このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

山陰路の道路事情を見る

 

エル・アルコン  2004年 9月 9日

 

 

 神戸から広島と言うと普段なら山陽道、百歩譲ってR2、そして相当凝ったつもりで鉄道でいえば姫新線、芸備線ルート(R179〜R180〜R182)を走ったことはありますが、今回試したのは日本海側を大きく迂回するルート。道路整備の遅れが指摘される山陰路を実見しようと、旧盆の朝、神戸を出ました。

 

 

●日本海まで

 実は 7月に家族で天橋立から伊根、経ヶ岬を経由して網野まで丹後半島をほぼ一周しており、今回はちょうど海岸線から離れた網野を起点とすることにしました。山越えの片側1車線道路なのにETCがある六甲トンネルから、六甲北有料を経て神戸三田ICから中国道へ。中国道の渋滞は宝塚以東なので、ちょうど渋滞をパスする感じですが、海沿いの阪神高速の渋滞も既に8時前で須磨から西宮まで全線つながっており、山越えルートが空いていたのは幸運だったのかもしれません。

 入って間も無くの吉川(よかわ)JCTで中国道から舞鶴若狭道へ。昨年 3月の舞鶴東−小浜西の延伸とともに「舞鶴道」から改称されましたが、ときおり「舞若道」という省略形が現れ、能か日舞かと見紛う感じです。

 取り敢えず西紀SAで休憩。前途を考えてここで給油しますが、神戸市内のガソリン価格は全国平均と比べると高いほうの部類に入るため、高速道路での給油がおトクになることもしばしば。特に昨今のガソリン急騰においては、前月の全国平均を上限価格とする高速道路のGSのほうが安いわけで、そのせいか山陽道のSAでは激しい給油所渋滞が見られます。

 福知山ICで降り、いよいよ長い一般道行脚のスタートです。

 ICからのR9はしばらく4車線ですが、大阪、明石からのR175と合流する東掘の手前で片側1車線になるため渋滞。もっとも立体化の工事中であり、もう少しの辛抱でしょうか。その先もバイパス(福知山道路)とはいえ片側1車線で進みは遅いです。そして高速道路が無いこともあり、トラックが目立ちます。通行料金を浮かせるために国道を走るトラックが多いとはいえ、明らかにそれとは異質の大型車比率なのです。

 丘の上のジャスコのあたりだけ4車線と言うのも中途半端。市街地を避けて後背地になる丘陵を抜けるためのアップダウンがまた渋滞の原因です。ノロノロと進み、宮津、大江へのR175を分岐する牧に至りましたが、右折車線の車列が長く伸び、本線にはみ出した私のクルマのせいで後続がつかえてしまいました。

 ようやく右折信号が点き、R175へ。宮福線と絡みながら由良川沿いに進むと程なく下天津。ここを左折してR176に入り、野田川を目指します。先程までのR9とは一転して交通量が減ったのですが、前を行くクルマがこの区間の制限である法定速度以下で走っているためたちまち長い列になります。何とか前から順番にそのクルマを追い越し可能区間で追い越してからは快調に進み、与謝峠を越えるとダイナミックに改修された高速コーナーを下って加悦に至ります。

 かつての加悦鉄道の終点にあった鉄道広場をバイパス沿いに移設した「加悦SL広場」を横目に走ると野田川。左折してR312に入り、そして 4月に丹後半島の大半を統合して出来た京丹後市域へと向かう峠道、交差する宮津線の橋脚を挟んで上下線分離と言う区間を過ぎると、丹後大宮です。

 程なく京丹後市役所のある峰山に至り、県道に入って網野への山越え。そして変則的な交差点でR178に合流すると、いよいよ日本海沿いの旅のバトンを引き継ぎました。

 

 

●城崎・但馬海岸を行く

 前回の時、網野から夕日ヶ浦までの海岸線経由の道が通行止だったこともあり、そのままR178でショートカット。関西では冬場のカニのシーズンになるとイヤというほど見聞きする夕日ヶ浦温泉ですが、実際に見たのは初めて。ただ、外湯があるようには見えません。

 この夕日ヶ浦ではR178は旅館街や浜茶屋の並ぶ路地のようなコースを迂回しましたが、浮き輪を抱えて歩き回る子供が多く油断がなりません。

 すぐそこが海のはずですが、夕日ヶ浦の手前で遠望して以来、防砂林のせいで微妙に見えません。ほとんど湖のような久美浜湾と日本海を隔てる小天橋を通っても良かったんですが、海水浴場として名高いエリアゆえ、両側海の一本道に入ってドツボにはまったら先は長く大変なので、久美浜湾を迂回します。

