このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





飲酒運転問題の報道から考えること



とも  2006年10月17日





 福岡で一家が乗った自動車が飲酒運転の車に追突されて橋から転落し子供3人が亡くなるという痛ましい事故以降、全国で飲酒運転の取り締まりが強化され、検挙もされている。だが、飲酒運転とそれに伴う事故はそれでも後を絶たない。ネット上での批判やマスコミでの批判は、報道が公務員などの件が多いこともあって、それらを中心に本質的な批判より「飲んだら乗るな」「公務員の自覚」といった精神論的な批判や嫌酒という視点からの「禁酒」というあり得ない議論が出ている点が気になるところではある。

 さて、この精神論的な報道の陰でほとんど報道されない問題がある。それが「公共交通プア」だ。

 このフォーラムをご覧になられている方々には何を今更というところではあるが、公共交通というのはもはや「必要最低限」というランクにまで落ち込んでいる。たとえ大都市圏でも東京23区や大阪市内を除けば公共交通が皆無に等しいという地域は当たり前に存在する。それでいて日本の土地利用は集約型を否定してきたから非常に都市圏が広い。人口10万人前後の都市でも5〜6kmは宅地が広がるなんてことも珍しいことではない。また、タクシーや代行運転なども距離が長いため当然高く、車を置いて行くにしても駐車場がかなり高く、数千円になることもある。さらには夜間、数少ないバスや鉄道が23時以降まである地方都市はそうそうあるものではない。長野電鉄やJR四国高松地区など例外的に深夜まで鉄道やバスの運行を行っている事業者もあるし、昨今の情勢変化を受けていろいろと対策を取り始めているが、地方都市ではまだまだレアであり、小規模都市では皆無と言っていい。下手すると20時・21時には最終というケースもある。

 その結果、都心部で飲食をする場合には高額なタクシー代や代行運転代を負担しなければならないということで都心部の飲食店が廃れ、集落や幹線道路から近い場所に郊外型居酒屋、郊外型バー、郊外型キャバクラというような「矛盾」する形態を生み、酒を飲みに行くにも自動車がないとどうしようもないというケースがごく当たり前に存在してしまっている。

 諸外国における飲酒運転対策はかなり様々に報道されるが、案外報道されないのがこの辺の考え方だ。たとえばオーストラリアのとある町では、夜間には都心循環バスが繁華街経由となり車を使わずに酒を飲める環境を整えている。タイのリゾートや香港では小型バスが繁華街始発に変わり多少割高にはなるが家のすぐ近くまで乗り入れてくれる(いわばタクシー風デマンドバス。)。香港の場合、●●園(つまりニュータウン)行きというダイレクト臨時バスも走る。カナダのとある町では普段は無い路線バスとしてスクールバスが使用されているなんてこともある。ヨーロッパやアメリカなどでは駐車場も夜間は安くして留め置きしても問題がないようにしてあったり、コミュニティにおいてそういう場合には相乗り通勤が一般化しているというケースもある。つまり、受け皿としての公共交通プアを改善する工夫がされ、その上での厳しい飲酒運転の対策を取っている。本質的な問題点を見据えての対策になっているのだ。だから実効性があるし、世間のコンセンサスも得られやすい。

 ところが、日本では何に関しても精神論的な考え方で受け皿や代替策を示さず、道徳心やマナーという耳障りのいい台詞に置き換えて語ってしまう傾向があるためか、そういう受け皿や代替案などが出てくることはない。規制で縛る、規則で決めるという方向にしか話が進まない。それにより一度破られると取り返しがつかない状態になる上に、受け皿もないから法令違反でもなんでも「それしか方法がない」という状態に追い込んでしまう。結果として実効性もないものになる。本質の問題を解決せずさりとて対処療法でもないのだ。

 飲酒運転にしても代替交通に問題はないのかという検証にはなかなか進まない。東京や大阪の考え方で語られることも多く、平然と「電車で帰れ」「タクシーで帰れ」と安易に言うが早じまいの電車、台数のないタクシー、高い運賃と言った実態が報道されるわけでもない。深夜に飲酒して車に乗れない時点で自業自得として「ある種の交通弱者」という認識がされない(そもそも海外旅行に行く荷物の多い人も「自業自得」として交通弱者と考えない「弱者=先天的でなければ」という一般的な発想そのものに誤りがあるのだが)上に、「飲まなければいい」というまさに精神論的な考え方が強く、その対策すらあまりいい顔がされないという現状もある。「酒の提供を辞めろ」「酒を売るな」は正論として認められても、飲んだ人の救済はなかなか受け入れられないのだ。

 一方で酒は食文化の重要な一部を成している。日本酒・ワイン・焼酎・スコッチ・泡盛など国・地域の文化そのものだ。そして酒により創られた文化も数多くある。禁酒というのは簡単だがその文化を棄ててまで禁酒するというのは常識的に考えて解せない話だ。しかし、禁酒は論になるが飲酒した人の交通機関は知らないというのはいくら何でもおかしい。

 本気で飲酒運転を減らそうと言うのなら、深夜の公共交通のあり方を含め考えていく必要がある。さらに多量でなければ飲んで30分もしないで分解されるので飲酒運転の危険性が極めて低いノンアルコールビールや飲酒翌朝の相乗り通勤について、揚げ足取りのように「わずかだがアルコールが含まれる」「保険では想定していない」などと批判する報道姿勢も含め、いい加減実効性のない精神論はやめにしてもらいたい。

 無論、そういう論点から外れる「論外」の事故もある。福岡の事故などは典型だ。しかし、だから精神論で良いんだと言うことではない。報道されない他の事案も考えなくてはならない。

 飲酒運転による事故は悲惨なものだ。ただ、これらの問題が解決されない限り未来永劫飲酒運転は無くならないだろう。いい加減、飲酒を糾弾するだけではなく、どうすることで減らせるのか、実効的な対策を語るべきなのではないだろうか。





※ブラウザの「戻る」ボタンでお戻りください





このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください