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山歩きから見た六甲山を巡る交通

 

エル・アルコン  2005年 2月 6日

 

 

 海と山にはさまれた神戸。その街を見下ろすように塩屋から宝塚までの50有余キロにわたって連なる六甲山系(六甲山)は、神戸の風景の良きアクセントであり、観光資源であると同時に、大都市に隣接する登山、ハイキングのメッカという特異な一面があります。その最高峰は標高 931メートル、日本アルプスなどの高山と比較すると桁が一つ足りない標高ながら、海岸線から近いという地勢から、実質の標高差で考えると、スカイラインで相当な高みまで登れる山々と肩を並べます。反面、その前衛は神戸の市街地の続きとも言えることから、市民が朝な夕なに散歩がてらに登る「毎日登山」と呼ばれる独特な風習を生んでおり、ビギナーからベテランまでを対象とした多様なニーズに応えた登山コースが整備されています。

 さて六甲山と交通というと、神戸電鉄が50パーミルの勾配で越えたり、北神急行や市バス急行64系統がトンネルで抜けたりと、六甲山をいかに越えるかという視点で語られることがほとんどです。しかし、こうした登山、ハイキングの需要、さらに観光という視点で見たとき、克服ではなくアクセスとしての交通が見えてきます。以下は、そうして視点から六甲山の交通を語るものです。

 

 

●六甲山の開発と交通

 江戸時代以前となると、深江浜から六甲最高峰直下で六甲山を越えて有馬温泉を結んだ魚屋道(ととやみち)あたりを除けば、裏六甲から表六甲への細々とした峠越えくらいであり、1867年に兵庫開港に伴う外国人との摩擦(生麦事件を想像されたし)を避けるために西国街道が摩耶山付近で六甲山を横断するように付け替えられたいわゆる徳川道(直後に大政奉還に伴い官道である意味が無くなり街道としては廃道)程度が六甲山系を巡る交通路でした。

 明治に入り、神戸の居留地にいた外国人の手で六甲山上が開発されました。その頃はゴルフなどのスポーツの場として、また避暑地としての位置付けでしたが、そのアクセスを兼ねて近代登山が導入され、外国人から神戸市民に広がって、今の登山、ハイキングのメッカとなる源流となっています。

 こうした状況が一変したのは1927年、阪神電鉄が山上の開発に乗り出してからです。1929年、表六甲ドライブウェーが開通して登山バスが入り、遂に交通機関によるアクセスが可能になりました。1931年にはライバルの阪急が六甲ロープウェイが今の六甲ケーブルの屋や西側に開通すると、1932年には阪神も負けじと六甲ケーブルを開通させました。山上の諸施設もおおむね出揃い、最初の黄金期を迎えました。

 しかし、1938年の阪神大水害で表六甲ドライブウェーが崩壊し、戦時体制に入ると六甲ロープウェイは鉄材供出のため撤去(戦後も復活せず)。六甲ケーブルは山上への軍施設へのアクセスとしてかろうじて休止を免れましたが、繁栄はうたかたの夢のように消えました。

 そして戦後は1956年に瀬戸内海国立公園に編入され、同年、表六甲ドライブウェーが復活。これは私有道路を別とすると、一般有料道路の最初でもありました。その後芦有道路の開通、さらに1970年の六甲有馬ロープウェイの開通で回遊性が高まり、戦後の黄金期を迎えています。

 開発はさらに進み、1991年に布引ハーブ園と新神戸ロープウェイ、1994年にはオルゴール館のホールオブホールズ開業と続いたのも束の間、1995年の阪神大震災で大打撃を受けました。

 六甲ケーブルが半年ほど運休し、摩耶ケーブル、ロープウェイに至っては2001年まで実に 6年半の運休を余儀なくされるなど復興までの道のりは遠く、客足が戻らぬ六甲山を巡る交通も遂に落日の時を迎えました。

 摩耶ケーブルがその復活にあたり、震災前に経営していた阪神系で六甲ケーブルと山上バスも経営する六甲摩耶鉄道が手を引き、六甲有馬ロープウェイや新神戸ロープウェイを運営する神戸市都市整備公社に移管されたのを皮切りに、2002年には利用促進のためにわずか 100円の通行料とはいえ、表六甲、裏六甲のドライブウェイが無料化。さらに神戸市の財政悪化を受けた神戸市交通局の縮小均衡策により、六甲山上バスや登山バスのうち、交通局の担当は2003年度の運行をもって終了し、阪急バスに移管されました。

