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中華鍋があってもなくても優れた料理人は美味いチャーハンを作れる(たとえ話)
とも 2006年 1月16日
おいしいチャーハンを作るには火力と中華なべと粘り気の少ないお米、中華スープや中華ハム等の材料が重要という話が良くあります。
『たとえ家庭用のフライパンでも、日本米のやわらかいご飯でも、中華スープや中華ハムは無くても、火力の弱い携帯用コンロでもおいしいチャーハンを作ることはできる。手間ヒマと丁寧な料理と工夫とアイデアで解決できる』。とある中国の中華料理人の方がテレビ番組で仰っていたことです。実際、その方は携帯コンロと家庭用フライパンとコンビニご飯、そして鰹節と干ししいたけとジャコで見事に美味そうなチャーハンを作り上げました。
この話、実は岐阜の問題点の本質を突いているともいえるのです。岐阜の場合、結局は民間事業者・行政(都市・商工・道路)・交通管理者(県警)・利用者・市民・商業関係がすべてバラバラに物事を考えていた結果と言っても良いのかもしれません。
各者が「あれが無いと」「これがないと」「これができないと」「判ってない」「理解されない」などといろいろ文句や愚痴は言うものの、それを誰もがきちんと料理をすることもなく、また料理をつくることもできず、結局はご飯は干からび卵は腐り、チャーハンを作ることができていない。まさにそういうことでしょう。
では何が必要なのでしょうか。それは料理人=ファシリテーター・コーディネーターです。たとえば、実際の人の流れと利用の動向を考えれば工夫やアイデア次第でいろいろ改善策は考えられます。各者の意向を聞き、それにあわせてプランを考える。非常に手間隙のかかる地道な作業です。しかし、それを丁寧に行えば、乏しい材料でも良いものができるのです。それを引き出すのがコーディネーターです。
安全地帯は一部区間を除き歩道を削らない限り設置は厳しいです。歩道を削ると歩行者の安全に問題が残ります。ではどうするか、万葉線や名古屋の基幹バスで行われているような安全地帯のパラレル配置(カーブが線形に入るが大事ではない)や交差点部分拡幅、道路の一方通行規制といった対応策があります。
軌道の通行制限は今の本数レベルではまず遵守されません。私も過去に何度か岐阜の市内を車で通ったことがありますが、電車とすれ違うことはあっても後ろから来るとか前にいるという状況には一度も会ったことはありません。それではドライバーに軌道に入るなというほうが無理です。見かけない電車のために規則を守れといっても遵守率は下がります。
廃止直前でも揖斐線よりも実は美濃町線のほうが後背圏人口が多く競争力も高く流れに合っていたということが本当に考えられたのかJR岐阜の利用が伸びていたのに新岐阜で止めたのは何だったのでしょうか。
路面電車が廃止になれば商業が衰退するとしても、もともとの流れを考えれば商業側の意識改革が大切なのは明らかで、今でもバスの工夫でなんとかなるのにその点も何をしたいのかまったくわかりません。
そして「特区」といういわば「チャーハンの素」を求めるようなスタンス。それでは何も変わりません。
でも、もしコーディネートができる人間がいれば、あるいは「路面電車復活だ!」ではなく中立な立場で考えられる団体があれば、それはまったく違うものになったでしょう。
そして、もう一つのポイントがあります。それは路面電車というのは「単品料理」なのです。まちづくりは「フルコース」です。単品だけがおいしい=街としての魅力に欠け、言ってみればお客さんは「あそこはチャーハンはおいしいけど他がイマイチだから」となってしまいます。チャーハンだけではなく、エビチリも麻婆豆腐も点心も杏仁豆腐もそれなりにおいしくなくては客は来ないのです。そこに気がついているのでしょうか……。
こういうと厳しい言い方かもしれませんが、岐阜での様々な話を聞くと、
「うちはエビチリがレトルトだからおいしいし、麻婆豆腐の素と冷凍の点心でそこそこになっていると思うんだけど、中華鍋と火力のあるコンロとタイ米が手に入らないからおいしいチャーハンを作るためのチャーハンの素がほしいんだ。近所の人気の料理屋(=名古屋)は雑誌に取り上げられて材料に金をかけているから人気なのだろ」
と言っているように聞こえます。
さて、そんな中華料理屋にだれが入るでしょうか。手作りの点心とちゃんと材料も吟味したエビチリや麻婆豆腐、そして工夫と個性を生かしたチャーハン。そういうフルコースができなければ、雑誌に取り上げられ、材料に金をかけている料理屋には勝てません。岐阜という「中華料理屋」がどうなるのか。料理人をちゃんと連れてこれるかどうかにかかっているのでしょう。
そうそう。雑誌に取り上げられるということは味が良いということであり、材料に金がかかるということはそれだけおいしいしそれを引き出す腕も必要なのですね。果たしてそこに気がついているのでしょうか……。
ちょっと脱線気味の雑文チックですがご容赦を。
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