品、宿泊などサービスを提供するものである。もともと
四国にのみあったものではないが、四国では積極的に行われる。そしてそれが現在で
も行われている。
遍路中の記録を見せてもらうと、日に何度もお接待を受けており、その内容も食べ
物やお金、車に乗せてもらうなどさまざまである。
見知らぬ人に物や金をあげることも、もらうことも、普段の生活では先ずありえな
い。そのため、なぜお接待をするのかということは、初めて受けた人、知った人の誰
もが抱く疑問ではないだろうか。
前田卓は、接待の動機を次のように分類している。
1難行苦行する遍路に対する同情心
2遍路に接待することを通して、弘法大師の接待している
3祖先の冥福のため
4遍路に出る代わりに接待をして善根を積む
これに加えて、自分が受けた接待の返礼報謝として行うものがあるとした…(1)
また遍路を対象にしたアンケートで、接待を受ける側の遍路に接待する側の動機を
推測してもらったものがある。その結果は、「弘法大師への信仰」が53%、「善根
などにより功徳をつむ」が35%、「先祖などへの供養のため」が28%、「その他」
が21%となっている。その他としては、「交通安全」「伝統.習慣」「お遍路さんを
ねじらう」「四国のいい想い出をつくってもらうため」などがあったという。
この結果について「歩き遍路の減少」にともない、前田卓があげた「難行苦行する遍
路に対する同情心」というものは薄れたと述べている…(2)。
このアンケート回答者164人中歩き遍路が7人だったためにこのように推測したも
のであろう。
前田の動機の分析は一見納得がいくものである。
しかし、バスや自家用車といった交通手段を利用する遍路だけではなく、歩き遍路
も、昔に比べてその道程ははるかに楽になったと思われる。お金を充分に持っていて、
ホテルや宿坊に宿泊する遍路が多い。お金を持たない遍路や、ずっと野宿で続けてい
る遍路も、その多くが自らの意思でしていることだと思う。接待をする側が、そうし
た遍路さんにも接待している場合、同情心は薄いと考えられる。
またアンケート結果によると「弘法大師への信仰」「善根などにより功徳をつむ」
「先祖などへの供養のため」が多数を占めており、これは前田の説と共通する。しか
し少数ではあるが「伝統.習慣」「四国のいい想い出をつくってもらうため」と推測し
ている遍路もいる。
更に、遍路側の動機の変化もある。近年の歩き遍路の増加には、特に20代の若い
遍路の増加が顕著である。そして彼らは、自分探しや、歩くことそのもの、人々との
交流などを求めて四国へやってくるという。こうした若い遍路の動きに伴い、接待を
する側の動機にも変化が見られるのではないかと考えた。
新城常三は、中世的な接待が近世に入り一般的に減退するなか、遍路にのみ接待の
慣行が残存した理由をこう述べている。遍路道の大半は宿泊施設、交通施設が発達せ
ず、接待の社会的存在理由が十分存続している。遍路には観光要素が乏しく、大半が
篤い求道者であるから社会の同情も退化しなかった。そして弘法大師信仰のためであ
る…(3)。
ところが現在では、設備の不備という理由は成り立たないし、遍路の大多数が団体
やツアー客でなどで、観光要素は非常に大きい。それでも接待が存続していることを
弘法大師信仰で括ってしまえるものだろうか。
この論文では、「牟岐町お接待の会」の活動を事例として取り上げる。次のような
わけでこの会を調査対象として選んだ。
「牟岐町お接待の会」は、後で詳しく説明するが、70名を超えるグループであり、
会員が当番表に従って交代でお接待を行っている。このような仕組みのお接待を私は
ほかに知らない。組織的に行われているのであり、個人的に行われるものとも、講や、
定まった日に集団で行われるものとも異なる動機が見られるのではという期待もあっ
た。
また、この会の発足は平成13年と非常に新しい。ここ数年の遍路ブームのなかで
生まれた会なのである。このため会の発足の経緯なども聞きやすい。
そこで数名の会員の方に話を伺うとともに、平成14年の9月と11月に数日間接
待の様子を見せていただいた。それらの結果から、接待の動機および感想や意見をま
とめ、考察を行う。加えて会の活動から生まれる付加価値をあげて、現在行われてい
るお接待の一形態として「牟岐町お接待の会」を見ていきたい。
2章 「お接待の会」
1 発足
徳島県海部郡牟岐町は、県の南部に位置し、高知県にも近い、太平洋に面した町で
ある。徳島県内の、札所間の距離は比較的短いが、県内最後の札所である第23番札
所薬王寺から、高知県室戸岬にある第24番札所最御崎寺までは、およそ80kmの
距離がある。現在の遍路の多くは国道55号線を通って最御崎寺へ向かう。牟岐町に
はその国道が通っている。室戸岬まで約60kmの場所である。
牟岐警察署は、その国道沿いに建っている。平成12年、当時の署長は歩き遍路の
増加していることを感じていた。この付近には休憩するところが少なく署にトイレを