 そして遂に交通網自体が消える日がきました。摩耶ケーブルの復旧で六甲山の交通網が復活してからわずか 3年半、2004年12月18日限り(19日に抽選当選者のみを対象としたお別れ運行があった)で六甲有馬ロープウェイの表六甲−六甲山頂カンツリー間が営業を休止。さらに2005年 3月下旬には神戸電鉄菊水山駅の営業休止と、六甲山系を巡る交通は転機を迎えています。

 

 

●ハイキング、毎日登山のメッカから

 阪神間を結ぶ3つの鉄道路線のうち、もっとも山手を走る阪急神戸線。そのお洒落なイメージを体現化するような車内に案外とハイキング客が目立ちます。六甲ケーブルへのバスや登山バス乗り換えの阪急六甲はもとより、西宮北口から今津線に乗り換えた仁川や宝塚、夙川あたりからのバスでの六甲山の東端へのアプローチのほか、芦屋川や岡本、御影といった駅はそこが六甲山の登山口です。かつては休日の朝に梅田から西宮北口へハイキング用の急行の運転があったように、阪急神戸線を使って六甲山に入る人は多いです。

 その中から、岡本に降り立ってみましょう。甲南大学、甲南女子大などの学生街から、お洒落な街というイメージがありますが、朝はこれから山へ、午後は山から下りて来たハイカーが目立ちます。駅の北側、岡本、本山北町の閑静な住宅街が登山道になっており、地元の登山会が立てた「早朝登山はしずかに」という看板が目立ちます。

 道が急になり、人家が途絶え、つづら折りを登ると保久良神社。岡本などを抱える東灘区で盛んなだんじり(地車)の巡行のほか、小高い山腹にあるいにしえの灯台、「灘の一つ灯」という常夜灯が知られています。「早朝登山」の看板はここへの毎日登山を対象としており、境内の脇には毎日登山の「出勤簿」を付ける登山会の小屋もあります。

 岡本駅、摂津本山駅から、また、駅への登山客にとってはここは前進基地としてスタートする場所であり、また登山の事実上のゴールとして振り返る場所でもあります。その先、神戸市街、さらには大阪方面のパノラマを楽しみながら震災で特徴ある岩場が崩壊した風吹岩に至り、一転して林の中の登山道を行き雨ヶ峠を経て、住吉川源流の本庄橋跡を通ると七曲り。ここから最高峰の稜線までの急登を経ると一軒茶屋で、ここから最高峰は 5分程度の軽い登り。しかし、一軒茶屋まで上り詰めると六甲山上の諸施設を縫い、R428有馬街道の小部峠から宝塚を結ぶ県道に出会うのもなかなかシュールです。

  931mの六甲最高峰からは大阪湾から丹波方面と四周が見渡せますが、何も苦労して登らずとも、山頂まであと徒歩 5分の一軒茶屋まではクルマで来れます。とはいえ一軒茶屋の駐車場に停めて山頂に向かう人は少数派です。さらに興味深いのは、1970年頃までは宝塚から有馬温泉に向かうバス路線が一軒茶屋まで寄っていたようですが、かなり早い時期にバス路線は消えたということ。ケーブルカーなどと連携したバス路線が、そんなに距離が離れていない「最高峰」を無視してきたところに、観光と登山、ハイキングの間にも微妙なベクトルの差があることがうかがえます。

 結局、山上の縦走、もしくは横断する登山路と、県道はあまりリンクしていないともいえるわけで、岡本から登ってきた登山客は岡本へ戻るか、そのまま有馬温泉に抜けます。その意味では、有馬へ下りる、また有馬側から往復する登山客も多いわけで、有馬の日帰り温泉施設や神戸電鉄有馬温泉駅、また、梅田や三宮、芦屋へ抜けるバスが出るバスターミナルは登山客で賑わっています。

 

 

