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沖縄本島〜〜路線バスめぐり

 

とも  2004年 9月 1日

 

 

前文

 日本の公共交通は自動車との厳しい競争、そして規制緩和とともに押し寄せた事業者間の熾烈な生き残り競争という過酷な状況の中で、事業者・行政による様々な施策が実施されてはいるものの、特にバス分野の衰退は著しく一部の都市において活性化がされているものの、全体的には衰退基調であるのは変わりありません。

 そんな中、バス事業者の経営問題を始め、公共交通に関する問題の「縮図」ともいえる様々な問題・事象が噴出しその都度対応を取るほどの状況でありながらも、トランジットモールなど先駆けた施策の導入も検討されついにはLRTまで導入方針が出てしまう「公共交通」が今、最も「熱い」地域。それが沖縄です。

 「ゆいレール」というこれまでの沖縄には無い「定時・定速」の交通機関の誕生により、公共交通に劇的な利便性向上が見られるなど沖縄の公共交通は劇的な変革を遂げています。そんな中でこれまで長年にわたり沖縄の公共交通を支え、そして、今でも沖縄の真の意味での公共交通の主役である路線バス。4社中2社が再建中、1社は解散して受け皿会社に事業譲渡と非常に厳しい経営環境下である中、展開が期待できるところです。

 
左:ゆいレールの開業で岐路に立つ路線バス(小禄にて)    右:那覇の中心部にある那覇バスターミナル

 2003年から2004年にかけて数度にわたり沖縄訪問の機会に恵まれ、空いた時間で本島内のバスをいろいろ乗車し、沖縄のバス事業の現状に、極々一部ではあるが触れることができました。今回はその中から2004年2月の訪問時に回った中南部のバスについて乗車記録に沿ってバスの現状をまとめてみました。

 なお、本文中は当時の事業者名・系統名のままとなっており、2004年 7月の那覇交通→那覇バスへの経営譲渡前のものとなっている点は、ご容赦ください。写真は2004年 2月に撮影していますが、一部は2003年5・6・11月、2004年 7月に撮影しています。

 

 

1.南部半周編

 沖縄本島南部は先の大戦での激戦地というイメージが強いですが、サトウキビ畑が広がるのんびりした雰囲気の地域でもあります。今回は観光ルートである「平和祈念公園」、「ひめゆりの塔」、「あしびなー」ではない南部をかいま見るルートをチョイスしてみました。

 

・那覇バスターミナル(旭橋)→糸満ロータリー(89番糸満線 沖縄バス)

 那覇市旭橋にある我が国屈指のバスターミナルである「那覇バスターミナル」。沖縄の路線バス事業者4社のターミナルとして活況を見せています。

 
左:那覇バスターミナルの様子(別の日に撮影)    右:旭橋バス停横を走るゆいレール

 まずはこのバスターミナルからスタートです。糸満行きはバスターミナルから出発しますが、一度与儀地区を循環して再び旭橋に戻り南下するルートを取るため向かい側の旭橋バス停から乗車します。

 旭橋を出たバスはゆいレールを横目に明治橋を渡り、小禄地区の住宅街を進みます。このあたりは軍用地からの返還地ということで計画的な市街地が形成され、その整然としつつも味のある街並みや景観は特筆すべきものといえます。特に道路網は普通に区画整理の標準系で作っていながらも、随所にボンエルフなどを導入してゾーンによる流入抑制を図りつつも、利用者に無駄な迂回をさせない工夫が見られるという好例です。首都圏ではまず見られない素晴らしい事例でしょう。

 そんな街中をバスは小禄駅前に向かいます。沖縄「初」の交通広場の整備された小禄駅前を通り、豊見城市に入ります。この89番、ゆいレールの開業で打撃を受けた路線の一つと言われていますが、さすがに平日の昼下がりでは所要時間差は無いこともあり、買い物客が乗り降りする程度です。豊見城市は新興住宅地として、その人口伸び率が話題になった「飛び級市」(村からいきなり市へ)ですが、89番のバスが走る旧道は比較的古くからの住宅地と言うことで、赤煉瓦の伝統家屋とは異なる沖縄独特の家屋であるRCの一戸建てが目につきます。アップダウンのある丘陵地を進み、豊見城南高校を過ぎれば右手には再開発地域が。この再開発地域にはグッチのアウトレットで名高い「あしびなー」があります。

