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富山のLRT計画具体化に思うこと
とも 2004年10月21日
富山市のJR富山港線をLRT化する計画において、2つの大きな出来事が続いた。
一つは富山市都市計画審議会において、富山港線LRT化路線の新規導入空間に関する都市計画の諮問がなされ、議決が10/18にされた。
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わが国では戦後初めての併用軌道に関する都市施設としての計画決定(モノレールや新交通システム・都市高速鉄道は事例が数多くある)であり、単にマスタープランに位置づけたとかそういう次元ではない具体化したものとして大きな進展である。
これにより軌道を都市計画事業として整備が可能となり、街路事業の適用を受ける条件が整ったことになる。いわゆる都市計画事業・道路事業による新規軌道整備が可能となったということだ。
もう一つは10/19の国の運輸審議会における特許の了承である。
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これにより、軌道法の手続きは事実上完了し、行政手続終了後に事業実施に移ることが出来る。いわゆる事業法である軌道法の認可が下りるのを待つだけということになる。上述の都市計画法の手続きと特許認可の手続きが完了すれば法的にすべての条件が整うこととなる。
この2つの出来事は富山のLRT構想にとって、計画段階の最大の山を越えたことになる。あとは事業・準備を粛々と行い営業開始までたどり着けば良い。無論、営業開始前後には「採算性を確保する」という更なる山があるわけだが。
なぜに計画段階における最大の山かといえば、ここまでの下調整こそが計画の「キモ」であるからである。都市計画決定がされ、軌道法の認可が下りたとすれば行政として各関係機関の合意が得られたということといえる。警察(公安委員会)、道路管理者(今回は事業者でもあるが)などLRT構想に不可欠な機関の法的な合意を得たものとなり、また行政としてLRTを都市施設として都市計画上位置づけたことで、その整備の努力義務が生じる。
つまり、それだけLRT整備計画においては一つのターニングポイントとなるものなのだ。
この計画決定により富山のLRTは「構想」から「具体の計画」へと次なるステップに移ったことになる。このような計画のステップアップをすることが都市交通整備においては重要なポイントとなる。那覇ではこのステップアップに10年を超える期間を要した。富山でも構想が表になってからでも1年半。おそらく内部的な検討も含めれば数年を要したであろう。
それだけ都市交通の計画策定には時間を要する。このステップをきっちりすることは非常に難しいことである。特に富山は全国初であっただけに特にその大変さは想像に難くはない。私も以前とある都市計画に携わった。全国でも例のないスタイルのものであっただけにその調整には大変苦労した覚えがある。
華やかにLRT導入運動を進めるのもLRT導入論を語るのも、あるいは都市計画の理想論を語るのは大いに結構だが、その実行にあたっては裏でこのような関係者の努力、いわゆる「泥臭い下仕事」があることを忘れてはならない。市民運動でもいくつもの「泥臭い」調整を自ら行っている例は数多い。こういう泥臭いことの意識が薄い理想論ばかりを述べ、無謀なスケジュールを示すような関係者や論者にはぜひとも今回の富山の努力を考えていただきたいものだ。
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