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単純な批判では見えない真実
エル・アルコン 2007年7月10日
●相次ぐ「高給」批判
2007年6月28日の神戸新聞は、市バスの運転手の3割が年収1000万円を超えており、平均でも約890万円と、兵庫県内の民間バスの平均(44歳)が約500万円と比較して大きな開きがあると報じました。
また、7月3日には総務省が地方公務員の現業職の給与水準が、同種の民間水準の1.6〜2.1倍に達すると発表し、全自治体に対し、通知を出して見直しを促すとのことです。
こういうニュースが出てくると、まず湧き上がるのは「税金で食ってる公務員が民間水準を大幅に上回るとは何事だ」と言う声です。
確かにそれはごもっともであり、批判もでてくるでしょう。特に事務職と比べて諸手当がつく現業職は収入がどうしても高くなるだけに、そういう批判が昔から絶えなかった事も確かです。
しかし、少し前までなら諸手を上げて賛成できたこうした批判は、本当に正しいのか。昨今の労働環境を見ると、その批判は「為にする」批判ではないのか、と言う疑念が出てくるのです。
●批判が正しい前提は
大方の民間企業に比べて公務員の給与が高い。特に足下の状況を見たとき、確かにそれは事実でしょう。
しかし、その比較の前提条件を見るとどうでしょうか。
派遣に代表される非正規雇用の増加に契約社員制度など、民間の労働収入はここ数年減少傾向にあります。さらにワーキングプアの問題など、生活保護の水準すら保てない収入に甘んじる層の拡大など、労働市場は最悪の状態と言っていい環境ともいえます。
そういう渦中にある「民間水準」をベンチマークにしての相次ぐ批判は果たして正しいのか。
客観的な基準で、世代相応に衣食住の支出から子女の育成、進学などを考慮した標準的な「標準賃金モデル」をまず提示した上で、分不相応な賃金であるかどうか、と批判するのなら分かりますが、そういう客観的な批判はまず起こりません。
そもそも労働組合ですら標準モデルというか、客観的基準を掲げて賃金交渉をしていない状況では、公務員と民間に相対的な格差はあっても、それが絶対的に「高い」のか「安い」のかを云々する状況にありません。
さらに公務員の給与と言うものは、客観的な基準があるかはさておき、「標準的な賃金」という面があるわけですから、下にあわせると言う発想は必ずしも正しくありません。逆にこの業種ならそのくらいは出すべきと言うベンチマークとなって、賃上げを促す機能すら期待されます。
もちろん自治体の財政状況によっては、業績が悪化した企業が賃金カットに踏み切らざるを得ないように、公務員の給与も下がって然るべき局面にあるケースも存在しますし、地域丸ごとで低賃金になってしまった場合は、それに応じて下げる必要もでてきますが、単純に他が低いから下げろと言うのでは、業績に応じた労働分配のメリハリがない公務員にとって、下ぶれしかないのではさすがにそれは問題でしょう。
●比較対象先である民間の現状は
そういう視点で「民間」を見るとどうでしょうか。
槍玉に上がったバスの運転手にしても、民間バスの車内や営業所で見る求人募集の大半は1年といった契約社員です。長期雇用の保証もない不安定な状況で、待遇を見ても、年収に直すとどの程度でしょうか。
先にフォーラムで話題になったタクシー業界はさらに深刻であり、需給バランスが崩れた状態での出来高払いという、過酷な条件ですから、バス業界はまだマシとはいえ、その状態をベンチマークとすることが果たして妥当なのか。
それでも業界大手ならそれなりの年収と言うのであればまだわかりますが、業界挙げて低年収と言うのであれば、その業界自体を選択するインセンティブが働かなくなるわけで、モラルハザードが発生しやすい状況です。
民間の場合、企業として生き残らないと株主に対する責任を果たせないばかりか、会社そのものが破綻するリスクがあるわけです。
そうした中で事業を継続するには、どうしても労働コストにしわが寄らざるを得ない面があります。よしんば労働分配を維持するのであれば、不採算事業の整理が必須であり、交通事業でみると、低賃金と路線維持がトレードオフの関係になる悩ましさがあります。
●「公共」が低賃金に誘導することの是非
一方で公共性を重視したら、路線維持に最低限必要なコストとして補助金の支出が不可避になります。
地域の移動サービスの維持として必要なコストという位置付けです。
一方で大半の自治体は、慢性的な歳入不足と公債費の増加に悩まされており、必要なサービスも満足に提供できないケースが出ています。
そうなると、サービスを最小限のコストで提供できないか知恵を絞ることになります。
そういう状況で、既存の路線バス事業者ではない新しい事業者が参入するケースが目立つコミュニティバスを見るとどうでしょうか。
同じくフォーラムで話題になった「はるかぜ」はそうした事業者の参入で区内の移動サービスを充実させてきました。