●ロープウェイとケーブルカーでの六甲横断

 さて、裏六甲の交通拠点である有馬に入ってくる交通機関には六甲有馬ロープウェイがあります。有馬へ下りた登山客がロープウェイで戻るというのは少ないようで、六甲山上の観光エリアと有馬温泉を周遊する観光客用という感じですが、有馬駅の位置が温泉街から少し上がった淋しいところと離れているのが弱いです。

 周遊ルート促進のためか、片道をケーブルカー、ロープウェイ。もう片道を神鉄、北神とした企画乗車券が発売されたり、土休は大人同伴の小学生の利用を 100円に値引きというような制度もありましたが、未だしという感じです。

 実は表六甲−六甲山頂カンツリー間が休止する直前、六甲最高峰経由で有馬まで歩き、ロープウェイとケーブルカーで戻ったんですが、休止を控え、残りわずかとなった「日本最長」の謳い文句ですが、このあと日本最長となる箱根ロープウェイと違い、駅ごとに乗り換えとなっており、ちょっと後ろめたい「最長」でした。ただ、眺めは素晴らしく、裏六甲の谷を一気に越え、表六甲では眼下に市街地を見ながらの空中散歩と、特に表六甲線の休止は惜しいです。

 なぜ市街地に近い表六甲線が休止になったのか、と考えると、有馬への裏六甲区間は、有馬への唯一の交通機関であり、代替が利かないことがあるでしょう。登山客があまり利用しないように見えますが、一朝事あったときのエスケープルートとしては心強いです。では表六甲区間と見ると、実は六甲ケーブルからつながる六甲山上の周遊コースとまったく切り離されていました。

 山上の道路沿いに展開する諸施設は主に阪神系で、同じ阪神系の六甲摩耶鉄道によるケーブルカーと山上バスによる周遊ルートが確立しています。ロープウェイはそれを横目に宙を行くわけで、唯一近づく六甲山頂カンツリー駅にバスが入ったのも、表六甲線の休止後なのです(それまではガーデンテラスから少し歩く)。

 使いようが無いロープウェイでは仕方が無いというか、クルマの存在を考えると使いづらい状態のままで来たことも問題というか、六甲山の客離れというのはこうした積み重ねとも言えるのでしょう。

 休止直前とあって表六甲線にはレコーダーをかざす乗客がいたり、駅では写真を構える人もいましたが、ロープウェイが対象のマニアもいるんですね。

 震災後、リニューアルされたケーブルカーで六甲ケーブル下駅に降り、市バスに乗り換えましたが、観光客は阪急六甲、JR六甲道で降りてしまい、終点の阪神御影まで乗り通した客は私だけ。阪神電車は御影到着時の放送で「六甲山へはバスにお乗り換えです」と自社が開発した六甲山へ誘ってますが、肝心な阪神電車をアクセスに使う層は相当少ないようです。

 

 

●六甲名物「縦走」から見ると

 さて、六甲山の登山を語るときに外せないのが「縦走」です。かつては塩屋から、今では須磨浦公園から宝塚までの56kmを一日で歩き切る「六甲全山縦走」は晩秋〜初冬の風物詩です。登山というと日が落ちてからの行動は遭難の元でもありもっての外ですが、「縦走」に限っては、標準的な所要時間が15時間程度と、日没後どころか夜の20時から21時頃まで歩くことが前提という特異な登山です。

 そして、距離もさることながら、最高峰で 931mしかないと思いきや、特に西側でのアップダウンが激しく、全体での登りの合計は2000m近くなるという説もあり、相当ハードです。さすがに56kmは、という人のために、ちょうど中間にあたる新神戸駅から入った市ヶ原で区切った「半縦走」もあります。

 この「縦走」の起点は須磨浦公園。六甲連山を完全に縦走するなら塩屋から入るのですが、受付などのポイントが置きづらいのか、須磨浦公園駅前スタートというのが今はポピュラーです。

 ロープウェイやリフトに並行して登ると旗振山。明石大橋や名谷JCTから垂水JCT方面が見通せます。そして第二神明須磨料金所西側の高倉山トンネルの上を歩きますが、木々の間越しに見る渋滞の名所でもある須磨TBは新鮮な眺めです。

 埋立のため削られた高倉山跡の団地を抜けて横尾山に登り返すところでは、垂水区桃山台までの区間が未だ完成しない神戸西バイパスの位置関係が良く分かるなど、こちらは神戸市西部の交通網を俯瞰するにはちょうどいいコースです。

