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春風駘蕩バス三昧〜〜日暮里舎人線を軸として

 

交通総合フォーラム  2005年 5月 9日

 

 

 昨年8月末に開設したこの交通総合フォーラム、ディスカッションルームの設置によりオープン・アクセスを確保しつつ、実質的には会員制サイトに近い状態が続いております。これは実は、良くも悪くもサイト設計上の「想定の範囲内」だったりします(苦笑)。

 フォーラムの開設以来、常連投稿者相互の顔合わせを兼ね、発起会を催そうという機運は常にありました。ただ、常連投稿者の所在は全国に散らばっていることから、なかなか調整が難しかったのですが、時あたかも5月の連休という機会を得て、発起会を実現することが出来ました。ここでは、発起会の前行程として交通の実地を見た、現地レポートの様子の一端を紹介しようと思います。

 題して、「春風駘蕩バス三昧〜〜日暮里舎人線を軸として」。平成19年度に開業が予定されている日暮里舎人線、その沿線の交通状況を敢えて搦め手から入りこんで眺めてみたものです。御笑覧ください。(文中すべて敬称略)

 

■集合は王子駅

 日暮里舎人線を見るのになぜ集合地点が王子駅なのか。フォーラムで過去に議論されたSRの実地を見るというのはあくまで「色気」のようなもの、真の意図については敢えて触れませんが、読み進めて頂ければすぐにわかるかと思います。

 王子駅前

 早々に現れたのは和寒、次いでPhilippe-Alexandre de Rosenbourg(以下Philippe)とTAKAが余裕を持って顔を出し、かまにしは息せき切って登場、敢えて都電に乗ってきたというエル・アルコンは定時ギリギリながら余裕綽々という表情。さて、いつもは几帳面に時間を守る KAZがなかなか来ません。聞けば朝のうちの所用がなかなか片づかなかった由、お忙しい様子です。

 パスネット利用組には認識されにくいところながら、川口元郷までの乗車券を求めると実に 370円。メトロの運賃表で最も高い西船橋でも 300円ですから、いかにも高い。とはいえTAKA曰く「それでもこの運賃でなければ経営が成り立たない」、そこに新参後発第三セクター経営の厳しさ辛さがあるといえます。

 

■川口元郷から舎人団地へ

 予定よりも3本遅い列車に乗車。王子神谷上りホームは駅至近の団地と環七バス路線を受けるため思いのほか混んでいる印象が伴うものの、志茂・赤羽岩淵は閑散とした雰囲気。SR区間に入り、川口元郷になると一層空いた印象。エル・アルコンの「エスカレーターを動かす必要あるの?」という辛辣な感想に、「10〜16時は止まってますよ」との和寒の返事。なんとも切実すぎる現実です。

 地下駐輪場を瞥見しながら地上に出ると、ちょうど川07舎人団地行が出発したところ。次の便まで18分待ちは痛い一方で、むなしく時間を過ごさず、近くに聳えるエルザタワー談義、そしてバスターミナル(駅前広場)のつくりかたに話題が移ります。

 「バスターミナルの機能としては国道 122号の反対側につくった方が素直そう」というのが KAZとPhilippeの感想。しかし、現在の駅前広場は工場跡地を転用したものであり、反対側では広い面積での用地取得が必要という悩ましさがあります。

 川口駅行の便が目の前を何本か通過、いずれも混雑している状況ながら、降車は一人もありません。しかる後、舎人団地行に乗車。こちらは反対方向ということで空いてます。車窓の風景を見ながら、「川口元郷ではマイナーな路線しかターミナルに入れていないんですね」というかまにしの観察は鋭いです。

 新芝川を渡り東京都の領域に入ります。首都高川口線の下を走っている間、「このへんは竹ノ塚に出る流れはありましたっけ」とエル・アルコンは気になる様子。本数は少ないながら、舎人・入谷循環という系統もある以上、それなりの流動はあるのでしょう。

 終点の一つ手前、団地南で下車。ちょうどここは舎人団地の中心部、建物の造作といい、スーパーの雰囲気といい、いかにも団地という感じです。

 団地南(1)

 