一方でその展開を下支えしてきたのは、非正規雇用をベースとした低賃金雇用に他ならないのではと言う指摘が相次いだように、低運賃で民間があまり参入しなかったり、あまつさえ撤退した後の路線を中心としたコミュニティバスというシステムそのものが成立してきたのは、運行コストの太宗を占める人件費の切り詰めが前提にあったのでは、ともいえるわけです。
もちろん補助金の出し方次第では充分な労働分配が可能ですから、全部が全部そういうものではないのですが、そういう疑念が払拭できないケースも少なからずあるわけです。
そして最大の問題は、その流れを自治体と言う「公共セクター」が推進しているということです。
最低賃金制度、労働基準監督署による指導など、その実効性については疑問や疑念が山積しているとはいえ、適正な労働環境を維持する役割を担うのもまた公共セクターであるなかで、非正規雇用、低水準賃金を前提にした事業を行うことが妥当なのかどうか。
自治体もまた夕張市のように破綻リスクがある中で、奇麗事を言っていられないという現実はありますが、だからといって公共が許される範疇と言うのは、民間に比べるとハードルが高いはずです。
●無意識のうちに容認してきた流れ
このような瀬戸際のような事態になるとさすがに雇用、賃金の問題も重きを成してきます。
しかし、交通業界でここに至るまでの推移を考えると、これまで国民、メディアや専門家、さらには趣味者までが、本質的には今日の状況につながる事象を容認してきた、いや、賞賛してきた過去を無視することは出来ません。
旧国鉄の特定地方交通線を転換して発足した第三セクター鉄道。「マイレール」としてコストを切り詰めて必死の経営という印象が強いですが、これらの第三セクター鉄道に共通するのが旧国鉄退職者の再雇用です。多くが嘱託扱いでコストを下げたこの「ビジネスモデル」、見方を変えれば足元の非正規雇用(非正社員)による労働コスト切り下げと共通したものがあります。
そしてそれによる「黒字経営」を国鉄時代と比較して賞賛したわけです。
また、大手バス会社の地域分社。これも地元密着、小回りが効く経営という評価がされましたが、結局これも独自の雇用体系の採用による労働コストの切り下げにほかなりません。かつてはそれでも親会社から分離することで親会社の経営成績を良く見せる効果がありましたが、完全連結決算となった昨今では、子会社の損益は親会社と通算ですし、逆に地域分社がそれぞれ間接部門を持つと言う不合理すら指摘できるなかで分社化の流れが止まらないのは、雇用や労働コストの面でメリットがあるからでしょう。
もちろんサービス面での改善など利用者や地域にとっての「功」の面が大きいのは確かですが、従業員の収入減少を前提とした事業の再構築の成功例となったことで、それは他業種にも波及するのです。
旧国鉄の赤字ローカル線廃止の頃から考えると四半世紀近くなりますが、その当時、いや、今日に至るまでの間でその問題に気づいたのかどうか。無邪気な賞賛は、単純な公務員叩きと相似形です。
●それでも理解されない末には
といっても公務員の「高給」にしても、タクシー運転手にしても、実態を理解する人がいる反面、批判する人が絶えないのも事実です。
確かに公務員の場合は、どう考えても絶対的に高いと言わざるを得ないケースが散見されますし、民間レベルと言うよりも一般常識としてみても理解に苦しむ「手当て」による底上げまであるなど、問題は少なくありません。
また、公営交通のサービス水準が民間のそれに対して低いケースも多く、「民間では割に合わないケースでもサービスを提供する」という公共サービスとして止むを得ない赤字などでは到底ないケースとしかいえないのでは、よしんば絶対的に高給でないとしても、現状では納税者の理解を得るのは到底難しいと思います。
タクシーの場合も、バブルの頃には激しかった、いや、近年でも少なからず見られる「乗車拒否」や「近距離の忌避」というようなサービスレベルが、一般市民から見た印象を悪くしており、これが「賃金問題」への理解の妨げになっている懸念があります。
そうはいっても、賃金水準が死活問題になっている状況ですし、さしもの現業公務員も民間並みにするとなると、こちらも遠からず同じような状況になる懸念があるわけですが、そういう状況を見ると、失礼ながら「アリとキリギリス」の寓話を思い出します。
寓話が読み手に教訓を与えるためにはキリギリスは横死すべき存在になりますが、実社会においてはそこまでを容認することは許されませんが、今の流れではそれすら求めかねない、生贄を求めている状況ともいえます。
昨今の雇用、賃金情勢が人々に心の余裕を失わせたと言ってしまえば簡単ですが、共に上にあがるのではなく、下に追い落とすような流れには、不安はおろか恐怖すら感じます。
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