 バスは糸満市の埋め立て地である西崎地区をかすめ、糸満市街に入ります。市街はやや混雑した感じ。南部といえどもバスで40分弱ですから大した変化は無い……と思いきや、やはり那覇とは雰囲気が違います。日本の典型的地方都市チックな雰囲気と沖縄独特の風情が混じり合った、ある意味「アジアン」な風情をかもしだします。この糸満市街の中心には我が国では珍しい「ラウンドアバウト」である「糸満ロータリー」があります。この糸満ロータリーで下車してしばしのロータリー見物。国道側が信号となっているアメリカ方式のランドアバウトですが、コンパクトであり、非常に優れた処理方法と関心してしまいます。本土ではどうしても採用されない交通システムですが、沖縄の方々の「やさしさ」こそがその存在を支えているのかも知れません。

  糸満ロータリー

このロータリーから西に入ると糸満バスターミナルがありますが、バスの時間もありますので、次のバスの乗ってみましょう。

 

・糸満ロータリー→玉泉洞(81番西崎向陽高校線 琉球バス)

 糸満ロータリーからは内陸部を進んで玉城村の玉泉洞に向かう81番に乗り込みます。

 このバス、ほとんどスクールバスという存在で朝夕の登下校時間に1日2往復。当然平日のみの運転というものです。しかもやってきたのは今や沖縄でしか見られないような古いバス。1978年の沖縄の交通方式変更時に入ってきた「730」と言われる車両です。しかも乗った車両の車検はもうすぐ。廃車になるのでしょうか……。このようないわゆる「通学路線」が全国どこでも路線バスを支えているのですが、沖縄は那覇都市圏以外はほとんどこの状態とのこと。厳しさの象徴のような路線です。しかし、全国にはこれの上をいく「通学客の路線バスからの逸走」が見られる都市もあるだけに、恵まれているともいえますが。

  81番で使われている「730車」

 運転手さんに「どこまで行くの?」と驚かれながら乗車。そんな古いバスに今時の高校生ともいえるスタイルの帰宅の学生を乗せ、バスは東に向かいます。

 糸満市街を抜け、しばらく走るとサトウキビ畑の中。バスはのんびりでもそれなりのスピードで進んでいきます。ところどころ集落に立ち寄りながら、真栄平、中座を経て具志頭へ。客はドンドン減っていき、具志頭に着く頃にはほとんどいません。そんな寂しい車内でしたがここで一変。ドカッと小学生が乗り込みます。車内は一気に賑やかに。とはいえ、小学生ですからバス停3〜4つで下車していき、ハーリーのふるさとである漁港、港川を過ぎるともう車内は閑散とした雰囲気。海辺の漁港に別れを告げ、丘陵地のサトウキビ畑の中を一路玉泉洞に向かいます。

 最後、玉泉洞では乗客は私1人でした。

 

・玉泉洞→具志頭(82番玉泉洞糸満線 琉球バス)

 玉泉洞から乗り込んだのはまたまた730車の82番糸満行き。平和祈念公園やひめゆりの塔を回る路線ですので観光客にも利用される路線とは思うのですが、今や観光ではレンタカーや観光バスが主流であり、路線バスを使っての散策はそれほど見られないのでしょう。玉泉洞からの利用者は私1人でした。

  
 左:南部戦跡を回る観光路線である82番    右:730車(琉球バス)の車内

 見た目オンボロとはいえ、車内はきれいに掃除されており、社員の方々の心意気には頭が下がります。

 そんなバスに乗り込み来た道を戻る形で具志頭へ。往路と違い、さほど学生も乗車せず、なんとも寂しい旅路です。でも20分弱で具志頭に到着。ここで降りてしばし次のバスを待ちます。

 

・具志頭→東風平(50番百名(東風平)線 琉球バス)

 具志頭からは那覇行きの50番に乗り込みます。ここから那覇への系統は便数も多く都市的な路線となります。バスは 507号に入り、サトウキビ畑の中を軽やかに進みます。途中集落に立ち寄ったりはしますが、割と速いスピードで快適な旅です。乗客は10人ほど。学生が多いですが、社会人や主婦といった方もときおり乗り降りする様子です。

 家が増えてきて、町のようになってきたなぁと思ったらそこが東風平。市街地なので降りてみましょう。

 といっても、商店街と言うほどでもなく、昔ながらの集落と言った雰囲気です。お弁当のお店などはどれもおいしそうで、興味を引かれましたがここは我慢。ブラブラ散策し、一つ先の東風平入口バス停まで歩いてみました。

  東風平交差点/通りかかったJRバスカラーの観光バス

 

・東風平入口→開南(34番糸満(東風平)線 沖縄バス)

