このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





正解が複数ある中で何を正論とするか



とも  2005年 7月31日





 下北沢の運動は私も関心を持ってみておりました。正直なところ、一都市計画家という立場で見れば区の提案も住民の提案も正解ではありますが、お互いに欠点はある。しかし、お互いがまったくもって認め合おうとしていないところに悲劇があると思ってます。

 細かくは書きませんが、たとえば住民サイドの交通量の分析は正直言いまして問題が多すぎます。「決め」(予測の前提を一つに決める)ということは予測や検討にはある意味で不可欠ですが、その決めがあまりにも恣意的ですし、内容的にも交通量調査の専門家とおっしゃる方が携わっているとはいえ「答えありき」のものといわざるを得ません。

 一方、区の計画はどうかといえば手法ややり方は妥当ですし、特段の問題があるとも思いませんが、その必要性等の部分で回答として適切か否か、説得力があるかという点の疑問は残ります。

 つまり、このような複数の正解があるような場所で、住民と行政がどう連携し妥協案=最大公約数を見出すか。一方的に「俺たちが正しい」「あんたらはわかってない」という次元では話になりません。

 一般的にまちづくりにおいて、行政にも住民にも独善的な方は必ずいて、そういう方の発言に振り回されて本質を見失うケースは多々あるものです。問題点も論点を摩り替えればわからなくなります。

 同じように、自分たちの理想=全体の理想という考え方も多い中で、どう落とし込んで妥協案を探るのか。

 下北沢はまさにソフトの街であり、ハードは追いついていないものの今でも活性化はされています。しかし、一方で閉鎖的な環境を生んでいるのも事実で、ある程度の「固定層」に特化した商業地になってしまっています。

 そういった問題点の解決も含め、何を正論にするのか、住民の冷静な選択と行政の決断に期待したいところです。





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