 その久美浜で豊岡へ向かうR312と分かれて県道へ。道路沿いの家はそのまま海に面しており、特に防波堤も無い構造。湾とは言え湖のような地形ゆえの造作でしょうが、潮の干満はどう対応するのでしょうか。

 やがて海と別れると、三原峠越え。そして大型車通行止の飯谷峠をさらに越え、丸山川を城崎大橋で渡ると、名湯城崎に至りました。ここではひと風呂浴びることにしており、国道からそれ、城崎を代表する景観とも言える柳並木のある川沿いの道を進み、路地裏の駐車場に停めました。

 七つの外湯が名高い城崎ですが、ここは名前がやはりと言うことで「一の湯」へ。改装されたのかきれいな施設で、外湯にありがちなひなびた雰囲気を期待すると裏切られた感じではありますが、お湯は良くゆったりと過ごせました。

 さて、ここからは柳並木の道がそのまま山越えの鋳物師戻峠になるわけですが、海沿いを志し、日和山方面に向かいます。

 実は城崎の海沿いは城崎町ではなく豊岡市。関西の天気情報での潮位情報でお馴染みの津居山港があるのがここです。ちなみにこの津居山地区、豊岡市の中心部のあるエリアからは必ず城崎など他の自治体を通らないと行けません。そう言う位置関係でなぜ豊岡市になったのか、事実上飛び地合併のようなものです。

 日和山の城崎マリンワールドを過ぎるとワインディングの始まりです。マリンワールドを見下ろす高台の展望台は、道路から空を行く橋でつながった高台。日本海の青さと木々の緑、そして奇岩が美しいビューポイントでした。

 ここから竹野町、香住町佐津への県道はかつての但馬海岸有料道路。そのせいかワインディングとはいえセンターラインつき片側1車線が確保されており、崖側の柵もしっかりしており、ちょうどR18の碓氷峠旧道のような感じで、思ったより走りやすいです。道路は海岸線からだいぶ高いところを縫っており、景色は絶景。ただ、ハンドルを握る身としては見入るわけにいかないのが辛いところです。

 いったん海岸線近くに下りて田久比の集落にアクセスして、ふたたび上って進むと前方に竹野海岸が見えてきます。

 竹野の集落を過ぎると山陰線が並行し、ふたたび崖の上を縫うワインディングです。岩場の合間にビーチがあるのですが、思ったより人がおらず道も空いています。確かに旧盆に入っているのでお盆には泳ぐなという言い伝えもあるせいかもしれませんが、やはりアプローチに難があるのでしょうか。ここまで来るには舞鶴若狭道福知山ICか、播但道和田山ICから延々と一般道を来るしかないのです。

 そして佐津に至り、久々にR178と出会い合流しました。

 

 

●餘部鉄橋・そして夢千代のいで湯

 R178に入ると道が良く、とは言い難いわけで、片側1車線の状況は変わりません。交通量は少なく、鉄道ともども厳しい状況です。

 山陰線も城崎から浜坂、鳥取の区間は電化とも高規格化とも無縁のエアポケットのような区間。特急が走るのに月イチ運休の対象となってしまうような区間ですが、さすがに「カニかに」で売り出しといてそれはあんまりと言う批判が多かったのか、月イチ運休は無くなりました

 港に沿って鍵の手の道を行く香住の市街地を抜けると、海沿いは奇岩が続く但馬海岸のハイライト。さすがに道路もそこに造れずしばし山合いを進みます。

 その但馬御火浦など観光資源に恵まれている香住町ですが、あの餘部鉄橋も重要な観光資源のようで、沿道にも「餘部鉄橋まで**km」と案内が出ています。

 そして鎧集落へ降りる道を分け、平野に出て右にカーブを切ると、目の前の虚空を横切る餘部鉄橋が目に入って来ました。狭い平野を挟んで東西に迫る高台の稜線を結ぶかのようにトレッスル式の大鉄橋が関門のようにそびえています。そのトンネルをくぐると海岸で、そこからまた山越えです。

 浜坂への桃観峠は前後とも比較的真っ直ぐの道。峠の手前で先程は遥か上を渡っていた山陰線をオーバーパスしましたが、こうした高低差を簡単に克服できる道路と鉄道の違いをさりげなく見せる区間です。