 夕方になり薄暗くなってきたので那覇市内に戻るべく、那覇行き34番に乗車。混雑する 507号を北上します。このあたりまでくると夕方の帰宅時間帯でもあり市街に進むに連れ混雑が激しくなってきます。乗客はやはり学生主体。休み前ということで遊びに行くのでしょうか。高校生が多く乗っています。

 東風平から山川へ抜けると一気に市街の様相。津嘉山付近では郊外型店舗が軒を連ねます。 329バイパスを超えると国場。ここから那覇市内です。

 バスはR329旧道に進路を変え、那覇バスターミナルに向かいます。このあたりは那覇市の外縁市街地として沿道にはマンションなどが建ち並ぶ住宅地です。4車線の道路にはバスレーンが設けられていますが、非常に遵守率が高く、バスレーンに一般車が入り込みません。真新しい車が渋滞にはまって並ぶ中、その横を快調にかっ飛ばしていく古いバスの姿は、沖縄のバス事業の複雑な状況を見るようです。

 古波蔵を過ぎると右折してR330(ひめゆり通り)へ。ここから与儀まで北上していきます。与儀十字路を曲がると牧志市場や国際通りからのびる商店街の南端にあたる開南に到着。

 ここ開南は南東部方面への路線集約がされるポイント。多くの利用者がバスを待っています。いくら沖縄のバス事業が苦況とはいえ、他の地方都市でも珍しいほど見るからに多様な属性の方々がバスを待っているというのは、ある意味でバスの可能性を見せていると言えましょう。

 この開南には日本でも珍しい(といっても最近は多い)、バス専用信号があり、あたかも路面電車のように専用信号で運行するというシステムになっています。このような信号やバスレーンなどの存在が沖縄のバス利用の下支えになっていると言えます。

 この日のバス旅はここでお終いです。明日は中部に行ってみることにしましょう。

 

 

2.中部一周編

 前日は南部一周でしたが、今日は沖縄市や嘉手納のある中部に足を伸ばしてみます。普天間や嘉手納といった米軍基地が居座り、その合間に広がる市街地。そこをバスで訪ねたら、これまでレンタカーなどではわからない沖縄の現実と現代史が垣間見えるものでした。

 

・那覇バスターミナル→与那原(39番百名線 沖縄バス)

 休みのビジネス街はさすがに殺風景。とはいえ、レジャーでしょうか、58号には車が走り回ってます。那覇バスターミナルは休みといえどもバスがズラッと並び、平日と変わらぬ活気を見せます。といってもバスの出入りだけですが。数分毎にバスが出て行くバスターミナルから東の与那原に向けて39番に乗車です。この39番は与那原を経て百名にいたる路線。この路線の終点は南部に近くなります。

 県庁南側の坂を上り、開南を経て与儀へ。昨日の逆ルートでバスは進みます。古波蔵からR329に入り、国場へ向かいます。道すがら右手には古い石橋の遺構が見えてきます。この橋は真玉橋。琉球王朝時代の尚真王が国場川に架けた木橋が最初で、18世紀にこの石橋に架け替えられ、以後、戦前までそのまま使われていましたが、先の大戦で破壊され、戦後は米軍により鉄橋が架けられました。1995年に遺構が発掘され、現在はモニュメントとして復元保存がされています。そのアーチ形状は実に美しいもので、そのすばらしい石工技術には驚かされます。

 さすがに休日だけあって快適な道中。南風原へと進みます。

 ロードサイド店舗や事業所が増え、沿道の様子は変わっていきますが、相変わらずのさびしいバスの車内です。那覇バスターミナルを出る時点で 3名、開南で 2名の乗車があった後は動きがありません。途中、南風原で 2名乗車があり、私を除き 7名で与那原へ。いくら休日の午前中とはいえ少ない流れです。

 今回乗車したこの39番は本土からの中古車。このバスに限らず、沖縄では本土からの中古車が数多く使用されています。そんな中古車の多くは2ドア車です。ところが、沖縄は中長距離便が多いためか那覇市内線以外では前ドアしか使いません。

 そのため、不要の後ドアや中ドアは埋めているのですが、最近ではそのままドアを締め切り、そこにイスを置いています。趣味的に見れば興味深いのかもしれませんが、見方を変えればこの辺りにも沖縄のバスの厳しさが伺えます。

 現実には西海岸の系統では途中バス停での乗降が多く、各バス停での乗降時間がかかっており、前ドア限定にこだわる点に疑問点は残ります。


左:埋められた中ドア       中:与那原交差点に停車中の39番         右:与那原交差点

 バスはおよそ35分で与那原の市街に到着です。与那原で下車して北上してみましょう。

 

・与那原→普天間(59番新垣線 東陽バス)