■舎人二ツ橋あたり

 商店街を抜けながら舎人二ツ橋に向かいます。午前中なのでまだ閑散としていますが、ここの商店街の趣は各人とも気に入ったようです。小雨が降ってきたのでTAKAが傘を購入。 290円なりは安価で、逆にバス車内で売っている傘 500円はうますぎる商売という声も。

 見沼代用水から分水する親水公園を歩きつつ、「まるで若宮大路ですね」とPhilippe。いくら洒落でも過褒だなと思っていると、「この先には八幡様があるんですかね」とさらなるとどめが(苦笑)。あいかわらずの素晴らしいセンスですが、この御仁がやると妙にかわいらしいのが愛嬌です。

 舎人二ツ橋(1)

 舎人二ツ橋の折返場には駐輪場が設置されており、その台数にかまにしの目が輝きます。埼玉県内では決して珍しい光景ではないのですが、東京都内では確かに新鮮な印象が伴うかもしれません。

   見沼代親水公園駅(仮称)

 日暮里舎人線は駅コンコースの鉄骨が組まれ始めており、だいぶ完成が近づいたという印象があります。その一方、走行路面となる床版の施工は全区間でまだ手が着いておらず、本当に間に合うのかという危惧も感じられます。

 

■日暮里舎人線を脇目に見ながら

 舎人二ツ橋(2)

 里48日暮里駅行に乗車します。舎人公園北の交差点までは閑散とした状況で淡々と進み、ここで右折。車両基地への出入庫線の造作は誰もが気になる様子です。流通センターの中を走り、舎人公園南で尾久橋通に復帰。中線を抱きこんだ駅の構造に皆の目が集中します。

 江北陸橋から先は、連休の日中だというのに工事作業帯が確保されており、道路は片側一車線に絞られます。渋滞でスケジュールがさらに遅延するかと危惧されたものの、意外にも江北4から先はすんなり進みます。その一方で、車内は混み始めました。停留所毎にまとまった乗車があり、日暮里舎人線の主な需要地になりそうな感じです。

 各人の最大公約数的な感想は、「軌道系でもそこそこ成り立ちそうな需要だね」というところ。ただし、計画段階では考えにくい選択肢だったろうという留保条件付で、BRT(基幹バス・ガイドウエイバス)でも行けたのではという声も出ました。確かに、今日の状況から白紙で計画を立てるならば、合理的な発想といえます。その一方、足立区東部につくばエクスプレスが整備される状況において、同区西部に軌道系交通を導入しないまま「陸の孤島」として放置するという行政判断はありえない、との声もあり、こちらも一面の真理を衝いているといえるでしょう。

 扇大橋にさしかかると左手に日暮里舎人線の鉄橋の偉容が迫り、エル・アルコンや和寒などヘビメタ愛好会(謎笑)の目が輝きます。もっとも、TAKAからは「日暮里舎人線そのものの経営が厳しいうえにインフラ構築まで含めれば効率的な社会投資とは考えにくい」という指摘がありました。和寒曰く「ガイドウエイバスでもこの程度の鉄橋は要る」との由。交通機関としての輸送規模に関わらず、必要なインフラの規模がそう変わらないならば、TAKAの意見は社会投資の悩ましさを鋭く衝いているといえます。

 車内は混んだまま、荒川区に入ります。予定では日暮里駅まで乗り通すところでしたが、スケジュールが遅延していたため、西日暮里駅で降車。千代田線への乗換があるためか、多数の降車客がありました。道灌公を見られないのは残念ながら、日暮里駅での工事進捗状況を考えれば惜しくないと割り切るしかありません。ここで矢切が合流してきます。

 西日暮里駅前

 

■足立区コミュニティバス「はるかぜ」

 千代田線に乗って移動します。「中吊り広告の数が妙に少ないですね」とは KAZの観察。確かにいわれてみれば、枠が埋まっていません。連休中で週刊誌系の広告も休み中という点を割り引いても、さびしい感じがします。もっとも、霊園や墓石の広告しかない某私鉄よりずっとましという厳しい指摘もありました。