 浜坂ではちょっと内陸に入り、「夢千代日記」でお馴染みの湯村温泉へ。「温泉」の表示に従いR178をそれると、「共同浴場入口」の看板が見えた七釜温泉の温泉街を通り、湯村への県道に合流。ちなみに「温泉」の表示ですが、湯村温泉のある一帯が「温泉町」だからゆえの表示です。

 やがてR9との交差点に至り、和田山方面に戻る格好で進むとすぐ湯村温泉。R9は温泉街をバイパスしており、駐車場は温泉街の上手、下手と、温泉街から真横に石段を上った先のいわば「横手」の3箇所にあるため、温泉街を無粋に通り抜けるクルマは少ないです。

 その横手の駐車場に止め、石段を下って外湯の薬師湯に入湯。こちらはひなびた雰囲気で長居しづらい感じです。

 湯上がりに足湯のある川沿いを散策。熱湯が湧き、温泉卵などの調理が出来る湯筒が並んでますが、河原からもお湯が湧くので、川に入らぬようにの注意書きが。たしかにところどころ川が熱いのですが、すぐそばで魚が群れをなしているわけで、煮魚にならぬのか不思議な光景でした。

 ちなみに「横手」の駐車場ですが、R9から入るところに全但バスの営業所があり、大阪、神戸への特急バスや、八鹿、鳥取へのバスが発着します。温泉街へはR9を横断するのですが、但馬から鳥取への唯一の幹線道路ゆえ、大型車の通行が目立つ道路を温泉客が横断という厳しい状態も、また湯村温泉の現実でしょう。

 

 

●ようやく鳥取へ

 浜坂に戻り、R178に復帰します。

 浜坂は兵庫県最後の町で、いよいよ鳥取県に入りますが、神戸を出てから既に 6時間、時間がかかるとは思ってましたが、ここまでとは、という感じです。このあと鳥取県を横断し、島根県に入り、山を越えて広島県に向かうのですが、本当に今日中に着くのでしょうか……。

 居組を過ぎるとこれまでで一番の厳しいワインディング。竹野、香住からあちこちで目にする「地域高規格道鳥取豊岡宮津自動車道の整備促進を」という看板と現実のギャップに苦しんできましたが、さすがにここはまずいと悟ったのか、「東浜居組道路」として事業化されており、トンネルで抜けられるようになるようです。

 そして県境を越えると東浜。遠くに立派な高架橋の東浜バイパスが見えますが、なんか橋の上で車が三々五々止まっている感じで工事用車両のようにも見え、これはまだ工事中なのでしょうか。

 やがてバイパスの入口に来ると、これがなんと事故。あさっての方向を向いてガードレールに激突しているクルマと、本線上で横を向いて泊っているクルマがおり、後続が両方向とも進めずに止まっています。

 幸い、旧道との分岐にいたので、そのまま旧道を行きましたが、これが普通車1台がやっとの路地裏のような道路。バイパス完成まではこれがR178だったと思うと信じられません。慎重に進み、ようやくR178に復帰しましたが、あの事故、大事に至らなければいいんですが。

 山陰松島として名高い浦富海岸を過ぎると、ようやくR9に合流します。山陰線が城崎、竹野からR178と海岸ルートを来たのに対し、R9は養父から村岡、湯村と内陸を来ています。当然峠を何箇所も越えているわけで、鉄道、国道ともに信じられないような貧弱な状態です。

 R9に合流するのは「駟馳山(しちやま)峠」の上り口。なんと信号が無く、R9からR178の左折分岐はともかく、鳥取方面への右折合流は、峠を駆け下るクルマの合間を縫って本線を横断しないと行けません。ただ、そのままR9下りに合流するのでは無く、本線の右側にある合流車線に入るのが救いですが……。

 ちなみにこの区間も「鳥取豊岡宮津自動車道」の一部となる「駟馳山バイパス」の建設が決まってますが、県都鳥取までの関門の数々を実際に見ると、整備が進んだエリアとの格差という厳しい現実を前にして、道路整備の重要性を痛感します。

 そして峠を下り、鳥取砂丘を回り道してふたたびR9に合流すると、既に鳥取バイパスとなっており、立体交差の4車線道路がやけに立派に見えました。

 

 

●青谷羽合道路・北条バイパス

 ここからは鳥取、米子、松江と続く山陰の「表街道」です。JRもここからは高速化ということで手を入れており、この山陰随一の都市間輸送の区間に入ったことで、これまでの「苦労」とは違う現状が見えてくるはずです。

