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ある意味で男性の自業自得ともいえなくは無い
とも 2005年 7月13日
やや刺激的なタイトルですがご容赦を。
本はベストセラーになり、映画は絶好調、ドラマも視聴率が高く好発進といまや純粋ラブストーリーとしてあの「セカチュー」をも超えそうな勢いの「電車男」。主人公の「電車男」が「エルメス」に出会うのは電車の中、きっかけは酔っ払いに絡まれた「エルメス」を助けるというもの。話としてはいかにもな話です。確かにこういうことは珍しいことではありません。
まさにこういうことが「珍しくない」からこそ、私は「現状では致し方ない」と思っています。そして、それが無い隔離された状況、つまり男性がいない状況を望む女性の存在は非難できるものではないですし、少なくともそういった女性のニーズに対する、サービスとして快適性を提供するということを批判することはできません。
そのニーズというのは非常にわがままなニーズであるのは確かです。でも、見方を変えると痴漢に限らず雑誌の水着グラビアや週刊誌のアダルト記事を見ている男性や女性に絡む酔っ払いもいる中で、女性には居心地が悪いというのもわからなくは無いのです。
以前、地下鉄の車内でチューブトップを着ている女性をじろじろ見ているオッサンがおりました。終いにはなにやら声をかけたようですが、女性に「はぁ?このスケベじじい」と言い切られておりました。当然、その女性からすればいい気持ちはしません。彼女は「見せたい」からそういう服装をしているわけではないですし、違う言い方をすればそういう服装だから軽いわけでも無いのに「軽い」と思ってナンパでもしたのでしょうか。
また、平然とスポーツ新聞の「エロ紙面」、あるいは「実話誌」などを平然と電車の中で読むなど男性の私でもあきれるものです。電車の週刊誌の中吊広告だってきわどい表現は当たり前です。とても子供に見せたいようなものではない(女性誌でもありますが男性誌ほどは強調していない)。それを女性が見てどう思うか。いい気持ちはしないでしょう。さらには「旅はなんとか」なのか、いきなり隣や向かいの席の女性に話しかける男性も見かけます。その女性が迷惑かどうか考えているのか疑問に思う行動を目にすることも珍しくはありません。
こういうことがあるからこそ「男性排除」というものがニーズになり、さらに言えば「サービス」と認識される。つまり、女性専用車というものを「サービス」と認識させているのは言い方を変えると「男性自身」であることは否定できません。迷惑行為を迷惑と認識できない男性の多さ、それが女性専用車というニーズに直結している点は否定できないのです。もし、そういう男性がいなくて特に居心地が悪くないのなら、女性専用車のニーズなど生まれません。
もちろん、男性も女性のきつい化粧や香水などにいやな思いをするのは当たり前にあることです。私も女性の香水は弱いので(においものが苦手)、女性専用車の折り返しなど乗れません。また、話し好きの中年女性に話しかけられ、戸惑ったこともあります。とはいえ、女性が受ける迷惑のほうが当然ながら世間の反応は大きい。
ですから「女性専用車なんてくだらない」と女性が思える状況、サービスと思われない状況にならない限り、この流れは変わらないでしょう。公共交通に同一料金で性差サービスがあるのはいかがなものかとしても、一般国民の支持が「それなりに」得られてしまうということならば説得力はあれど、「誤った」(ともいえる)ニーズに真正面から答えているとはいえないのでしょう。
容認できるのかといわれれば「今の段階では容認するしかない」と私は思います。もちろん、原理原則論から言えば誤りであると思います。しかし、それに今の段階で真正面から「必要性が無い」とはとてもいえません。男性がいない女性だけに快適性を提供することがサービスになる。その現状を作り上げた張本人はだれかを考えると、容認するしかない悲しい現実と感じています。
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