借りたいという遍路さんも多いことから、警察署の建物横の駐車場にテントを設置し、
お茶などを備えた無人休憩所をつくった。はじめるにあたって、テントや椅子などの
備品は、署内での積立金から費用が出された。
ところが、警察署の敷地内という場所のせいか、休んでいく遍路さんが少なかった。
警察官も常に道路を見張っていることはできないし、たまたまお遍路さんの姿を見つ
けて声をかけても、寄っていかない。警察官に声を掛けられると「けっこうです」と
言って逃げるように行ってしまったそうである。
そこで、牟岐町ボランティア連絡協議会の会長である出口勉さんがたまたま署へ立
ち寄ったときに、署長さんから、「地元の女性の方々に、テントでお接待してもらえ
るとありがたい」という話があった
出口さんは承諾して、まず福谷啓資さんに声をかけた。福谷さんは、内妻地区で民
宿を営んでいる。内妻は古くから接待がさかんで、今も大師講が続いているところで
ある。その地区から何名か協力してくれることになった。続いて満徳寺の中村十七夜
月さんにもお願いした。中村さんは、満徳寺で行われているご詠歌の会の代表でもあ
る。ご詠歌の会からも数名出てくれることになった。これで二つの核が出来たことに
なり、改めてボランティアグループからも参加を募った。こうして内妻から19名、
ご詠歌の会から11名、ボランティアグループから17名の参加者が集まった。
平成13年3月、「牟岐町お接待の会」が発足した。
当時会員は47名だった。期間は、お遍路さんの多い春3月から5月と、秋は9月
から11月の各3ヶ月間、活動は火曜日、木曜日、土曜日の週3日に決まった。同月
3日、活動を開始した。
前期(春期)終了後、お遍路さんの人数の多さに、活動日数を増やす必要があると
して、会員数の増加を図った。手分けして、この人だったらやってくれるのでは、と
いう人に声をかけて、増やしていった。その結果会員は58名に増え、後期開始9月
1日から、活動日は火曜日、水曜日、木曜日、土曜日、日曜日の週5日になった。
こうして活動を続け、現在では、会員数は74名にまでなっている。
平成14年前期に立ち寄った遍路さんは、計660人に及ぶ。
2 活動
活動内容は、接待所でのお茶やお菓子のお接待である。国道はトンネルが多いため
に反射タスキ、また地図も配布している。
前期と後期の始まる前に、会員が集まって会合が開かれる。全員に連絡するが、集
まる人数は30人弱である。ここで当番表が配布され、活動内容の確認や連絡が行わ
れる。14年後期のための会では、注意点や新たに会に入った人の確認、希望者を募
ってバスで札所巡りをする案などが話しあわれた。
このとき配る当番表は前期、後期のそれぞれ3か月分をまとめて、主に出口さんが
作成している。人間関係や各人の仕事の都合などを考慮して、基本的には二人一組で
組まれている。急に用事ができて予定の日に出られなくなった場合は、誰かと交代す
るか世話人に連絡することになっている。
会員には年配の人が多いため、一期毎に抜ける人が何名かいる。時間がない、仕事
の都合といった理由でやめる人もいる。その度に補充するが、一度に5人以上抜ける
と補充も難しい。
経費に関しては、初年度は、設備を整えるために社会福祉協議会より3万円の寄付
を受けた。今年平成14年からは寄付金はもらっていない。
お菓子やお茶などは、当番の人が家から持ってきたり、買ってきたり、作ってきた
りするものでたいてい間に合う。新聞でこの接待所を見てお菓子を送ってくれる人や、
企業からの寄付、お接待を受けた人の母親が送ってくれることもある。タスキや地図
などは寄付である。それでも足りないものを買うことになるが、会員からまとまった
お金を集めることはしていない。
会員に対して行ったアンケート…(4)では「お接待の品物は寄贈されたもののほか、
会員の皆さんがそれぞれ持参しておりますが、会費は無料です。次の中から1つ選ん
で番号を○印で囲んでください。」という質問があった。それに対して、「1 現在
のまま無料がよい。」が18名、「2 必要があれば出してもよい」が22名、「3
年間会費をいくらか出してもよい。」が10名という結果が出ている。そこで平成1
4年前期からは、会員からの提言ににより、接待所に竹筒の貯金箱を設置して、当番
で来た人が、覚えていたら100円を入れる、という形になっている。月の終わりに
開けて、ご芳志として会費に組み込んでいる。これによって前期3か月間ではあわせ
て23.511円が集まった。現在のところ、これだけで充分出費はまかなえる。
これくらいの活動をしていて費用がかからないのも珍しい。今後も特定のスポンサ
ーに資金を出してもらうつもりはないそうだ。
夏や冬は遍路さんが少ないため、当番の人に常に二人待っていてもらうわけにはい
かない。それで現在は夏と冬は活動していない。しかし10年ほど前までは、夏に福
谷さんの民宿に泊まる遍路さんは数人だったが、今年は一日に数人通ったという。歩