 そのR9鳥取バイパスは千代川などを一気に越えるためか高架道路になっています。そして地平に下りると R29南バイパスとの交差点。若桜を通り姫路へ抜ける R29と、智頭を通り佐用もしくは津山、岡山に抜ける R53はここで分岐です。案内表示は中国道佐用を示しており、 R53智頭からR373志度坂峠道路経由で智頭に至る智頭急行をトレースするルートがメジャーなようです。

 右手には鳥取空港、やがて日本海が見えてくると4車線区間の終わりです。日本海につき出た鳥取空港ゆえ、右手の日本海には海中から空港の誘導灯が立っています。

 ほどなく旧国道と合流するようで、それを先頭にした渋滞が伸びていますが、立体構造にするなどしてR9側をノンストップにするでもなく、信号での合流ですから、手前の車線減少と合わせて話になりません。

 ここからは片側1車線。どこにでもあるような道ですが、交通量は多く、大型車も多いです。因州鳥取らしい白兎海水浴場を横目に通りますが、地下道は有るのですが国道を横断する海水浴客や駐車場やコンビニへの出入りで滞っており、鳥取以西唯一の幹線道路とは思えない様相を呈しています。

 海に突き出る丘陵を越えると別の集落、自治体と言う感じですが、こういうちょっとしたアップダウンもまた交通処理能力を大きく下げます。

 その丘陵のうち一段とそびえる長尾鼻を交すと青谷町。案内に従ってR9を逸れ、青谷羽合道路に向かいますが、ひときわ鈍重な大型トラックの後走りゆえ、せっかくの高規格区間を活かせそうにありません。インターチェンジ部は取り付け道路から大きく東に戻り、かつカーブがきつく、高速道路の暫定開業と比べてもかなり落ちる印象でした。さらに前はIC部から本線に上がるだけで精一杯のトラックで、本線でも巡行速度に達するまでが長いこと。

 普通の高速道路なら「車間注意」とか表示する電光掲示に「一般国道 9号」というのは違和感アリアリです。料金所施設などだけ通行料金対応にしてあとは道路財源で賄ういわゆる「薄皮方式」にすらならずに国道バイパスとして供用された区間ですが、無料というのに思ったほど交通量は多くないです。ただ、R9に比べればさすがに道路状態が良いので、流れることで空いて見えるのかもしれません。

 途中の泊IC、高速道路ならここだけは追い越し車線があるような区間ですが、さすが一般国道、そこまでの整備がありません。やがて「道の駅はわい」の案内が見えてくるとようやく追い越し車線が現れましたが、高速道路ならSAとして案内されるような「道の駅はわい」がどういう内容か見たいのは山々なれど、ここで例のトラックを抜けなかったら、米子までこのままかと思うと、後ろ髪を引かれながら追い越し車線を突っ走りました。ちなみに高規格道路上の道の駅というと、播但道の「フレッシュあさご」がありますが、こちらは朝来SAとして案内されています。

 湖畔に羽合(はわい)温泉がある東郷池と日本海を分ける丘陵を下ると対面通行に戻り、青谷羽合道路の終点。旧道であるR9〜R179と直交してそのままR9北条バイパスに入ります。

 右手に土盛りがあり、 R13南陽バイパスに併設された米沢南陽道のように将来は青谷羽合道路からつながる山陰道が出来るようですが、こちらも信号も少なく海沿いの快走路、といいたいところですが、横道との出入り、遅いクルマに阻まれてなかなかスピードが乗りません。

 このあたり、さっきの「道の駅はわい」から「道の駅北条公園」「道の駅大栄」と比較的短い間隔で道の駅が続きますが、前後のバランスを考えるとえらく無駄に見えました。

 

 

●米子道路・そして皆生へ

 東伯町に入るところで旧道と合流。鳥取と違い、こっちが直線側ですが信号があります。

 浦安駅の表示に苦笑いしつつ進みますが、駅ごとに自治体が変わる町の中心街を縫うロードサイド店がちらほらある片側1車線道路の進みは遅く、時間だけが過ぎてゆきます。

 そう言えば昼食も取ってないので、そろそろと思うのですが、ロードサイド店といってもスーパーマーケットなど地元の普段使いのお店ばかり。しからばと入った「道の駅ポート赤碕」も物産販売は立派ですが、17時を回った段階でレストラン(というか食堂……)は閉店。将来的に山陰道が整備された段階で需要は激減するとはいえ、当面はこのR9がメインと言うのに、マトモな供食施設が見当たりません。