 綾瀬で下車して、早速「はるかぜⅠ」のバス停に並びます。目の前を六ツ木都住からの「はるかぜⅡ」が通過していき、こちらも盛況の様子。「これ春日部ナンバーの朝日バスなんですね」とPhilippeは感心した様子。どこの営業所に所属する車両かまでは確認できなかったものの、埼玉県内の車両で東京都内の路線を営業するという点に、「はるかぜ」の面白さを見出すことができます。

 はるかぜⅡ(綾瀬駅前)

 「はるかぜⅠ」に乗車。こちらも大盛況です。狭い道をぐいぐいと進んでいきますが、かまにし曰く「これくらいコミュバスでは普通ですよ」とのこと。綾瀬川を渡り、つくばエクスプレスの青井駅ができるあたりで多数の下車と若干の乗車、これが開業後どのように動くのか、特に綾瀬には始発駅のアドバンテージがあることから、おおいに注目されるところです。

 はるかぜⅠ車内

 車内は相変わらず混んだまま、中扉直後に設置された液晶ディスプレーを見て、「これは混んでいるむから後づけでつくられているんですよね」と観察した KAZ、さすがに目のつけどころが違います。さらに「地場とはいえ車内に広告が出ていることじたいが驚き」との指摘も鋭く、運営費補助が出ず民間経営による採算性確保が前提という「はるかぜ」の特徴がよく出ている一面です。

 足立区役所を過ぎ、やや広めの道を淡々と進みます。それが西新井駅直前、サティの脇でいきなり細街路に突入し、一同絶句。「コミュバスの定義とは細い道路を走ること?」というのは冗談としても、そういう関連づけをしたくなる状況ではあります。中途で出て、そして本日の行程でも何度か出た指摘、「こんなに利用があるなら一般路線としても成立するのではないか?」、確かにそのとおり、しかし通常の路線バス車両が入れない区間が存在していることが、「はるかぜ」という形態をつくったといえます。

 はるかぜⅠ(西新井駅前)

 

■竹ノ塚あたり

 伊勢崎線に乗って竹ノ塚に移動。このあたりに地の利がある参加者は多くとも、竹ノ塚で下車する機会はあまりないので、新鮮な体験です。「跨線橋の支柱がレール製だ!」と和寒が目を丸くしたとおり、相当歴史が古い、というよりはむしろ年季の入った駅構造のようです。

 改札を出て、駅構内のパスタ屋で昼食をとります。ここでTomが合流、賑やかな会食となりました。いま少しくつろぎたいところですが、時間が押しているので、早々に外に出て、駅南側を観察してみます。

 竹ノ塚(1)

 「西口を再開発をしたとはいってもスポットじゃないですか」というTAKAの観察は鋭いです。確かにこのエミエルタワー竹の塚、再開発事例としての評判は良いのですが、一般的に再開発といえば広範囲の面開発という連想が働くところで、西口の駅前広場には一切手を加えない再開発にどのような意味があるのか、疑問なしとはいえません。

 竹ノ塚(2)

 踏切には今でも花束が山のように捧げられています。そこに起こった「現実」の重さを、我が事のように受け止めている方々が多数おられるという証です。

 先ほどから踏切は遮断されたままです。上り各停が竹ノ塚に停車している間、遮断継続している点がネックのようです。ようやく開いたかと思えば、歩行者のみならず自転車でさえ渡り切れない間に、次列車の警報が鳴るという有様。連休の日中でさえこの状況ですから、平日朝ラッシュはどうなるのか、簡単には想像できないほどです。

 ちなみに、踏切西側の道路は3車線で、うち東向きが2車線、朝7〜9時限定ながらその片側がバス専用車線となっています。そのように措置しないとバス路線が動かなくなると考えてみれば、朝ラッシュ時の道路状況は推して知るべしというところでしょう。

 竹ノ塚(3)

 車両基地との兼ね合いで鉄道の高架化が難しければ、道路を高架(地下)化すればよいという発想がありえます。確かに考え方としてはそのとおりとしても、実際に具体化するにあたっては、既存の街との整合が課題にならざるをえません。下の画像で係員の肩越しに見えるビル群、道路を高架(地下)化するならば当たることは確実であり、そうなると具体化するにはどれほど時間がかかるか、ということになります。