 与那原からは東海岸を北上します。沖縄本島は細長い島ですが、この東からR329、R330、R58 という3本の国道が南北に通じています。このうち、もっとも東側にある海岸沿いのR329をバスは進みます。

 さすがに休日ということで、買い物客と思しき客層が数人。とはいえ、途中のバス停で何人もの入れ替えをしながらということで、閑散というイメージはありません。

 この59番は東海岸沿いに進むバス路線ですが、便数は極めて少なく利便性が低い路線です。しかしほとんどの区間で他の系統と重複しており特にこの系統ということとを意識して乗車されている方はいない様子です。

  59番東陽バスの車内

 西原町のショッピングセンターで10名前後の乗り降りがあった後、しばらくは乗降も少なくなります。奥間で海岸沿いから山間に入ります。アップダウンの続く道を進み、沖縄道を越え普天間の市街に入ります。

 R330沿いの市街地に出ると「普天間」バス停です。

  普天間市街地

 

・普天間→プラザハウス前(27番屋慶名線 沖縄バス)

 普天間から沖縄市方向のバスに乗車します。那覇から普天間・コザを経て海中道路の入り口にある屋慶名までの路線である27番に乗車です。普天間交差点を右に折れ、普天間基地の東端を進みます。

 瑞慶覧付近ではキャンプ瑞慶覧と基地の間を進む米軍基地の中を通るルート。皮肉なことに米軍基地沿いほど歩道が整備されているという実情があります。米軍基地の中という環境は本土でも横田や三沢などにありますが、南国の雰囲気により妙にマッチしてしまうその景観に現実の厳しさを感じます。

 とはいえ、率直に都市景観で見たときにある種の「景観としての整然さ」を感じるのも事実であり、返還後の沿道開発はよっぽど注意しなくてはならないでしょう。

  車窓から見えるキャンプ瑞慶覧

 沖縄市の入り口にあたる「プラザハウス」で下車。ここ、プラザハウスはアメリカ型ショッピングセンター。米軍基地が近くにあるだけになんともいえぬ異国情緒なわけですが、見方を変えるとアメリカ型ショッピングセンターの良い面を上手く吸収しているという点も見逃せません。バイアスをかけないで物事を見ることの難しさを痛感します。

  プラザハウスショッピングセンター

 

・プラザハウス前→胡屋(31番泡瀬西線 東陽バス)

 プラザハウスから沖縄市の中心部胡屋に向かいます。この区間は国際通りとともに4社競合区間で、便数もとても多く数分おきに路線バスがやってきます。具志川、屋慶名、名護、石川方面への路線を中心にかなりの高頻度での運転となっており、利便性はきわめて高いです。

 プラザハウス前からは道路幅も大変広く、良い意味で日本離れしたゆったりした線形となっています。とはいえ、アップダウンは結構激しく、構想にあるLRTは大丈夫でしょうか……。

  プラザハウス前のR330

 このあたりはアメリカ施政下にて繁華街として栄えた「コザ」につながる市街地。日本離れした景観はその辺りが影響しているのでしょうが、沖縄の歴史を考えればそれは複雑なものです。

 純粋に都市景観とした場合には特徴あるアジアらしい景観といえますが、それはアメリカ統治下にあったがためのものであり、真の意味での「琉球」とは異なるもの。都市の歴史や文化を反映するまちづくりとは「言うに易く行うに難し」とはよくいったもんだと痛感しました。

 そんなR330を北に進むと大きな交差点「ゴヤ十字路」に至ります。この特徴ある交差点のある「胡屋(ゴヤ)」で降りてみましょう。

  胡屋バス停に停車する31番(東陽バス)

 この胡屋を含む一帯は「コザ」と呼ばれます。この「コザ」は、山梨県南アルプス市の誕生まで唯一のカタカナ市名と知られた町。そして、米施政下で発生した「コザ暴動」などで知られる町です。このコザのそもそもの名前は「越来村」。それが大戦時に米軍の野戦病院などが置かれ、キャンプコザと呼ばれたことから「コザ」の名がついたとされます。

 このコザは嘉手納空軍基地の「基地門前」で栄えた町。基地門前ということで歓楽街が栄え、米兵相手の商売がさまざま成立していました。そのため、基地依存度の極めて高い町であったわけですが、日本復帰後に衰退をはじめ、いまや寂れた雰囲気をかもし出しています。

  空港通り(ゲートストリート)