 予想外の登坂車線で若干順番が入れ替り、大山町に入るところの下り坂では日本海越しに遠く弓ヶ浜が見えます。あそこの付け根の皆生(かいけ)温泉が次の目的地ですが、そこまでどれだけかかるやら……。

 ようやくと言うか久々に有料道路入口の小さい標識を目にしました。米子道路の淀江大山IC近しのサインであり、ここからは三刀屋木次ICまでの松江道を分ける宍道JCTをまでの「山陰道」が続きます。

 標識は「山陰道」で統一されており、連続して走行が可能ですが、東から米子道路、米子バイパス、安来道路、松江バイパス、山陰自動車道とお里は違う有料無料取り混ぜた混成軍。さらに「薄皮方式」に一般国道のバイパス、高速自動車国道とこれまた素性が違います。

 さて淀江大山ICに向かうべきところ、あまりにもR9の淡々とした走りに感覚が麻痺したのか、いきなり曲がり忘れました……。

 おまけに曲がり忘れに気がついたのが淀江の街中まで進んだ時点で、路地を行きつ戻りつして本来のアプローチの反対側からICに入りました。  で、ゲートを見るとETCレーンがありません。まあこれは仕方がないなと料金所でETCカードを出すと、なんと手渡し精算も不可とのこと。収受員に頭を下げられましたが、JH管轄の一般有料道路であり、独立した区間ならいざ知らず、高速自動車国道からまがいなりにも連続で走行出来る有料道路での利用不可というのは信じられません。西日本では湖西道路に並んで理不尽な利用不可の有料道路と言えます。

 米子道路は米子東ICで終わり、皆生方面の案内に従って側道へ。

 岡山方面からの米子道米子ICがそのまま皆生、境港へのR431になるのですが、米子道から山陰道へは直接入れません。かつての磐越道新潟中央ICと北陸道、日本海東北道の関係と似ていますが、さすがに松江方面へダイレクトで入るアプローチの工事中です。米子道路方面は手付かずですが……。

 そして片側2車線の快適なR431で皆生へ向かいますが、米子市に三方を囲まれながら(残る一方は海岸)独立している日吉津(ひえづ)村には大きなジャスコ。バスのターミナルにもなっているようで、駐車車両とは別にバスを誘導する標識が立ってます。ただ、日本交通や日ノ丸バスのサイトを見ると、最近多くなった他の大規模SC併設のBTと違い、単に米子方面からのバスの終点に過ぎないようで、米子東部、日吉津などの交通拠点とはなっていないようです。

 これぞロードサイドという景観が続き、山陰有数の温泉街とイメージが合わないのですが、案内に従って曲がるとホテルが並ぶ温泉街が現れましたが、事前のチェックでは外湯はソープ街にあるという情報に代表されるように、城崎のような風情、湯村のような情緒というより、北陸の大規模温泉街のような印象で幻滅。ただ、北陸のそれは中心に立派な外湯があるのですが、皆生は違いました。

 そのソープ街に外湯は無く、聞くとR431寄りに移転したとのこと。その「OUランド」はスーパー銭湯のような施設で、塩の湯として名高い皆生なのに、辛味も苦味もないのにはこれも幻滅でした。まあ 310円と言う料金ですから文句は言えません。まもなく19時と言う段階で皆生を後にしました。

 

 

●山陰道から松江道へ

 米子ICまで戻り、山陰道へ。ここからは米子バイパスですが、案内標識は自動車専用道ということで、緑地の「山陰道」表記で統一されています。

 お盆とは言え平日の夕刻、無料区間に入ると交通量がぐっと違います。

 片側1車線の暫定2車線区間を淡々と進み、米子市街をちょうどバイパスした米子西ICからは有料の安来道路です。ここはR180と交差するんですが、米子から広島方面は米子道が遠回りになるせいか、高速バスもR180〜R183で中国道庄原ICに抜ける意外な陰陽連絡ルートになっており、「庄原」の表示には戸惑います。

 前を行くトラックがお約束のように出口に向かい、有料区間に入るとガラガラ。

 夕闇があたりをつつむ中、暫定2車線の安来道路を進みます。安来ICのある本線料金所にはETC専用の文字が輝き、それなりに並んでいる車列をごぼう抜きです。

 さらに進むと東出雲ICの案内。何となく出雲市あたりとイメージさせますが、山陰線なら揖屋、そう、まだ松江にも達していません。その東出雲を過ぎると松江バイパス。現金にも無料区間にはいった途端交通量が増えます。