 竹ノ塚(4)

 理想は追求しなければならない、しかし目の前に迅速に解決を急ぐ現実の課題がある、それをどのように折り合わせていくのか。たいへん難しく、それ以上に微妙なことであり、真の意味での「正解」はおそらく存在しないのかもしれません。しかし、「正解」に一歩でも近づかなければならないのが、この世に生を享けた人間の宿命なのだと思われます。フォーラムでの議論が「正解」に近いか否かは後世の評価を待たなければならないにせよ、常連投稿者がそれぞれの考え方によって立ち、坂の上に架かる一朶の白い雲を目がけて、歩いていることだけは確かです。それぞれの議論の正否よりむしろ、その議論を構築していく過程のなかで、それぞれの考え方が読者諸賢の参考の一助になればおおいに幸い、と考える次第です。

 竹ノ塚(5)

 西口のバス乗場に移動。ひどく手狭な駅前広場で、バスはターンテーブルに乗って折り返してきます。竹07に乗車、再び舎人二ツ橋に戻ります。沿線風景は平凡で、あっという間に着いてしまいました。

 

■「はるかぜⅢ」

 バスを待ちながら、「停留所には『コミュニティバス』と銘打ってあるけど時刻表には系統番号がついてますね」と観察したTAKAは鋭いです。その点こそが、運営費補助がない前提で、あくまで営業路線として収支採算を得る「はるかぜ」の特色を、典型的に示しています。ただし、「はるかぜ」に関しては Web情報を含めまともな文献が皆無に等しく、かまにし・ともらも分析を加えているものの、スキームや合意形成の経緯には踏みこめていません(情報がない以上当たり前だが)。願わくばオフィシャル・サイドから情報提供がほしいところです。

 団地南(2)

 国際興業の小型バスがやってきます。そこに「大型の人間」が大挙して乗りこんだものだから、昼下がりに時ならぬ混雑となりました(苦笑)。

 沿線には低層住宅地が広がっています。ところどころに田畑も残り、また町工場も随所に見られます。「この人口密度だと日暮里舎人線は過大投資でむしろバスがマッチしそうですね」とはTomの感想。TAKAも「流動面だけで見れば日暮里舎人線は江北六丁目団地までで充分でしょう」とさらに辛口の評価です。「利用者は遠くの駅よりも近くのバス停を選びがちだから『はるかぜ』が充実している現状では厳しい」と和寒も悲観的です。

 舎人公園の南縁を進み、尾久橋通を横切ると、道路はどんどん細くなってきます。どの道路につながっているかわかった瞬間「え〜っ!」と絶句したのがエル・アルコンとTAKA。そう、「はるかぜⅢ」は本木新道を走るのです。「よくこんな道を通す気になったなあ」とTAKAはあきれ気味。「『はるかぜⅢ』の凄味はしかも逆ラッシュが存在するところですよ」とは和寒の解説。西新井駅から流通センター方面に出勤する需要を開拓した慧眼は、確かに凄いものがあります。

 途中の乗降は少なく(そのためか日中は毎時1本の運行しかない)、バスは淡々と進みます。大師前で環七に入りこんで、伊勢崎線手前で細街路に突入。日清紡跡地の再開発を横目で見つつ、西新井駅西口に到着します。

 

■「はるかぜⅣ」

 西新井駅の自由通路を、西口から東口まで渡ります。ここで、西新井駅における大師線の特殊扱いについて一談義。エル・アルコンは「和田岬線方式ですね」と例えてましたが、 これは関西方面によほど通暁していなければわかりませんって(苦笑)。もっとも、その観点からすれば、西新井方式についても「よほど」通暁していなければわからないわけで、レア・ケースは知っておくに越したことはないけれど、ともいえそうです。

 「はるかぜⅣ」のバス停は、「Ⅰ」とは異なり駅直近でなく、環七陸橋のたもとにあります。そう遠い距離ではないとはいえ、駅から見れば建物に隠れた場所で、初めての利用者にとっては不案内な位置です。この日は家族連れなどで賑わってましたが。