 この胡屋から嘉手納基地に延びる道路が「空港通り」(ゲートストリート)。米兵や観光客相手の店が立ち並びます。当然、店頭には英語が並び、なんともいえない異国情緒をかもし出しています。その商店構成は正直、魅力的。私は NHLが好きなんですが、そんなお店もちゃんとある。これは確かに観光客を呼べるものでしょう。しかし、これは沖縄の複雑な歴史の裏返し。そのまま肯定ができないだけに難しいです。

 まちづくりという点で見逃せないのは道路構造です。わが国では珍しい「路上駐車を前提にした道路構造」。駐車スペースを確保し、短時間駐車を許容する。その分、歩道などはきっちり整備をする。この方策は各地で参考になりましょう。(この道路形態は北米でよく見られる形態と同じであり、車と街の共存、駐車時間の短縮、流動の増加に効果があるという意味で非常に優れたものです。良いものは良いとして取り入れることは悪くないと考えます)

 そして、その北にある美しいモールが「中央パークアベニュー」です。このパークアベニューはまさに「セミモール」の見本のような道路。美しい歩道、きれいな町並み、セットバックスタイルのアーケード、美しい植樹、ところどころにある休憩所とよく言われる「理想のモール」に近いものを実現しています。しかし、沿道の店舗はシャッターを下ろし、「中央”シャッター”アベニュー」などという悪名がつけられるほどの道路です。

  中央パークアベニュー

 そんな「パークアベニュー」はまさに今のコザの象徴ともいえます。

 コザの場合、典型的な業態ミスマッチがもたらした衰退です。とはいえ、その受け入れがたい異国情緒が観光客を集めているのも事実であり、またその歴史があるからこそ、「コザ・ロック」が生まれ「コザ文化」が生まれ、それが沖縄発の音楽の素地につながるという見方もできるだけに、複雑なものです。

 

・胡屋→読谷バスターミナル(62番中部線 琉球バス)

 胡屋から西海岸に移動してみましょう。コザから西海岸へのルートは実に限られてます。どちらかといえば東側にあるコザから西海岸の間には米軍基地や演習場が広がるため沖縄嘉手納線、沖縄北谷線(国体道路)など基地の南北にある道路に限られます。

 今回選択したルートは62番中部線。このバスは嘉手納基地の南西にある砂辺から北谷を経て基地を回るようにコザ、知花を経て嘉手納に至り、そこから西海岸リゾートエリアの入り口にあたる残波崎のある読谷に至る路線です。

  胡屋バス停からの62番読谷バスターミナル行き

 まず、胡屋を出たバスは細くなったR330を進みます。沿道には市街地が連なりますが、店舗にはシャッターが並び、その環境の厳しさが伝わります。この辺りは返還前からの市街地ということで、看板には英語表記が目立ちます。そんなR330はR329と交差するコザ交差点で終点。バスはここを左折し、R329を石川方面に進みます。このコザ交差点をまっすぐ進むと再開発地域の江洲や泡瀬に出られますが、このあたりが沖縄市の新たな拠点になっていくのでしょうか。

  胡屋交差点

 バスはR329を北上します。このあたりは幅は決して広くは無く、右折レーンもままなりません。典型的地方都市部市街地的な町並みを進み、知花交差点を左折。池武当方面に向かいます。このあたりは郊外として住宅開発がすすみつつ、空き地や畑が広がる風景。アジアチックでありながら日本の典型的都市開発の雰囲気を持つという沖縄の典型的な風景といえます。

 沖縄自動車道の高架下となる池武当を右折して沖縄嘉手納線を嘉手納に向かいます。両サイドには米軍基地と荒地を繰り返すという風景が続き、バス停間隔も数キロ単位まで開いている様子。一つバス停を進むと驚くほど料金があがります。滑走路の横をくぐると、爆音をとどろかせ戦闘機が離陸。その滑走路が見える適度な位置にあるのが「道の駅嘉手納」。屋上には基地を望む展望台があります。観光地なのか平和を祈る人々なのか。その思いはイロイロでしょうが、少なくとも嘉手納の資源であることは良いか悪いかは別として紛れも無い事実であり、これを思い切って活かしている施設といえましょう。

バスは基地沿いに進み、「わが国最大のロータリー」である嘉手納ロータリーを回ります。

  沖縄嘉手納線嘉手納基地付近

 嘉手納市街を抜けたバスは北にむけてR58を進みます。中央分離帯が広く、その分離帯には美しい植樹が続きます。この特徴ある道路をしばらく走り、読谷村に向けて伊良皆を左折。ここから読谷村の市街を進みます。