 専用部のほか、側道が用意されており、案外とそっちとの行き来も多く、地域の足となっていますが、広域流動対応としての「山陰道」としては考え物。名阪国道が上野市近辺でチョイ乗りのクルマの渋滞に捲きこまれるのと同じです。

 さて時刻は既に19時半、松江中央の標識を見て、いったん「山陰道」を下りて市内に向かいます。

 まだ夕食、というか昼食も摂っていないのは既述ですが、この先宍道湖SA、そして松江道を下りてからの山越えでは、レストランどころかコンビニもあるか定かでなく、ここでいったん店探し。こういうときは長距離逓減の料金を気にせずコースアウト出来る一般国道扱いは便利ですが……。

 結局ラーメンの夕食を終え、ふたたび松江中央に戻りますが、下り方面はしばらくバイパス高架に沿った側道を行きます。下から見た雰囲気としては都市高速か高松道の高松市内に似た感じ。ロードサイド店が並ぶ様は、宍道湖とお城のイメージとはまた違うもう一つの松江です。

 あとは松江道まで進み、山越えで広島県下の実家に向かうだけ。大概のクルマがR9側に向かうのを尻目に松江玉造ICから山陰道へ。ここからは晴れて正式な高速自動車国道。ようやく真打ち登場という感じ。ただ、対面通行というのは変わりません。

 パラパラとすれ違うクルマの中に、「東京渋谷」の表示を出した高速バスが。出雲市から渋谷への「スサノオ」でしょうが、いよいよ夜行とすれ違う時間になったようです。

 そして出雲、浜田方面はここで出よという標識が出ると宍道IC。この先宍道JCTは外に出られないので、ここで出ないと三刀屋木次ICまで連れて行かれます。少ないなりにあった交通量もここでガクンと減ります。

 ICが絡むので4車線区間が続き、程なく宍道JCTとなり、山陰道からの分岐側なので急曲線を経て対面通行に戻って松江道へ入りますが、直進側の山陰道は、どういう形態の整備になるのでしょうか。「薄皮」での整備は昨秋の江津道路が最後になるようなので、新直轄か。ただ、松江道も三刀屋木次以南が新直轄に決まっており、三刀屋木次−宍道−松江だけの高速自動車国道というのも空しい整備です。

 夜目にも山合いとわかる道中ですが、途中本線BSが。加茂町の加茂BSですが、使われている雰囲気にあとで調べたら恐れ入りました。松江からの広島線14往復、福岡線(昼行)が全便停車です。しかも広島線は木次や三刀屋に停まらない特急便も停車で、ここらへんの現状が気になります。

 そしてほどなく終点表示が見えてくると三刀屋木次IC。終点直前に垣間見た三次、広島への R54は結構交通量があるようです。そして颯爽と専用レーンを抜けましたが、ちょうど固まった格好で通過した私を含む前後3台がなんと全部ETC車。まさか三刀屋木次で3台連続なんて奇跡でしょうか。

 そして、いよいよ山越えに挑みます……。

 

 

●おろちループの威容の陰で

 広島市内に行くのなら R54で三次ICなんですが、東部が目的地なので中国道は使いません。 R54で三次、さらにR184にするか、R314とR432のコラボにするかですが、昨春、三江線並行のR375を試した続きとして木次線並行のR314を選択します。

 このあたりR314は木次市街を避けたバイパスになってるはずですが、IC出口の三叉路にR314の表記は無し。取り敢えず仁多の表記があるR54とは反対の方向に進みましたが、あとで詳細な地図を見ると一回R54に出て、出雲方面に僅かに戻るとバイパスに入れます。ちょうど料金所のすぐ下を並行していたんですが、直接アプローチが出来ない構造でこれは不案内です。

 R314はいずこと走るうちに斐伊川を渡る木次大橋。斜長橋ですが、ライトアップやイルミネーションはよくある話ですが、ここのはイルミネーションというよりネオンサインがついているかの如し。地元の名所なんでしょうが、人気の無い橋や川面を照らす色彩はちょっとやり過ぎな印象で、さすが公共工事大判振る舞いの島根県という軽口が似合う光景とも言えます。

 そして斐伊川沿いに進み、しばし走ってようやくR314に合流。ここから日登、下久野を経由する木次線と離れて湯村温泉経由で斐伊川の渓谷沿いに進みますが、隘路はトンネルを穿ったバイパスになっており、非常に快調。そして難なく仁多町の中心、出雲三成へ至ります。