きの遍路さんは目に見えて多くなっている。テントは年間通じて建っており、机や椅
子もある。警察署に入ってすぐのところには常にお茶が用意されており、会の活動し
ていない期間でも、休憩していけるようになっている。
お接待の説明をしよう。
一日の活動時間は午前が9:00〜12:30、午後12:30〜16:00であ
る。午前午後交代で、それぞれ2名の当番がいる。
接待所は、テントが1つあって、その下に机とベンチ椅子がある。午前の当番は、
接待所に来てまず準備をする。必要なものは、接待所の2軒隣にある隣保館という建
物の倉庫に入っている。それを持ってきて食器や菓子類を用意し、電気ポットに湯を
沸かす。水は隣保館から汲んでくる。電気は警察署の屋外の電源を利用している。お
遍路さんに名前や住所、年齢を記入してもらうノートや、地図を出して、準備は完了
となる。
準備が終わるとあとはお遍路さんをまつのみである。日和佐の薬王寺のあたりで泊
まったお遍路さんが、昼前頃から来始める。お遍路さんを見つけると、寄ってもらう
ように声をかける。国道に面しているので、来たらすぐにわかる。接待所のすぐ手前
に横断歩道があるので、道の向こう側を通るお遍路さんを見ると、そこまで走ってい
って出来るだけ横断歩道をわたってもらうようにしている。声をかけても牟岐駅を過
ぎてすぐのところにあるため、駅の辺りで食事をとった、急いでいるなどで、休んで
いかれない遍路さんももちろんいる。
遍路さんが寄ってくれたら、座ってもらってお茶やコーヒー、菓子などをすすめる。
すこし落ち着かれたところでノートに記入してもらう。「今日はどこまで行かれる予
定ですか」「〜から来られたんですか」などと話しかけたり、近くの番外札所や民宿
までの距離を聞かれたりといった会話がかわされる。近くの遍路道を紹介し、その入
り口を説明することもある。その他にもいろいろ話をする。地図や安全タスキも渡す。
また私が調査に伺ったときには、近くに住んでいるおばあさんが、遍路さんにといっ
てひとつひとつ手作りした、小さな紙人形のついた袋の割り箸も渡していた。
お遍路さんはしばらく休んでから出発する。皆さんお礼を言って行かれる。納め札
をおいて行かれる人や、団体だと般若心経をとなえていくこともある。それを「お気
をつけて」といって見送る。
トイレは隣保館が開いているときは隣保館へ案内する。開いていないときには、警
察署で借りている。
12:30に近づくと午後の当番がやってくる。終了時間が来ると片づけをして一
日の活動は終了する。
当番でない人が、車で薬王寺に向かって、お遍路さんが来ているかどうか見に行く
こともある。見つけたら牟岐に接待所があることをおしえる。
金曜日は休みになっており、当番は決まっていないが、近くの人が出てきてお接待
をしていることもあるようだ。
以上が基本的な活動内容であるが、このほかの活動も行っている。
旧遍路道の復元も行った。遍路道を整備して、遍路さんに紹介している。
また徳島県鴨島町で開催された、四国いやしのみちのフォーラムにも参加した。
そのために会員にアンケートで意識調査を行い、お遍路さんに記入してもらった
ノートから、県別の人数や、曜日毎の人数の統計を取ったりしている。
3 特徴
お接待の会の特徴として、出口さんは次の三つをあげている。札所ではなく遍路道
の途中にあること、年間130日と長期であること、参加者は信仰心よりもむしろボ
ランティアの感覚が大きいこと、である。こんなところは四国にも他に例はないだろ
うとのことである。
一つ目の場所については、他にも多くの例があり、この接待所の特徴とは言い難い。
次に期間であるが、沿道の人が期間を限らずに日常的に行っているお接待でなく、
接待所に人が出てきてそこで遍路さんを待っているという形では、年間およそ130
日という日数は長期であり、会の特徴の一つといえるだろう。
最後にボランティア意識であるがこれは、前述のアンケートの、次のような質問の
結果にも表れている。「(牟岐町お接待の会)に参加した動機に付いて、次の中から
3つ選んで番号を○印で囲んでください。」という質問に対して回答の8項目のうち、
多い順に「ボランティアとして遍路を助けたいから。」が35名、「先祖や、家族な
どの供養のため。」が30名、「お接待の会に入ることを勧められたから。」が26
名、「弘法大師への進行のため。」が22名となっている。以下は「遍路に、自分の
身代わりとして行ってもらっているから。」が10名、「お接待をしてもらったお礼」
6名、「その他」5名「願かけや、願いがかなったお礼。」が1名と少数である。
複数回答であるから「ボランティア」と「供養のため」の両方を選んだ人もいるわけ
だが、ボランティアという意識を持っている人が50人中35人というのは非常に多
いといえる。このボランティア 意識と動機については、次の章で詳しく述べる。