 読谷といえば「象の檻」というほど、有難くない名所を有するわけですがバスは回りこむように遠くにチラチラ伺いながら進みます。点在する米軍基地は沖縄の厳しい現実を見せ付けられますが、一方でバスの中の平和な雰囲気はそのギャップの前に「沖縄」という地域の歴史からくる独特のさまざまな異文化を受け入れる土壌があっての雰囲気なのか、単に米軍云々は関係なくなのか。不思議なものです。

 バスは読谷の連坦する住宅地を進み、高台にある読谷バスターミナルで終点です。ここからは美しい海が望めますが、観光客が訪れる観光地の残波崎には遠く、人通りも少ない地です。

 海岸沿いには恩納村のリゾートホテルが望め、沖縄らしい景観が望めます。

  
 左:読谷バスターミナル          右:読谷バスターミナルではバスの奥に美しい海を望める

 

・読谷バスターミナル→嘉手納(28番読谷線 琉球バス)

 読谷から那覇への長距離路線バスに乗って嘉手納に戻ります。乗車したバスは元米軍のスクールバスだった車両。琉球バスを代表する豪華な車両です。

 米軍特定輸送(スクールバス)を引き受けていた琉球バスが競争入札に負け余った車両を旧い路線車の置き換えに使ったもの。利用者からすればサービス向上ですが、米軍輸送がなくなって経営が苦しくなったといわれるだけに複雑です。

  米軍特定輸送からの転用車(プラザハウス前にて)

 米軍仕様のバスを降り、嘉手納ロータリーをしばし見物です。

 この嘉手納ロータリー、日本最大の巨大なラウンドアバウトですが、そのロータリー中央に人が住むというまた珍しい形態。嘉手納のシンボル的なものということも出来るかもしれません。

 しかし、このロータリーは嘉手納海岸に上陸した米軍が北飛行場(読谷)、中飛行場(嘉手納)を確保した後、物資輸送用として建設したもので、まさに戦争の遺産です。

   嘉手納ロータリー

  嘉手納近郊の大規模ショッピングセンター

 嘉手納付近では米軍基地があることも関係するのかアメリカ型の大規模ショッピングセンターが集まります。一種の新市街となっており、拠点性を持ちつつあり、今後の発展も期待できる地域です。

 嘉手納ロータリーを周回して嘉手納基地を眺めつつ再びバスに乗り、再開発地域の北谷に向かいます。

 

・嘉手納→桑江(20番名護西線 沖縄バス)

 嘉手納からは西海岸沿いの R58南に進みます。この20番は沖縄本島北部の拠点名護と那覇を結ぶ路線バス。延長70km。わが国でも有数の長距離路線バスです。リゾートエリアである恩納村などもルート上にありますが、乗ったバスには観光客らしき姿はなく一見して地元の方とわかる方ばかりでした。

 しかし、利用者数は多く、30人程度。年齢層もバラバラで広く利用されているのがわかります。このバス路線、ほぼ15分間隔という高頻度運転であり、この利用率は路線バスとしてはきわめて高いものと言えます。

  R58は嘉手納から南(那覇方面)は片側3車線。道路幅が広く実にゆったりした道路構造になります。この58号はアメリカ統治下では軍道1号線と呼ばれ、米軍直轄管理道路であったと記録されています。

 当時の琉球政府が整備した政府道とは異なり、整備水準や管理水準が高かったそうですが、この58号も復帰後も国の直轄管理の国道として高い水準で管理された道路です。

 このあたりでは時折爆音がとどろき、ふと上を見上げると戦闘機が真上を(そのレベルは旧香港啓徳空港に匹敵)飛んでいく。沖縄の厳しい現実をまざまざと見せ付けられ、観光地化している嘉手納道の駅で見るものとはちがうものを感じざるを得ません。

 バスは日本軍の抵抗が無くあっというまに米軍が占領したことで知られる上陸海岸を眺めながら進みます。右手には米軍施設の奥に美しい海岸が見え隠れしますが、その海岸から上がってきた米軍の侵攻が3ヶ月間に及ぶ沖縄戦の火ぶたを切って落としたとのこと。南部戦跡とは異なり「米軍」がいるだけに実感が違う意味でわいてしまいます。

 砂辺を過ぎ観覧車が見えてくると沖縄随一の賑わいを見せる地域である北谷に着きます。その北谷の中心部にあたる桑江でバスを降りてみましょう。

  
 左:桑江を走るバス(20番那覇行き)     右:米軍人家族子弟が利用するスクールバス(嘉手納)

 この辺りでは米軍関係車両を多く見かけます。首都圏でもおなじみの「Y」ナンバーだけではなく、こんなバスも。

 北谷は再開発で人気のスポット。美浜アメリカンビレッジの店舗や観覧車を中心に人気があります。58号を走るバスもこの桑江で降りて北谷に行く人が多く、拠点バス停となっています。