 ここから備後庄原まではR432経由でも行けますが、そのまま木次線沿いにR314を進みます。木次線と言うとひなびた印象ですが、R314にはコンビニもありました。驚くべきことなのか、R314と木次線の交差は何箇所かありますが、広島県に入った油木の先の踏切以外は総て立体交差です。神殿造りで有名な出雲横田も、ロードサイドのショッピングセンターが立ち、鉄道を利用しているだけでは気付かない光景です。さらに進んだ八川では、なんと道路側に立つ駅を示す看板が「トロッコ八川駅」となっており、公共交通ではなく遊覧列車として扱われています。この表記、この先の出雲坂根、三井野原(みいのはら)でも見かけましたが、鉄道の位置付けというものがここまでになっているかという感慨を抱きます。

 やがて三段式スイッチバックで名高い出雲坂根。16年前にキハ53で、 8年前にキハ120で越えた峠をこんどは愛車で越えます。

 有名な延命水(古狸、古狐が愛飲していたのが由来という話を16年前に坂根駅員に聞いた……)絡みのパーキングと駅に挟まれたエリアを抜けると正面にループ橋が見えます。これが「おろちループ」で、三井野原にかけての羊腸の山道だった峠道が一変して快走路に。さらにその特異かつ大胆な構造が観光名所になったばかりか、本来こっちも名所の資格が十分にあるはずの三段式スイッチバックを擁する木次線が、おろちループ鑑賞用のトロッコ列車を運行と、主役が完全に入れ替りました。

 この構造は小回り、大回りの2周のループで高度を稼ぎ、最後に大きな橋でひとまたぎして三井野原に至るもの。道の駅「奥出雲おろちループ」も併設されてますが、そのループ構造物を遠巻きにして斜面を登る木次線がループ見物の特観席というのも皮肉です。16年前の乗車時に、車掌が建設中のおろちループを指して賞賛していましたが、流動の主役を奪われるのみならず、それを眺める観光で命脈を保つにまで落ちるとは誰が予想し得たでしょうか。

 21時を過ぎて行き交うクルマも少ないなか、それでも道の駅には何台か停まってループ見物。最後の大アーチは赤い鋼製ですが、ライトアップの光線と薄い霧のせいか、あたかも斜長橋のケーブルのような影を天空に描き出していました。

 

 

●強行軍の終わり

 冬にはスキー場となる三井野原を過ぎると広島県。県境を越えると若干カーブが厳しくなったものの、結局西城町でR183に合流するまで完全に往復2車線が確保されており、急カーブ、急勾配も少なく、三江線並行のR375とは比べるまでも無い状況でした。

 あとはR183を庄原に向かうのみ。西城町の中心街に差し掛かるとやけにクルマが増え、そのうち歩道を歩く人波が。どうやらつい先程まで夏祭りがあったようで、待機する消防車やうっすら薫る火薬の匂いから花火もあがったようです。

 その祭り帰りの車列も町内で完結するようで長くは続かず、庄原市に入って庄原市街へ。R183から分れてR432に入り、庄原ICを横目に山合いの道を行きますが、こちらも片側1車線は確保されています。

 総領町の「道の駅リストアステーション」にリストラを連想しましたが、こちらは「蘇る」のリストアですが、なんでだろう……。

 上下で東城からの県道25号線と合流しますが、そもそもこのエリアの街道というと三原−東城の r25に、尾道−三次のR184。R432は適当に結んだ感を否めないつぎはぎ国道です。しばし福塩線に沿って下り、八田原ダム湖の入口になる備後三川で福塩線と分れて甲山へ。前述の r25とR184が交わる甲山町は交通の要衝ですが、その両者の交点あたりまで隣りの世羅町が迫ってます。面白いのは交差点を挟んで両町の役場が 500mくらいの間隔で向き合っており、市街地も両町に跨っています。

 そして大和を通り河内に抜けるR432と分れて r25に入り、久井町を経て山陽道の三原久井ICへ。山を越えて三原市街に出てR2という手もあるんですが、山が海に迫る三原の後ろにそびえる山を越える山岳を走る元気も無く、山陽道に入り、実家のある街に向かいました。

 

 

●ドライブを終えて……

 兎にも角にも道路状況が悪すぎます。

 福知山以西、いや、京都から下関まで、まともな4車線道路があるのは鳥取バイパスくらいではないでしょうか。対面通行で良いから高規格道路を挙げて見ても、京都丹波道路の丹波ICまでと、青谷羽合道路、淀江から宍道の「山陰道」、江津道路と浜田バイパスしかありません。いや、中国道へ抜ける「肋骨線」も、舞鶴若狭道、米子道、浜田道しかなく、後二者は対面通行です。