またこのアンケートでは、「お接待をやってみてのご感想はどうですか。次の中か
ら2つ選んで○印で囲んでください。」という質問もした。これには、「お遍路に喜
んでもらえるので、自分の心が豊かになり、嬉しい。」が47名。健康に注意して、
できる限り長く続けたい。また若い人も休日には参加してほしい。」が47名、とい
う結果が出ている。非常に少ないが、「当番の日が待ちどうしいほど楽しい。」が4
名、「誘われたので、仕方なくやっている。」という人も2名いる。
しかしこれらは回答を項目から選ぶ形のアンケートなので、次の章では、会員の方
から直接聞いた話をまとめてみたい。
3章 会員の話
会員の皆さんは、お接待をする理由を、どう考えているのだろうか。お接待をする
ことに何を感じているのかとともにこの章にまとめておこう。
1 動機
なぜお接待をするのかには、次のようなものがあった。
※何回もお四国をしており、いつもお接待を頂いている側だから少しでもお返しで
きたらと思ってやっている。
※遍路さんがどういった気持ちでまわっているのか知りたい。
※助けてあげられることをしておけば、自分が困ったときにはまた誰かに助けてい
ただけるという感覚。
などである。また一般論として
※年をとると、死の恐怖があるが、お接待をすることで救われるのではないか。
との推測もあった。その他にも、各人それぞれ思うことがあると思われる。
しかし直接のきっかけはというと、声をかけられたから、頼まれたからという答え
ばかりになる。先に述べたように、もともと出口さんが警察署長に頼まれて、会員を
募って発足したものであるため、会員さんが皆誰かに誘われて始めたというのは当然
ともいえる。そしてその言い方が、
※ご詠歌の会で、「入ってくれる人」というのに「はい!」と手をあげた。
※何もわからないけど行って座っとるくらいだったら。何かのお手伝いは出来る
だろう。
※欠員が出たので出口さんに頼まれて。
※今の所暇だし、それくらいの時間だったら、出来る時間に調整してもらって。
※(平野さんは)出口さんより電話で「何度もお遍路をしているし、今度人の募
ってやろうと思うから平野さんもやってくれ」といわれ、「お接待はやれやれ
いわれてやるものではない。賛同し手するのはいいけど、気持ちからいくもの
ではないか」といった。「平野さん入ってくれるか」というのには、「喜んで」
とこたえた。でも強制するものではないのでないかというと、「強制はせえへ
ん」。しかし出口さんは熱心だったから、いろいろはたらきかけて、今の形に
なったと思う。
※(頼まれて、)子供の頃祖母が遍路さんを泊めているのをちらちら見ていたか、
らそれだったらとということで。
このように、簡単に決めたように聞こえる。実際、それまでお接待などはしていな
かったが、お接待をすることには全く抵抗はなかった。それには、小さい頃に家の人
が遍路さんを泊めたり、お接待をするのを見ていたこともあるという。
※戦前には、家に門付けにやって来る遍路さんも多かった。そうしたお遍路さん
が来ると、米をひとつかみあげる。お母さんに「これ持って行ってあげて」と言
われて、米をわたしたことを覚えている。
※ある人は、母親に連れられて、遍路さんの通る道にゴザを敷いて座り、来る
のを待っていた。もちを小さく切ったものを揚げたあられを用意して行ってお遍
路さんにあげる。それをするのがとてもうれしかった。日を決めていたのかは子
供だったからしらないが、あられを用意していたのだから決めていたのだと思う。
近所の家族と一緒にしていた。
こうしたことが行われたのは、昭和12年頃までだった。その後戦争がはじまり、
遍路さん自体が少なくなった。こちらも接待どころではなくなった。以降、10年ほ
ど前までは、お接待はほとんど行われなかったという。
この子供の頃の思い出は現在にも大きく影響していると思われる。四国の人にとっ
て、お接待はなんら特別なことではなく、自然なことだというのである。
※四国に住んでいると、お接待は頭でなく体でわかっているのでは。いちいち説
明しなくても、させてもらおうかという気持ちに自然になる。
※見聞しているから、お接待が血肉化して、文化としてある。文化の流れのひと
つということが理屈でなくわかっている。
※自分たちに地域にも世代にも共通の下地がある。
というのである。
会員さんたちは、この会が出来て、自分が参加した理由をこう考えている。
地域にも世代にも共通の下地がある。そういう気持ちがある中に、署長さんからの
申し出がきっかけとなって、じゃあやろうということになった。音頭とりがいて初め
て形になるのだと説明している。
また都会と違って、良いかわるいかはわからないが、人とのつながりが強い。みん
な知っている人ばかりの中で育ち、人を信じて、皆親戚に近い気持ちがある。それで
見知らぬ人にも気軽に「休んで行きませんか」といえる。という意見もあった。
それに加えて、近年国道に歩きのお遍路さんが目に見えて増えてきた。福谷さんに
