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【アキカン拾い】 の落ち行く先は?
平成13年、四国でのアキカン拾いを計画。時の御坊さんの御意見。「信仰に進むか、ゴミ拾いに
徹するか。この二者択一にべし。二兎を追ってはならぬ」 天上の仏の声と聞き信仰を捨て(勿論三人
の老人に捨てるほどの信仰心は、当時も今も持ち合わせておりませんでした) ならばと、ポイ捨て
「アキカン拾い」に走り出す。
二者択一の計算が、簡単に出来たわけではありません。齢を重ねすぎた為に脳味噌が軽くなったの
でしょう。某国の某国会のように、喧々諤々意味のない議論を延々と費やした結果でした。
① 凡夫が88ヶ所を歩き、桔願したところで悟りを啓ける筈もない。巡って悟りが啓けるなら、今頃
五万のお大師様誕生が道理。なのにお大師さんは、今でも「おひとり」だけだ。
お大師様は衆生のため国の為、平たく言えは自分以外他人人の為に力を尽くしたと教えられた記憶。
小学生のそれより大分軽くなった老人の脳は、単純に考えました。アキカンは拾った数だけ 自然や自分
の生きる社会に役立つものとの結論。
② アキカン拾いは、平成14年から開始、つまり此の年からカンカン遍路が登場しました。
悟りを捨てたカンカン遍路。捨ててまで遍路を呼称するのは失礼と「カンカン拾い」に改名。
拾ったカンカンを引き取って下さるお寺さんだけ、巡ることにしました。
境内での読経は一切いたしません。仏教の世界での平等公平の範疇は知る由もありませんし、引き取る
引き取らないの違いで読経あるなしは如何なものか? 御本堂大師堂に依怙贔屓ががあってはならぬ
と考えたからでもありました。
「本日もアキカン引き取り頂き真に有り難うございます。体の続く限り来年も参ります。
その節はまた宜しくお願い申し上げます」
これが「カンカン拾い」流の、読経になりました。
納経印は頂きます。ゴミ引き取りの仕事を請け負って下さった、お寺様の温かい心への感謝です。
「カンカン拾い」は夫々利用していた宿泊施設に、アキカンを引き取りを依頼しました。
だから夫々の「カンカン拾い」は, アキカン引き取りの夫々のお宿に宿泊をしています。
「カンカン拾い」に転職した当時「アキカン共」は雨にも風にも負けず灼熱の太陽の下、遍路道端で
会議を開き、一日中「オイデ、オイデ」をしていました。誘いに乗って某国の某企業のように、アキ
カン引き取り拠点拡大を進めましたが、好事魔多し。
【88クリーンウォーク四国】 国土交通省四国整備局による四国一斉の清掃活動が始まり、途切れ
ることなく続きました。「オイデ、オイデ」野道端会議は年々減り続き、無尽蔵の供給量供給元は
昔の夢と消えました。
バスに乗ります。宿毛を過ぎ高知県と愛媛県、県境を越えた最初の停留所で下車します。暫く歩く
とカンカンの歓楽街が雑草に隠れて広がっています。専門仕事人が涙を流すアルミ缶が山を成してい
るのです。丹念に探せば4袋は拾える最大の穴場です。玉水旅館さんに1袋で宿泊。翌日観自在寺さ
んに1袋、民宿磯屋さんに1袋置いて宿泊。翌日は「De.あ.い.21」と旭旅館さんに1袋ずつを置いて
宿泊計5袋。四国整備局反乱により、とうとう袋半分のアキカンでお茶を濁す仕儀と相成りました。
今は三豊市に合併、旧三野町役場。アキカン引き取りの申し入れに即快諾。翌年、引き取りを約束
してくれた弥谷寺を含む4か所に「アキカン引き取り所」看板を掲げて頂きました。涙の枯れた老眼
の涙腺が開き、心に熱いものが流れたことを思い出しました。
旧三野町。アキカン引き取りに積極的な割に「ポイ捨てアキカン」の少ない町でした。70番本山寺
から懸命に拾い集めても3袋が精一杯、未だ弥谷寺納経所へは1袋も持参してはおりません。
拾いたくても引き取り所がなくて拾えない場所。引き取り所が沢山あっても、ポイ捨てアキカンが無
くて拾えない場所。様々です。
それでも平成11年頃に比べたら遍路みちは綺麗になりました。しかし山間の谷、河川の両岸、波
打ち寄せる浜や磯、未だにゴミは散乱しています。外国からのゴミの漂着に憤慨しますが、日本のゴ
ミも山を築いています。ゴミは拾うことより、捨てないこと。これが美しい自然の原点でしょう。
此の事に目覚めたら、四国のへんろ文化はその装いに美しいい彩りを添えるでしょう。そして水の惑
星地球は、より澄んだ豊かな水を湛えることでしょう。 CAN
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