 西新井駅前

 東武バスの系統番号を掲げた「はるかぜⅣ」に乗車。「一般路線かと思いました」とはPhilippeの弁、しかし、充てられているのは中型車、このサイズでなければ走れない道があるということです。

 陸橋の下をぐるっと回り、ギャラクシティの東側を進みます。その先に、短距離ながらとんでもなく幅員が狭い区間があり、一同絶句。日光街道からつながる都市計画道路との交点で西に折れ、栗原立体をくぐります。「この立体交差のおかげで環七の負荷がだいぶ下がった一方で、竹ノ塚の踏切問題解決が先送りになっている感じがする」というTAKAの観察は実に鋭いです。

 西新井大師の北側を西進します。大師銀座バス停を経由するため、生活道路にしか見えない細街路に入りこみ、一同再び絶句。ちなみに大師銀座バス停は5月上旬で廃止の由、貴重な体験となりました。

 尾久橋通を横切り、旧道と合流したところが東京北部病院。ここで下車して「はるかぜⅣ」に乗り換えます。

 

 

■「はるかぜⅥ」

 多少時間があったもので、三々五々に時間を過ごします。時刻表を見れば、日中もほぼ20分毎の運行。需要の太さがわかりますが、今まで眠っていた需要を掘り起こした慧眼はたいしたものです。反対側に鹿浜五丁目団地行が到着。マイクロバス風の造作は、一寸目には奇異な印象が伴います。しばらくして、北千住駅前行が到着。車内はぼちぼちの乗り。それが環七を超えるとかなり混んできて、「一般の路線バスとしても成立しそう」との声が再度あがったのでした。

 東京北部病院

 まっすぐ南下から、いずれ江北橋とつながる真新しい都市計画道路を東進します。一旦尾久橋通と合流しますが、里48とはバス停の位置をずらしています。需給調整規制が撤廃されたがゆえに成立したと思われる「はるかぜ」ですが、既存バス路線に対してそれなりに配慮もしている様子です。

 西陽を浴びながら、荒川土手に沿い、首都高の下を走ります。荒川を渡って、いよいよ細街路に突入。猫のような身軽さで、狭い道を進みます。足立区に残るもう一つの大踏切、JR常磐線・東武伊勢崎線の踏切にぶつかって左折、せっかく幅員があっても路上駐車で走りにくい道を抜け、北千住駅前に到着します。ここでさいたま市民@西浦和が合流してきます。

 新装なった北千住駅西口のペデストリアン・デッキでしばし懇談。今までのルミネだけではなく、丸井が開店したため、集客力が相当上がった様子が見てとれます。その一方、「所詮は丸井だからなあ」というかなり辛辣な声も。また、丸井の最上階には「シアター1010(せんじゅ)」という公共スペースが設けられていますが、「再開発の目玉にしたい発想はわかるけど中途半端に終わる事例が多い気がする」としたTomの評価は、厳しいながらも正鵠を射ています。

 駅前通を見通してみれば、だいぶ遠く感じられる位置にイトーヨーカドーがあります。「あそこはもう駄目ではないか」との声もらほら聞こえましたが、なんといってもイトーヨーカドー発祥の地ですから、どのように巻き返すか、それとも敢えてリストラクチャーするのか、注目に値するところです。

 

■荒川区コミュニティバス「さくら」

 東京メトロ日比谷線で南千住に移動します。かまにしの「JRじゃないんですか?」という疑問はもっともながら、いくら安くとも常磐線には10分以上待ちもありえますから、 5分待てば確実に乗れる日比谷線を敢えて選んだ次第。さいたま先生は生地が近いとの由、車窓からあれこれ解説を加えてくれました。

 たった一駅、南千住で下車。こちらの再開発も気になるとはいえ、時間も押しているので、この4月に導入されたばかりの「さくら」を探します。やってきたのは、今までの「はるかぜ」よりもさらに小型なクセニッツ、「これは京成バスだ!」と矢切の目が爛々と輝きます。エル・アルコンと並んで、京成への愛着がうかがえます。かまにしも同様の反応ですが、こちらはとにかくバスが好きと動機は歴然。