よると、内妻地区では、大師講もあって、お接待をしたいと考えていたところに、出
口さんからこの接待所の話を聞いて、それならとこちらに参加することになったので
ある。
2 感想
次に、参加しての感想を、このように表現している。
※帰りしなはすがすがしい気分になる。すっきりする。与えられるよりあたえる
よろこびがある
※させていただいたことで相手に喜んでもらう。それが返礼としてボランティア
の喜びである。お接待は、お遍路さんの喜びや感謝の気持ちがストレートに伝
わる。そういう意味では、お接待もボランティアも変わらない。
いやいややっている人はいない。いやな人はやめる、というのはその通りで、強制
されたものではないから、すがすがしい気持ちが大きいのだろう。
※お接待をさせてもらってよかったなと思うことは何回もある。
※お接待をしていていいこともあった。いろいろな人に会える。155回回った
人に錦のお札をもらったこともある。
これは見返りを求めているのではない。見返りを求めてはお接待にならない。
お遍路さんもこれをわかっている。お遍路さんも喜ぶし、こちらもうれしい。お接待
をして得るものは、こうした気持ちだけである。してあげる、という気持ちでいると、
相手から何か返ってこないと不満を抱く。だからお接待には、させていただく、とい
う気持ちが大切なのだ。
コンビニの前などで、ジュースでも買ってください、といっていくらか渡そうとす
ると、ありがとうございます、と受け取る人もあるが、絶対に受け取らない人もある。
「施しを受けるのは屈辱だ」という人もある。
しかしお接待は施しではない。「あげる」のではなく「いただいてもらう」のであ
る。「あげる」というとき、目線が上から下を向いて、「やる」「与える」とおなじ
になる。施しもそうだ。そこがおせったいとお節介の違いである。同じように物品が
移動しても全然目線が違う。「いただいてもらう」という気持ちがお接待なのだと繰
り返しいっていた。
お遍路さんを誰でもただで泊めるのは接待でない。ホテルに泊るような人に声をか
けてもだめ、本当に困っている人やお金のない人を泊めるのだ。たとえただで泊めて
食事を出しても、新聞などに広告を出すようなものは商売だ。外はお接待に見えても、
内側はちがう。本当に困っている人を泊めるのがお接待だ。
いただいてもらう、という気持ちがお接待ならば、ものがなくてもおなじである。
お茶もお菓子も何もなしで「やすんでいってください」というのもお接待ダガ、一般
的に通用しない。心だけのお接待は目に見えないから難しい。お接待と見てもらえな
いから、ものから入るのだという。ある会員さんが遍路の途中、学校の見える所を通
ったときに、子供たちと、おそらく先生に、「おへんろさあ〜ん!がんばって〜!」
と大きな声で言われたことがあり、「これもお接待やなア、やっぱり四国やなと思っ
た」というお話をしてくれた。私自身もお接待を受けたことがあるが、確かにお接待
はものよりも気持ちををもらうものだと感じた。接待所で待っていても、午前中一人
も遍路さんが来なかった、という日もある。その日の当番さんが帰りに言われた「お
接待してもしなくてもお接待の気持ちは同じだから」という言葉も同じ気持ちから出
ているのかもしれない。
お遍路さんに対しては、この接待所に寄っていかれるのはほとんど歩き遍路だが、
歩き遍路をすごいと思っているらしい。会員の中で、歩き遍路経験者はごく少ない。
昔はヘンドといって汚いこじきのような人が多かったが、今のお遍路さんはきれい
だという。若いお遍路さんが多いという実感もある。それに昔のお遍路さんは切実な
気持ちがあったが今の人は随分違うそうだ。
中には格好は遍路だが、無料の宿泊所を詳しく調べて、ただで旅行をしようという
ような人もいる。
※お遍路さんも皆違うが、強盗でもお坊さんでも、白装束で杖をついておれば、
こちらから見ればおなじ。
とはいうが、お酒が入っているお遍路さんなどちょっと怖いこともあった。本当に
いろんなお遍路さんがいる。お接待をしていていいことは、さまざまな遍路さんに会
えることだ。」
3 問題点と展望
最後に要望や今後について聞いた。
当番表で先々まで予定が決まっているため、急な用事が入らないか気になる、とい
う感想があった。行けなくなったときには誰かと交代するか、世話人に連絡すること
になっている。出口さんも電話してくれればかまわないといってくれるが、いつもの
ペアと違う人になると相手も気をつかうので休みづらい。3ヶ月も先までは予定も分
からず、とても気になるそうだ。当番制の問題点である。
お金があればもっと出来るのにとは思う、という意見の人もいた。お金はいくらか
徴収するのも可能だろうが、持ち寄ったものでやっていけるようなお接待だから遍路
さんも受けやすいということもある。あくまでボランティアである以上、会費となる
と意見が分かれるかもしれない。
このほか、これといって困っていることは聞かれなかった。経費もかからないし、
