このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

お京塚

  

 お京塚は恩山寺と立江寺の間にある。間というより立江寺に程近い遍路道の右肩にある。お京塚を示
す石柱が立てられ、考え事でもしない限り見落とすことはない。
一寸した広場の先に佇む白い祠。脇へ回ると、どうぞ……と言わんばかりに扉が開いていた。入ると右
端の写真のとおりである。厨子には何もない。誰かが大事に守っていることの証、花や果物などが落ち
度なく供えられていた。

 お京さんは島根県(石州)花田の桜井銀兵衛の娘で大阪で芸妓をしていたという。
その折要助と結婚。郷里大阪に帰り生活していたが鍛冶屋長蔵と密通、要助を殺害。お京と長蔵は郷
里を出奔。讃岐丸亀に渡り自害しようとしたが果たさず、四国霊場巡礼をする気になり、19番立江寺ま
できた。
 ご本尊を拝もうとしたときに、お京の黒髪がさっと逆立ち鉦の緒にまきつき、たちまち巻上げられた。
お京の苦しみに長蔵は狼狽、いそぎ院主に救いを請うた。
院主から罪の報いであろうと問いただされて、お京はありのままに一切を告白した。すると不思議にも
お京の頭部の肉が剥がれ、黒髪もろとも鉦の緒に残り、辛うじて命は助かった。
享和3年のことであったという。
 ふたりは罪を深く悔い改心して出家、ほど遠からぬ田の山中に庵をむすび、一心に地蔵菩薩を念じて
一生を終えた。と言うことである。
或いはこの地が。その庵の場所であったのだろうか。

 ちなみに立江寺は阿波霊場の関所といわれ、無事に打ち終えると罪びとでないことが証明された。と
遍路は喜んだといわれている。立江寺が阿波の国の関所になり得たは、お京の事件によるものかは不
明である。

CAN


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