   美浜アメリカンビレッジ

  北谷町付近の58号

 

・桑江→伊佐(28番読谷線 沖縄バス)

 桑江から那覇方面に向かってさらに南下していきますが、寄り道しながら進んでいきます。

 北谷町を出た58号は混雑しているもののそれなりには流れています。米軍基地横の市街地を進んだ伊佐で降りてみましょう。

 

・伊佐→新城(31番泡瀬西線 東陽バス)

 伊佐から新城まで普天間基地とキャンプフォスターの間を移動していきます。普天間基地は市街地内の基地として知られていますがそのロケーションを見て見れば本当に市街地のど真ん中。家の角からヘリコプターが現れます。

 バスはキャンプフォスターを左手に進みます。普天間市街の入り口にあたる新城で下車します。新城付近の道路はさすがに市街地に近いだけに混雑が激しく、動きも滞りがちです。

  新城付近を進む那覇行き31番。左手の植樹の奥がキャンプフォスター

 

・新城→胡屋(77番名護東線 沖縄バス)

 新城から再び胡屋に戻ります。乗車したバスは77番。名護まで行くもう一つの路線ですが西海岸線とは違い便数もさほど多くは無く(といっても毎時2本はある)、ローカルバスの雰囲気です。

 バスは先ほど通った道を進みつつ胡屋に向かいます。

 

・胡屋→謝苅(63番謝苅線 琉球バス)

 胡屋から山里を経てキャンプ桑江と普天間の間を進むルートで再度58号線沿いを目指します。

 山里を過ぎると道幅が狭くなり、急坂を一気に下りながら海沿いを目指します。沖縄は案外と高台が多く、山地が続きます。北谷の旧市街を経て北谷のアメリカンビレッジが見えるとそこが謝苅です。

 米軍の住宅地であるキャンプ瑞慶覧を一回り。大きさにはやはり驚かされます。さて、那覇に戻りましょう。

 

・軍病院前→第一天久(28番読谷線 沖縄バス)

 58号をひた走るバスで那覇に戻ります。さすがに夕方近くなってくるとバスも混んできています。乗客は15人程度。そのほとんどが那覇まで……と思いきや、牧港や伊佐などでの乗降が多く、特にコンベンションセンターなどでの乗降が目立ちます。

 思った以上に乗り降りが多く、時間がかかります。およそ1時間で那覇新都心の西端、第一天久に到着です。那覇新都心は米軍住宅の跡地を開発しているもので、天久、おもろまちと呼ばれています。

 この新都心の東端にあるのが、ゆいレールの「おもろまち駅」。この駅は中北部からの路線バスの集積地点として計画されましたが、実際にはここに乗り入れるバスの本数は少なく、乗り継ぎも計画を達成していません。

 それだけに計画利用者数を確保しているゆいレールの実力は驚きであり、もし計画通りならどうなっていたか……そんな気にもなってしまいます。

  乗継拠点として整備されているおもろまち駅

 

 

3.沖縄のバスの課題

 沖縄のバス路線にいろいろ乗り、またレンタカーやツアーバスでの移動などを踏まえてみるといくつかの課題が見えてきた。簡単にまとめてみたい。

 

1)過当競争状態

 沖縄本島の狭いエリアに4社が競争するというのは当然のことながら過当競争を生んでしまっている。競争もコスト縮減やサービス改善に通じるものであれば良いが、コストも徹底して削り、経営も危うくなるなか、サービスを削って生き残る「サバイバル」に入っている。

 沖縄県が中心となり4社の統合が話し合われたが結局は頓挫し、もともと2社が再建途上のなか1社が解散→新事業者に引きつぎとなったわけだが、今からでも遅くは無いので何らかの策を講じる時期と言えるのかもしれない。

 4社の統合は無理でも連携、あるいは運営権などのチェックが入る形での再編を考える時期と言えるのではないだろうか。

 車庫の統廃合や共同利用、バスの共同購入による車両の積極置き換えなどを進め、全国でもおそらく唯一であろう「県庁所在地都市圏にノンステップバスがない」という状況の改善や、全国的にはすでに「骨董品クラス」のバスの置き換えを進めることも考えられるであろう。

少なくとも過当競争状態を健全な競争にしていかなくてはならない。幸いにして那覇交通は受け皿会社が見つかったが、次も見つかるとは限らない。ローカル路線の維持は今後、全国的に見られる問題は当然生じるだろう。

 そのときに4社のままでは厳しいのは確かであり、何らかの措置を考えていかなくてはならない。

 

