このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

よここ峠

 阿波の国 23番薬王寺を打つと道は南下、大きく弧を描いて国道25号線はほぼ西へと方
角を変えて日和佐トンネルを潜ることになる。



 トンネルの入り口右側には小さな休息所が、笠を被ったようにポツンと立っている。一見
へんろ道の入り口を窺わせる雰囲気だが、【よここ峠の登り口】はトンネルの左側である。
ダンプも十分に走れる幅員を持った道路が、ほぼ直線に山腹を駆け上がっている。進入禁
止を意味するように鉄製のパイプが、50㎝程の高さで通せんぼをしている。これは車両通
行禁止の意味。鉄製パイプ跨いで、へんろ道には広過ぎる砂利道に入り込む。砂利道とは
云え、夏場には腰ほどまでの雑草が繁茂する。
バブル時代に計画されたゴルフ場への道路だから広い筈。しかし計画は中途で頓挫。山中
にはそぐわない、広い砂利道だけが夢の名残だと聞く。バブル時代に、よくある話。



 直線の砂利道がうねり始めて、よここ峠越えの旧道が現れる。旧道は右へ曲がるのでは
ない。蒸気機関車全盛時代、登り切れない急坂は前進を止め後進そして前進するスイッチ
バックなる方法が採られていた。其れと同じように旧へんろ道は鋭角に砂利道に合流して
いる。そこは生い茂った木々や雑草が山肌の色に溶け込み、振り返って見なければ見落とし
てしまう枝別れの道である。砂利道が蛇行を始めたらゆとりを持って廻れ右を2〜3度繰り
返して確認すれば間違いはない。
 最近は【牟岐町お接待の会】の皆様が案内板を付けてくだされたが………
しかし、案内板を頼ることなく自分の目を信じることすることが肝要かと……



 鋭角に日和佐トンネルに戻る感じの遍路道は、山肌を緩やかな勾配で縫って進む。
子供のころ裏山を歩いた、あの山道を思い出させてくれる。峠近く谷間を覗くと猫の額
ほどの平地があり、其処には昭和の初期まで峠の茶屋があったと云う。山肌が崩れ道が
消えたそうな。時代と共に遍路道も形を変えて行くのだろう。

 尖った尾根を人の手で切り崩したのだろうか、切り通しを思わせる拓けた広場。
表に【文化財へんろ道しるべ】と記された角柱が建ち、日和佐町山河内横川の文字も見え
る。町文化財案内板に遠慮するように背を低くした石柱、祠に収まった地蔵尊が時の流れ
を指し示す。信心深い由岐の某人が建立。行き交う幾多の遍路を慰め、励ましたであろう
この地蔵尊。
腰を折り掌を合わせると、爽やかな風が額の汗を拭き取るように山肌を駆け下りて行く。



 【左写真】峠を下れば一本道。左の写真の奥は軽トラが走る道。この写真の右隅に昔の
へんろ道の名残がある。この道は山中を走り先の田圃の道に続いていたらしい。
山を崩し新道が生まれ、へんろ道を切断。遍路の通わぬ道とはなった。教えられればそれ
となく思えるぐらい。ここから下り行く先、軽トラ道まで100メートルにも満たない。
 【右写真】は軽トラの道。写真の奥から下りてくることになる。此処は三叉路、下りて
きて右に折れれば程なく日和佐トンネルの出口に繋がる。

 心地よい風が吹き、日はうらら。距離と時間と腹を気にせぬ三種の神器が揃った時には
是非【あるき】を お勧めしたい【へんろ道】の一つ。マムシの住家、スズメバチの住家には
適さない土地柄、穏やかな面立ちになること請け合いです。


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