 ここから須磨アルプス、というと笑いそうですが、鎖場や梯子場のある本格的な岩場を経て、妙法寺に降ります。住宅街の電柱に張られた「六甲全縦」の看板を頼りに歩くと、阪神高速神戸山手線の鉄橋と地下鉄のシェルターが並行する区間を通り、高取山に登り返します。ぼんやり歩いて降り間違えて板宿に出てしまいコースアウトする人が絶えない区間に続き、丸山から鵯越の市街地が案内が少ない難所で、登山というよりオリエンテーリングのような区間です。

 

 

●菊水山駅、そして新神戸駅

 さて神鉄鵯越駅を過ぎてしばらく進むと菊水山駅。登山、ハイキング客が行き交う同名の山への取り付きですが、この 3月下旬で休止するため、駅への入口の看板には休止のお知らせが重ね貼りされていました。もともと停車列車が少なく、スルKANも使えない無人駅で、西鈴蘭台までの区間列車のみの停車でしたが、2003年の改正で停車列車が大幅に削減され、日中には長時間停車しない時間帯が発生しています。

 菊水山へのアプローチとして、また縦走でのエスケープルートとして機能しているのですが、登山客の母数が少ないのか、停車列車が少ないから鵯越などを使うのか、マイナスのスパイラルで遂に休止に追い込まれました。

 急な階段を直登して至った菊水山でふと北側に目をやるとすぐ下に住宅街が広がっているのは神戸の住宅事情の典型例。そこからR428を吊橋で越えて鍋蓋山に登り返し、再度山から布引ダムの工事用道路を通って市ヶ原に出ると「半縦」は事実上ゴールです。「全縦」はここから稲妻坂を登り摩耶山、そして六甲山上へ向かいます。

 「半縦」の最終コースは布引ダムを経て新神戸駅へ。1900年に完成した布引ダムは現在水を完全に抜いての補修中のため、石組みのアーチが良く見えます。そして不意に谷あいから飛び出し、神戸市の中心、新神戸トンネルの延長線上の生田川から港島トンネル、神戸空港連絡橋が一直線に見える見晴台を過ぎると布引の滝です(台風23号の影響で滝経由の登山道は現在通行止)。

 不意に「まもなく、のぞみXX号、東京行きが……」の放送が聞こえてくるとゴールの新神戸駅。登山道に流れる?構内放送のほかにも、上りホームの窓越しにその清流が見えますが駅自体が布引渓谷の上に立っており、新幹線駅から10分も歩けば雄大な渓谷美というユニークな一面も通常の利用だけでは気付きにくいものです。さすがに新幹線で乗り付けて登山やハイキングという人はそうそういませんが、地下鉄や市バスは新幹線連絡だけでなく、こうした登山、ハイキング客の足でもあります。

 ここまで「半縦」であっても約30kmと、気軽には歩けませんが、普段利用している交通網を俯瞰するという非日常的な楽しみと発見を考えると、何回かに分けてでも行ってみる価値はあります。

 

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 今回挙げた二つのコースは、実際に自分で歩いた道でもあります。「百名山ブーム」を挙げるまでもなく、登山、ハイキングの人口は多く、また、同じところに戻らないケースが多いことから公共交通の利用が多い分野です。

 六甲山の場合は街との距離が近すぎて、ややもすると公共交通の出番が無いことも有り得ますが、普段使いの公共交通でアプローチするケースがほとんどというところに、観光輸送の一環としての登山客輸送となりがちな他地域との違いがあります。

 このあたりが特に六甲山上の諸施設周辺での、登山客と観光客の動線がなかなか重ならないところになって現れているのでしょうが、一方で有馬温泉のように見事に重なっているケースもあるわけです。

 もちろん山上の諸施設のあたりは、登山の場合は目的地ではなく中途のため、そこでくつろぐということが少ないのでしょうが、例えば山上での観光と片道のハイキングを組み合わせる、というような形態の観光を提案できれば、往復型、周遊型に次ぐ新たな需要を開拓できるのかもしれません。堅調な登山、ハイキングと苦戦する観光。そのはざまで交通機関をどう活用していくのかが問われる局面です。

 

 

 

 

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