 町屋駅前

 ちなみに、「さくら」といえば御近所に先輩格の存在もありますが、こちらは葛飾区、しかも乗合タクシーと、コンセプトがまるで違います。それで同じ「さくら」ですから、混同を呼びそうな懸念もあります。なぜ、名称の差別化を図らなかったのでしょうか。

 発車時刻が迫ってきたので乗りこんでみると、「はるかぜ」よりもはるかに狭い。全てロングシートといっても車内空間がそもそも狭く、「大型の人間」9名の存在は他の利用者を圧迫しています(苦笑)。もっとも、我々は一種の特需ですから、それを抜けば座席が丁度埋まるというところ。

 車内には運転士の写真が掲げられ、親近感を打ち出しています。ルートは比較的素直で、小型車を充てているだけのことはあり、随所で生活道路のような細街路に入りこみます。曲がり角で振られると、腰のあたりにつかみどころがないため、立客の居心地は今ひとつ。これは小型車オール・ロングシートの宿命でしょうか。

 「ここはオリオンズの東京スタジアム跡ですよ」などのさいたま先生の街並解説が興味を惹起します。利用者の乗降は少なく、見たところ拠点間の乗り通しが多そうな印象です。町屋駅前で下車、他の利用者も相当数入れ替わりました。

 町屋駅前は雑然とした街並、道路も細く、ひどく手狭です。しかし、この地下に有数の混雑路線である千代田線が通っているのだから、不思議な感じが伴います。「ここの町屋斎場は数少ない民間斎場(火葬場)なんですよ」とはさいたま先生の御教示。このような知識をただの「雑学」としてしまうか、それとも「教養」にまで育てるのか。少なくとも、その道筋をつけようとする努力が片言隻句の奥行きを生むのかな、と直感した次第。

 

■港区コミュニティバス「ちぃばす」

 千代田線に乗って赤坂に移動します。なぜ急に赤坂まで飛ぶかといえば、六本木ヒルズの都市模型を見たいというリクエストがあったからで、せっかく行く以上はそのアクセスに「ちぃばす」を使ってみようという発想です。「京成に乗りたいよぉ〜」と矢切は未練たっぷりの風情ですが、皆と同行することを優先し、一緒に千代田線に乗車します。

 今までとは異なり、車窓風景に恵まれないため、味気ない行程です。「大型の人間」の収容力こそありますが、広い車内で立ち位置も分散、車内騒音も大きいため、会話が通らないもどかしさがあります。途中で矢切が離脱、遠路お疲れさまでした。

 赤坂駅前

 赤坂ではバス停の位置を確かめるのに少々手間どりました。コミュニティバスは、鉄道との情報の連絡が悪いのが一般的で、好ましくない状況です。やってきた「ちぃばす」は「はるかぜ」で見慣れたタイプ。運賃 150円は、乗る側からすれば若干違和感がある設定です。乗りこんでみると、席がほぼ埋まっています。山王下・赤坂見附・高橋是清記念館などと幅員が広い大通を進んでいく趣は、普通のコミュバスとは趣がやや違います。循環系統のため、先ほど乗った赤坂駅前バス停を見通せる箇所があり、「ここまで歩けましたね」と笑いが飛び出しました。

 拠点間乗り通しより短区間の乗車も目立ち、「これはこれでうまい商売になっている」との声もあがりました。また「はるかぜⅠ」車内で見られた中扉直後の液晶ディスプレーが、当初から設置されている様子。「部品単価が下がったからこそ出来る芸当ですね」というTomの観察は、先の KAZとは違う切り口で、日本経済の断面を浮き彫りにします。

 いよいよ目的地、六本木ヒルズが近づきます。そのまわりを周回し、さらに地下通路を急カーブでぐいぐい進んでいく様子は、それじたい一種の演出となりえる異空間を醸しています。TDSの「Center of the Earth」 を連想させるほどの「出来」で、公共交通とは思えない車窓風景です。六本木ヒルズの地下バス停で下車し、これにて本日の前行程は全て乗り終えたのでした。

 六本木ヒルズ

 