デメリットはほとんどない。出来るだけ続けていきたいとのことである。それでは、
今後の展望はどうなっているのか。
アンケートでの、「お接待の場所などについて、次の中から1つ選んで番号を○印
で囲んで下さい。という質問には、「将来は別の場所にトイレ、流し台を備えた接待
所を作ってほしい。」が25名、「現在のままで充分満足している。」が17名、
「現在の場所にテント等を増やしてほしい。」が5名、「その他」4名という結果が
出ている。
別の場所にトイレや流し台を備えたお接待所を作ってほしいという意見が最も多く
なっているが、そのためには資金も必要となるし、場所や、完成した後の管理をどう
するかなどの問題は多い。しかし将来的には視野に入れているという。そのためにも、
この活動を長く続けていくことである。
4 まとめ
3章の話をまとめてみよう。
お接待をしているのには、さまざまなお接待をうけたからおかえししたい、どうい
った気持ちで遍路をしているのかを知りたい、供養のためなどそれぞれに理由はある。
しかし、戦前までしかなかったというお接待を2年前に始めた直接のきっかけとなっ
たのは、お接待の会の発足である。子供の頃に見て、特別にどうこうでなく伝えてき
たという共通の下地があり、近年の歩き遍路の急増、各人の思いなどが重なった。そ
して出口さんらのはたらきかけによって出来たと説明する。
実際に「文化として血肉化」しているかはわからない。だが、「お接待の会」には
いるまでは、お接待も全くしていなかった、という人が、同時に、お遍路さんを見か
たら「お賽銭にしてください」といって200円くらい渡す、それくらいのことは皆
している、という。これもりっぱなお接待であると思うが、特にお接待をしていると
いう意識もないくらい普通の行動らしい。このことから、お接待は特別なことではな
いという気持ちがうかがわれる。このために、会に入ってくれないかと声をかけても、
断られることは少ないのだという。
一方四国に生まれてもお接待をしたことがある人は少数である。会に人たちが四国
の文化を口にするのは、お接待の動機を説明することの難しさからもあるだろう。ど
うしてお接待をするのかと聞かれても一つの理由では説明できない。
福谷さんは戦争が終わったとき19歳だった。そのまま自転車を買ってもらい遍路
に出た。なぜ遍路なのかは分からなかった。しかし、祖先が山伏やら遍路やらに毎日
のように接待するのを見ていたという。そして、なぜ遍路か、なぜ接待か考えること
は大切だ。理由はおそらく分からない。遍路をしたら健康になるとか、心が穏やかに
なるとかはいえないと語る。
おそらくお接待にも通じる思いだろう。
そしてお接待は見返りを求めず、させていただくという気持ちでするものだ。お接
待に期待してはいけないという。
「私はまだ接待なんかしなくていいからよかった。(接待するひとは)信仰に迷っ
てしまって気の毒な」「自分たちは信仰なんかしなくてもいい」などと言う人もいる
そうだ。それに対して会の人は、信仰に対する期待とかはないという。会には信仰心
の篤い人もそうでない人もいる。
※いやしになることを無意識にしているのではないか。4人のおばあさんが、2人
ずつ当番の日に、朝からお弁当を持って4人でやってきて、一日過ごすのだそう
である。そして家に帰ると、お嫁さんに、おばあちゃん機嫌がいいね、よかった
ね、といわれる。いやしの時間を過ごしてにこにこして帰るのだろう、お嫁さん
もよろこぶ。遍路さんも接待する人もお互いいやされるのでいい。
ということもあるそうだ。
4章 考察
ここで、はじめにあげた前田の分類を思い出してほしい。これについて淺川泰宏は、
2,3,4は、「同じ発想の上に成り立っている。それは功徳を期待するという発想
である」とする…(5)。
また星野秀紀は、「接待者は自らの大師信仰が接待をなさしめるものであるとする。
そしてかれら(特に世話人)は、接待がまったく見返りを期待しない没功利的行為で
あることを繰り返し強調する」が、接待者は遍路から納め札を返礼として受け取り、
家へ持って帰って魔除や火除けの護符とする習慣があることから、「接待は、接待す
ることで大師から超自然的加護を受けようとする行為なのであって決して一方的な施
与ではない」と述べている…(6)。
これに対して「お遍路と地域福祉」では、納札を渡すのは「接待という一方的な施
与」に対する儀礼的な行為であり、当初から求めるものでないと述べる…(7)
「お接待の会」ではどうだろうか。
会員は、見返りを期待していないと語る。納札を例にとって考えてみると、「錦の
お札をもらったのでたいせつにしている」「神棚にあげている」という話はあった。
155回目の人にもらった錦のお札であるから、御利益はありそうだし、感激したと
いう。だがこれはお接待に対する返礼を期待するというよりは、むしろ錦のお札その
ものや、ひとりずつそれをいただいたことのために大切にしているのであろう。もら