2)公共交通のモザイク状態・非ネットワーク

 沖縄の陸上公共交通にはバス4社のほかにゆいレールとタクシーが存在する。

 タクシーの台数は非常に多く、また料金が安価(初乗り 2km 390円)であるがために短距離利用も多くバス・モノレールを上手くサポートする公共交通として機能している。

  
 左:安価で利用しやすいタクシー      右:利用状況が好調で那覇市民の足として定着しているゆいレール

 ゆいレールは2003年 8月に沖縄戦後初の軌道系交通機関として開業したが、利用実績は比較的好調でありネガティブキャンペーンが正直見られる中では検討しているといえる。

 しかし、バスとこれらの連携はごく一部で実現しているに過ぎない。ゆいレールでは、おもろまち駅と首里駅、赤嶺駅で実施が計画されたが、どれひとつとして成功とは言えない。

 図らずも混雑地域の代替になりえた古島(古島から市内側は混雑が激しい)で多く見られるに過ぎず、計画的なフィーダーバスについては導入が進まない。2004年秋から首里駅を拠点にコミュニティバスタイプのフィーダー輸送が、また2004年春以降、赤嶺駅で豊見城市のアウトレットモールあしびなー、首里駅で南風原町のイオン南風原ショッピングセンターへのシャトルバスが実施されており、今後に期待は出来るところである。

  利用が定着しない乗継拠点(おもろまち駅)

 これらの交通機関と各路線バスの融合は那覇都心部に全路線が集約する形態ではなかなか成立が難しいが、今後那覇新都心の成長による集客力向上やゆいレールの延伸などによる導線変化を鑑みれば必要性は高まるであろうし、検討に値するものであろう。

 また比較的幹線区間のバスの便数が多く、それほど待たずに乗れるためさほどの苦を感じず、各社のバス停統合は行われているため乗継そのものは容易だが料金抵抗が大きく乗継割引の導入が課題と言える。

 特に海洋博公園やオクマリゾート、あるいは沖縄で今最も人気のある観光地の一つ「美ら海水族館」がある北部エリアへは名護での乗継が必要であるが、ダイヤこそ接続が考慮されているが通し料金などは適用されない。車の無い観光客には厳しいものである。

  北部のやんばる地域への路線バス

 

3)基幹バス路線の未発達

 沖縄本島の基幹道路としては那覇〜名護間〜やんばる地域のある北部を西海岸経由で結ぶR58、那覇〜名護を東海岸経由で結ぶR329、那覇〜沖縄市の内陸部を進むR330、那覇から糸満を経て南部を一周するR331の4路線がある。さらに高速道路である沖縄自動車道がある。

 この5路線にバスの基幹路線も走っているが高速を経由する路線以外はいわば「各駅停車」とも言うべきものであり、わが国随一のリゾートである恩納村へ行くにも、観光地として名高い北谷や読谷へも地道に下道を1時間以上かけていく路線しかない。北部の拠点名護や中部の石川・コザへは高速バスがあるが便数は少なく、待ち時間を考慮すれば下道を行く選択肢も一般的となる。

 今後の観光誘致やリゾートとしての成熟を考えると基幹となるバス路線、特に遠距離速達便がない現状は厳しいといえる。

  那覇空港〜空港〜名護の高速バス

 那覇空港〜那覇〜名護を一般道経由(約70km 所要2時間超)で結ぶ路線バス。ツアーバスを除くとレンタカーを使わずに空港からリゾートホテルに行く唯一の方法。

 このように様々な課題を見ることが出来る。無論、これらは一来訪者に過ぎない立場でのものである。その点はご容赦いただきたい。

 これらの解決は容易ではないが出来ないものではないと考える。沖縄の観光や経済立地の優位性はすでに様々な場で語られている。米軍基地再編の中でどうなっていくか見えない点も多いが、手を打つのなら今を逃すわけには行かない。

 LRT導入計画もあるが、まずはバスを使いやすくしていくこと、それがなくては公共交通の悪化のスパイラルに嵌っていく。

 那覇−コザ−名護のLRTよりも高速バスを活用した基幹バスのほうがずっと現実的である。LRTも結構だがまずは沖縄のバスの改善を公共交通促進を訴える人々に期待したい。

 バスレーンや公共バスターミナルなどについては全国でも先進的であり、都市計画面での公共交通への考え方も進んでいる。総合的な交通計画の中での位置づけもある。

 あとはバスサービスの改変と過当競争の防止、そして基幹軸の強化といった具体策ではないだろうか。

 今後の沖縄のバス事業の展開に期待したい。

 

 

 

 

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