このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

由良川事故の「見通し」と「教訓」

 

エル・アルコン  2004年10月25日

 

 

 豊岡市OBの老人の団体を乗せたバスが台風で氾濫した舞鶴市内のR175で立往生し、一時はバスが屋根まで完全に水没しながらも全員無事救出された事故は、近年で最悪の被害を出した台風23号の被災情報のなかにあって、「奇跡」としか言い様の無い事態でした。

 

 さて、一行がなぜ被災したかを考えた時、それを「甘い見通し」と切り捨てて済むものでしょうか。当日の午後、福井県の芦原温泉を出て、豊岡に戻る最中の出来事ですが、それは新聞が言うように「台風接近を過少に評価」といえるかというところから考える必要があります。

 被災の前夜、つまり芦原温泉に投宿した時点での予報は、翌日深夜に大阪湾を中心とした予報円に達することになっていました。さらに翌朝、前夜台風が南寄りに進行したため、進路はやや早目ながら南寄りになっており、紀伊半島を通過して深夜に伊勢湾となっていました。この時点で10月初旬の台風22号と同じ進路であり、福井から兵庫県但馬地方へ日本海側を辿る行程を考えた時、然程の危機感を感じさせるものではなかったはずです。

 これが暗転するのは昼頃であり、台風が予想外に北寄りのコースを取り、予報円の中心は大阪湾に戻り、夜半に到達する見通しに変わっています。さらに台風の進度は早まり、18時過ぎに泉佐野付近に上陸し、滋賀から飛騨地方に抜けたわけです。

 近畿地方への最接近は夜半と見られていた段階で、予定を早めて14時台に芦原を出たのは、見通しが甘いと言うよりも、但馬地方への直撃はほぼ無くなったが、念のため最接近の前には帰着するという合理的なスケジュールであったともいえます。

 

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 舞鶴の由良川沿いのR175とR178の三叉路を20時頃に通過しているとあり、舞鶴若狭道の規制に伴いR27に迂回して来たりして渋滞していることを考えても、時間が掛かり過ぎているきらいはありますが、ここまでのルートは最速ルートであり、そこからは宮津経由でR178、R312というのが近道ですが、この時点では海岸部と峠越え、さらに豊岡市内の浸水情報があることから、遠回りになりますがR175で福知山経由で円山川上流側から豊岡市に至るというのはこの時点でのベストです。

 さらにこの時間、既に舞鶴から外に出るルートはR175しかない状態になっており(R27、R178、舞鶴若狭道が不通)、悪魔に魅入られたように事故現場に導かれています。

 ちなみに今回最も問題視ししないといけないことは、17時40分に国交省の福知山河川国道事務所が由良川の洪水警報を既に発令していたにもかかわらず、管理者の京都府も府警も対応が後手後手にまわってしまったことでしょう。

 この件については京都新聞が検証記事を掲載していますが、河川管理者、道路管理者、沿線自治体、さらに実際に規制する警察署の連携の問題は由良川だけでなく全国に共通する話であり、事故直後の紙面であればステレオタイプの報道も止む無しかもしれませんが、その後、どのように検証していくかによって、テレビやラジオ、さらにインターネットにより速報性を重視する必要が無くなったメディアの真価が問われます。

  京都新聞(数日で閲覧できなくなります)

 

 

 

 

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