った納札は、「その人が死んだら持って行かなあかん」というが、お接待所にいて納
札もらうことはまずない。おいていくお遍路さんも1枚接待所に渡すので、納札を入
れる箱があって、もらったらその中に入れている。札をもらおうとする様子もない。
善根を積むことで功徳を得るという気持ちはあると思われる。アンケートでも「先
祖や、家族などの供養のため。」や「弘法大師への信仰のため。」と答えた人が半数
前後いた。あの人は信仰が篤いといわれる人もいた。しかし本人に、なにかを期待す
る意識はないだろう。見返りを期待してはお接待にならないからである。
お接待をすることによって得られるものは、言い方はわるいが与えるよろこびとい
う精神的なものだけである。言い換えればボランティアのよろこびである。
これもある種の見返りと呼べるかも知れないが、それは遍路さんを通して弘法大師
からの返礼、御利益を期待することとは違う。一方的にこちらが相手に与えることで、
その返礼として相手になにかを期待するのではない。いただいてもらうという気持ち
でお接待をする行為そのものが、精神的充足をもたらすものである。つまり、お接待
という行為そのものに、見返りが含まれているともいえる。
これを「お遍路と地域福祉」では、「大師信仰を介してではあるが接待を喜んでう
けてもらえたことにより、接待をした側は満足を得る」のだと説明して、ボランティ
ア活動の一環としてお接待を続けている上板町日曜市組合ボランティアグループの活
動を、「接待の根を地域の互助活動に広げていこうとしている一つの試み」として紹
介している…(8)
5章 付加価値
今回、数日間接待所の手伝いをさせていただいた。最後に、そのとき感じた「お接
待の会」の効果や役割についてまとめておこう。
出口さんが、お接待の会を発足させたのには、警察官よりも土地の人の方が接待を
しやすいということに加え、地域の人と警察との交流になるという思惑もあったとい
う。そして、「お接待の会」と接待所の活動には、このほかにもいくつかの付加価値
があると考えている。
まず地域の人同士の交流である。これについては後に詳しく述べる。
次に、ボランティア組織の拡大がある。会員には、ボランティアグループから誘わ
れて「お接待の会」に入った、配食などほかのボランティアをしている人もいるが、
これまで経験のない人からも参加希望者を募集している。「牟岐町お接待の会」とし
て社会福祉協議会にも登録している。ほかの場所で、お接待をしている人たちとも連
絡を取り合っているらしい。寄ってくれたお遍路さんに、この先にある接待所を紹介
し、そこの人に、電話で確認する様子も見られた。
さらには、広い意味で町のPRになる可能性や、観光にプラスになるということも
考えている。会の活動が新聞に取り上げられ、やってきたお遍路さんのなかには、来
る前からこの接待所を知っていたという人もいるそうだ。最近ではマイクロバスの団
体さんが止まってくれることもある。またPRとは言えないが、国道沿いで駐車スペ
ースがあり、人がいるので、よく観光客などに道を聞かれるそうだ。
このように、お接待という活動を通して本来の目的ではないいくつかの効果が認め
られるのである。
地域の人々の交流をふくめてさらに次のような利点も考えられる。
ボランティアが意識がこの会の特徴であることは繰り返し述べてきた。このことは、
信仰心は全くない、と口にする会員が何人もいることや、アンケートの結果からも明
らかである。会員をボランティアグループからも集めたことも影響している。
これは弘法大師信仰などの動機を日地するものではないが、相手に喜んでもらえる
ことがボランティアの喜びで、お接待ではそれがストレートに伝わる、という意見か
らも、ボランティアをするのと同じ気持ちでお接待を行っていることが感じられる。
このことが、お接待を気軽に始めさせているのではないか。遍路に対しての強い思
い入れがなくとも、社会活動に参加する気持ちでお接待が出来るからである。
グループという形態も、ある効果を発揮している。
会員が何名か抜けても、新たに勧誘、補充するという形で会を存続していけるとい
うことである。個人でお接待を行っている人は、その人が年をとり、あるいは事情が
あってやめてしまえばそれで終わってしまう。しかし、会で活動していれば、理屈と
しては、ずっと続けていけることになる。
また今期は都合がつかなくて参加できないが、次からは参加したいという人や、実
際に接待所にはこられないお年寄りで、やりたいという気持ちは持っている人など、
理由があって、名前は名簿に載っているが当番表には組み込まれていない人がいる。
出られなくても、お接待をしたいという気持ちが、会に名前だけ入っているという形
になっている。
そしてこの集団性が、更に大きな役割を果たしている。出口さんもあげていた、地
域の人々の交流である。
先ほどの、おばあさん4人の話を思い出してほしい。おばあさんたちは、一日接待