 現在の交通網整備の水準から考えると、「高速交通の整備」どころか、「交通の整備」も未だしというレベルです。正直言って、在来線の普通や快速以下の移動速度なのです。

 それでも鉄道がしっかりしているかと言うとこれもお寒い限りで、智頭急行と伯備線による陰陽連絡はともかく、山陰線としての整備は、鳥取以西の高速化が完成しているとはいえ、鳥取−米子で見て日中、特急と快速(全区間快速でないものも含む)が 7往復ずつしかないわけです。これでは移動チャンスという意味では話にならないわけで、特に舞若道福知山ICか播但道和田山ICから峠をいくつも越えるR9で来るか、中国道を山崎ICから R29戸倉峠越えか、佐用ICからR373志度坂峠越えか、津山ICから R53物見峠越えか、といういつの時代かと疑うようなアプローチしかない鳥取は特にひどく、構造改革に理解がある片山知事がこの高速道路整備の問題に関しては日頃の理念と矛盾したかのごとく強行姿勢を崩さないのも、現状を見れば十分理解出来ます。

 それでも整備が地道に続いてはいますが、中国横断姫路鳥取線(播磨JCT−新宮ICまで播磨道として供用)は高速自動車国道ではなく新直轄として整備が決まってますし、鳥取以西は薄皮や一般国道バイパスが入り乱れ、使い勝手が今一つと言うことは否めません。

 現状では鳥取、島根の県単位での立ち遅れが目立つのです。

 

 一方の陰陽の山越えでも難しい問題が見えます。

 宍道JCT〜三刀屋木次〜三次〜甲山〜尾道の松江道ですが、正直言ってその意義自体が疑わしく、 R54の整備・高規格化で充分です。特に掛合、頓原経由の R54、仁多経由のR314とも違うルートで三次に抜ける松江道を整備することで、松江道にも R54にも資金を割かねばならなくなり、投資効果を大きく損ないます。

 とはいえ、広島起点の陰陽連絡ルートの高速バスは出雲、松江は三次−三刀屋木次を R54でつなぎ、米子は庄原−生山、根雨をR183、倉吉は湯原からR313、鳥取は津山から R53と、山陰を横に走る高速道路が無いため、各都市ごとに中国道からの山越えになっています。特に米子線が米子道があるのに使わない(かつては使っていたのに止めた)のは象徴的で、これは結局浜田道、米子道、姫路鳥取線ともに大阪、東京方面からの最短ルートになるようにコースが決められたため、広島の位置が西寄りなので、浜田道を除いては中国地方の域内交通として必ずしもマッチしていないのです。

 これが三次−三刀屋木次の整備と、米子以東鳥取までの整備があれば、もっと効率的に再構築出来るし、中国地方域内の広域流動も収斂させ得るはずです。そう考えると、三次以北に限ればルート的には不満が大きいですが整備が必要でしょう。

 

 さて、木次線は深刻です。

 三江線も大概ですが、まああれくらいの狭隘路線は昨今は大都市部を中心に花盛りであるとはいえ、広島県側を中心にしたR375と島根側の県道の状態が悪いことは確かであり、それが生命維持装置になってますが、木次線は「おろちループ」の完成で国鉄時代の除外理由が無くなっています。

 木次−三成間や亀嵩付近でR314と木次線のルートが大きく異なるという事情はありますが、そのあたりはバス路線の複数化で対応が可能です。過去の乗車時の感じからすると木次以北はまだ大丈夫かもしれませんが、それ以南、特に出雲三成以南は厳しいです。

 木次線の本数が定期 3本と極小なところに、つながる芸備線自体が休日運休や月イチ運休ですから、陰陽連絡の使命など無きに等しいわけで、「トロッコ」がメインの遊覧鉄道といえます。

 それでも嵯峨野観光鉄道、大井川鉄道のように事業として成立するのであればまだしも、土日1往復、多客期に増えても最大3往復で収支があうわけもなく、存続意義が問われています。

 廃線はしないのであれば、肥薩線の「矢岳越え」のように、事実上観光鉄道化してしまうという手がありますが、肥薩線ですら鉄道による周遊コースを組めるのに対し、こちらは宍道口はともかく、落合から三次、広島方面に鉄道で行くことを普通の観光客に提案出来る状態で無いだけに、厳しさが募るわけで、どういう将来像をJR、地元が描いているのかが気になります。

 

 

 

 

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