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バス転換の評価への疑問



エル・アルコン  2007年10月 7日





 赤字ローカル線の廃止に伴いバス代行された路線が総じて鉄道時代よりも輸送量を落としているという「事実」を取り上げて、「バス化」は公共交通の更なる衰退に繋がるという意見が最近よく聞かれます。

 しかし、バス化というのは、鉄道による輸送が輸送量に対して過剰であり、それを適正化するという処方箋であり、少なくとも交通以外の分野においてはこういう「規模の適正化」が適切な対策であることが多いです。ところが交通の分野においてそれが当てはまらない、あまつさえ間違いであるとまで指摘されるのはなぜか。交通の世界は、それが需要と供給という世界であっても特殊なのか。

 結論からいうと、その多くは「濡れ衣」といわざるをえません。

 鉄道がなぜ廃止されたのか。「利用されなくなったから」というのは表面的な事象であり、そこには「なぜ」という原因が必ずあります。

 その「原因」「理由」はその路線において違いはありますが、概ね下記の要因に含まれる話です。

 「運賃が高い」「終電が早い」「本数が少ない」「目的地にダイレクトに行けない」「所要時間が遅い」「家から駅が遠い」「目的地から駅が遠い」

 そしてその比較対象は競合交通機関であったり、クルマであったりするわけです。

 廃止において、「規模の適正化」を目的にするのであれば、鉄道という地上側、車両側の設備一式を事業者が負担する形態から、バスという車両側の設備と車庫など必要最小限の地上設備だけを事業者が負担する形態に改める「だけ」のはずです。本来どの産業においても、「規模の適正化」を評価する場合の比較は他の条件に変化が無いことが条件になります。他に変化がある場合は、そちらは別の変化要因として抽出して、「規模の適正化」の評価対象外になります。

 では交通における「バス転換の評価」を考えて見ましょう。確かにバス化により鉄道時代の利用を大きく下げていることは事実です。しかし、その原因は「鉄道が立ち行かなくなった」ことと同様に、理由があるわけです。その理由がバス化により必然的に発生すること、つまりバスである以上はどうしても適わない事象であればバス化は利用をさらに減じるという一般論化が可能です。しかし、実際はどうでしょうか。

 鹿島鉄道の場合は運賃が高くなりました。日立電鉄もそうです。一方でバスには定時性というこれはバスである以上どうしても適わない欠点があるわけです。そのハンディキャップを土台に持つところに、運賃水準というある意味一番シビアに効いて来る「理由」を上乗せして鉄道時代と同水準の利用が得られるわけがありません。

 さらに言えば、上記のようなさまざまな「理由」がある中で、公共交通として盛り返すためには、逆にバス化を機にこれらの「理由」を解消していくことが必要なはずですが、「廃止代替」として補助その他を得るためには、事業者の経営状態にもよりますが、あくまで「現状維持」(もしくは値上げや減便などの「劣化」)が求められることから(可部線「代替バス」が非常に使い勝手の悪い「急行バス」になったのもそのため)、そうした積極構成がとれないという問題があるわけです。

 真に公共交通を維持するためには、なぜ鉄道として立ち行かなくなったのか、という原因、理由を丹念に検証して、その原因、理由をいかにして解消していくかが鍵になります。現状の廃止代替バスはその命題に何も応えていないばかりか、原因、理由をさらに背負い込むようになっているわけで、それでは利用されないのもあたりまえです。そしてそのようなベースがゆがんだ比較を基に「規模の適正化」としてのバス化を否定することを一般化することは適切ではないでしょう。





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