所で過ごした後は機嫌が良いという。それは、お接待をすることでいやされるだけで
なく、4人で一日話をしてゆっくり過ごすことを楽しんでいるのではないだろうか。
当番制なので、少なくともいつも2人はいる。当番の時間中、お遍路さんのいない
時間の方が長いこともあって、その間当番さんは、お茶を飲んだり世間話をして過ご
す。そのペアのほとんどがよく知っている同士であるが、よく知っている人がいいと
いう人と、逆に知らない人と一緒になって仲良くなりたいという人と両方ともいる。
それで当番表を決めるのは難しくなるが、待っている時間を楽しく過ごしたいという
気持ちは共通している。
当番ではない人が接待所に寄っていくことも少なくない。会員さんも、そうでない
人もいる。当番に当たっていないが来てくれる会員さん、またお遍路さんのいないと
きなどは、たまたま通りかかった人が座って話をしていくことがある。地域の人が、
ちょっと会って話が出来る、交流の場になっているようなのである。
また、会員から希望者を募り、バスで札所巡りに行った。日は、11月ともなると
寒いので、接待所は今年は23日までで終了として、その後ということになった。一
日で、第1番札所霊山寺からおよそ10ヶ寺である。会員に遍路の経験者は以外に少
なく、行ってみたいという声が上がっていた。
意識向上にも役立っているようである。
会員さんは、お接待を始めてからお遍路さんの姿をよく見るようになった、お遍路
さんを見かけると気になるようになった、という。お遍路さんの人数が増えているせ
いだけではない。私自身も今回の調査を始めてからお遍路さんの姿が目に付くように
なり、この話は実感できる。
お遍路さんに対する意識の向上がみられるのは、おそらく会員だけではない。地域
の人たちも警察署横で接待をしていることは知っている。お接待の期間が始まると、
通りがかりの人がまた始まったんですね、と声をかけたり、あいさつをして過ぎてゆ
く。またほかの場所で会ったお遍路さんに、ここに接待所がありますよと教えてくれ
ることもある。
このように「お接待の会」という形には、
1ボランティア組織の拡大
2町のPR
3地域の人々の交流
4遍路に対する意識の向上
といった利点が見られるのである。
今の会員さんたちが、お接待を見た記憶があるのはほんの子供の頃である。だから、
自分たちの世代には蓄積されたものがあるように思うといった人が「これからの若い
人はわかりませんけど」と続けた。その若い人たちに、この接待所の活動が、お接待
を身近に感じさせることにもなるのではないだろうか。若い人は仕事や家のことで忙
しく、会に参加することは出来なくても、お接待をすぐにできるボランティアとして
でも認識するきっかけにはなり得る。そして、地域の人同士やお遍路さんとの交流を
楽しんで活動しているからこそ、無理なくお接待を続けているのである。
謝辞
この卒業論文のために「牟岐町お接待の会」の皆様には大変お世話になりました。
ご協力いただいた皆様にお礼を申し上げます。ありがとうございました。
注
(1)前田卓 1971 『巡礼の社会学』 ミネルヴァ書房、p.222〜223
(2) 丸川悦司 宮崎照夫 日開野博 住友雄資 玉里恵美子 藤沢真理子
日本地域福祉学会ブロック共同研究「お遍路と地域福祉」p.9〜11
(3) 新城常三 1982『新稿 社寺参詣の社会経済史的研究』 塙書房
p.1094〜1097
(4)「牟岐町お接待の会」会員50名を対象に行ったアンケート。徳島県主催の、
いやしのみちフォーラム&ウォーク出の発表のためにとったもの。
(5)淺川泰宏 2001「遍路道を外れた遍路ー新しい巡礼空間モデルの構築に
むけてー」『日本民族学』226、p.56
(6)星野秀紀 1974「四国遍路における接待の意味ー有田接待講の場合ー」
『宗教研究』217、p.84〜85
(7)前出注(2)p.19
(8)前出注(2)p.18〜19
参考文献
淺川康弘 2001「遍路道を外れた遍路ー新しい巡礼空間モデルの構築に向けてー」
『日本民族学』226
愛媛県2001 『四国遍路のあゆみ(平成12年度遍路文化の学術整理報告書)』
愛媛県生涯学習センター
真野俊和 1991 『日本遊行宗教論』 吉川弘文館
武田明 1969 『民俗民芸双書43 巡礼の民俗』 岩崎美術社
星野英紀 1974「四国遍路における接待の意味ー有田接待講の場合ー」『宗教
研究』217
前田卓 1971『巡礼の社会学』ミネルヴァ書房
丸山悦司 宮崎照夫 日開野博 住友雄資 玉里恵美子 藤原真理子 日本地域福祉
学会四国ブロック共同研究「お遍路と地域福祉」
早稲田大学文学部道空間研究会 1994 『現代社会と四国遍路』
早稲田大学文学部道空間研究会 1997 『四国遍路と遍路道に関する意識調査』
-完-
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