■発起会始末

 都市模型を既に見たことがあるというかまにしが一時離脱、「ちぃばす」田町ルートも試してみるとの由。残る7名で最上階を目指します。しかし、展望台の入場料 1,500円也はちょいと高い。かような森ビル商法には好みが分かれそうですが、美術館などを指して「この御時世でも企業メセナを実行している姿勢は評価に値する」というTAKAの指摘にはうなずける面があります。

 都市模型はニューヨーク・東京・上海が並んでいます。ニューヨーク経験のあるエル・アルコンとさいたま先生の目が爛々と輝いています。アクリルの透明な空間に置換された「グラウンド・ゼロ」の痛々しさが目立つニューヨークは、規矩にはまった街路がまさに碁盤の目、整然と計画された街であることがわかります。その一方、土地利用形態だけで治安が悪いと特定できる一画もあり、都市計画思想の難しさが如実に示されます。

 片や東京、ニューヨークと同じスケールで見比べてみると、アドホックに乱開発された都市であるとわかってしまいます。高層建築が実は少なく、低層低密の街区が薄べったく広がる点も、都市機能を高度化するうえでは問題です。ただし、起伏に富んだ地形であることから、もとの地形を活かそうとすると区画を小割りにせざるをえないことも確かで、都市計画思想を現実にする難しさが切実に感じられます。

 せっかく回復した遅れも、皆が熱心に見入るもので、時間を大幅超過してしまいました。時間節約、タクシーで発起会場に移動します。そこでは日中に所用があったともが待ち、 また田町経由で来たかまにしも合流、9名で発起会を賑やかに開催したのでした。

 冒頭に参加者全員(途中離脱した矢切を除く)の挨拶があり、そのなかで和寒が編集子として、「交通総合フォーラムでは、文章の完結性が読むに耐える程度に確保され、また論じるうえでの立場が巧く示されていれば、意見の方向性は右でも左でも真ん中でもぐるぐる回ってもOKです」と編集方針を紹介しました。さらに議題が進んで、TAKA幹事から各記事のアクセス・ランキングが披露され、長らくトップに君臨していたTAKAの「『相鉄・JR直通』に対する相鉄の意図は?」を、つい直近アップしたばかりのエル・アルコン 「高速料金のブラックボックスが明かされて……」が千切ったという驚愕の事実が明らかにされたのでした。夜が更けるにつれ話題が盛り上がり、杯も重なるばかり、気持ち良く酩酊が進み、懇親が深まりました。

 席上で「次はどこに行こうか」という話も出ましたが、フォーラムの常連投稿者全員が集まる機会があった(全員が顔を合わせる時間帯こそなかったが)ことじたいがほとんど奇跡のようなもの、行先の選定はなかなか悩ましいところです。もっとも、交通の話題がないならないで「食い倒れツアー」でOKとする意見もあり、要は皆の意見が一致しさえすればどこに行っても楽しめるのかな、という直感も働きます。本日の前行程にしても、沿線に地の利を有するメンバーが複数いるなかで、「御当地紹介」だけにはとどまらない普遍的要素が盛りこまれています(盛りこみすぎたきらいもあるが)。わかる人、あるいは「わかろうとする人」にわかってもらえれば充分といえるわけで、切り口の多い行程を組めればいいのかな、と思われます。

 繰り返しながら、時間空間制約の多い常連投稿者全員が参加したということじたいが、ほとんど奇跡に近いといえます。ではなぜ「奇跡」が起こるかといえば、相互に会いたいと強く思えるからで、その底流には相互に通じ合う尊敬と敬愛が存在しているからにほかなりません。現実の社会における履歴・立場・実績に違いがあっても、面と向かった時に感じる印象は、人間にすべからく共通するものでしょう。それゆえに、この関係は大事にしたいと考えます。

 朝のうちは雨模様で寒く、午後は快晴で蒸し暑く、厳しいコンディションのなか、時間空間制約を飛び越えて集って頂いたことに感謝して、本稿のまとめといたします。

 

■参加者(五十音順)

 エル・アルコン
 KAZ
 かまにし
 さいたま市民@西浦和
 TAKA(発起会幹事)
 Tom
 とも
 Philippe-Alexandre de Rosenbourg
 矢切
 和寒(本稿文責)

 

 

 

 

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