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監督官庁の「暴走」を懸念する



エル・アルコン  2005年 5月24日





  4月25日のJR宝塚線尼崎−塚口間での事故から間もなく 1ヶ月が経ちます。この事故については、会社の体制、ダイヤのあり方、労使問題、個々の従業員のモラルの問題にとどまらず、事故調査のあり方や危機管理体制、さらにはマスコミ報道のあり方など、この社会における様々な問題点の存在を浮き彫りにした感があります。

 この事故についての評論については腰を据えて論じる必要がありますが、取り敢えずそれらに対する具体的な考察をする前の問題として、監督官庁である国土交通省の事故に対する対応が明らかにおかしくなっています。

 事業者に対する強い権限を持つ監督官庁の対応は、明文化されたものや口頭での指導にとどまらず、国会での答弁やマスコミ報道などから忖度する「意向」に至るまで、事業者にとっては「絶対」的な存在となる権力であり、法体系上監督官庁の裁量に任せられる部分が大きいだけに、その対応には法律の施行者として相応しいものが求められます。

 しかし、事故後の対応を見る限りにおいて、その監督官庁の主務大臣の発言を見る限りにおいては、例えば ATSの設置基準において明らかに技術面での認識不足を露呈するなど、その発言が今後の対応の規範になる可能性が高いにもかかわらず、法的、技術的根拠を欠くとしか思えない軽率なものが多いのは否めません。

※ATS-Pを明らかに絶対視しているが、現状のATS-Sx系でも速度制限が必要な箇所に速度照査地上子を設置することで少なくとも非常制動による停止という形での事故回避は可能。逆にATS-Pであっても該当箇所に速度照査地上子が無ければ該当箇所での減速もしくは停止は不可能であり、事故回避は出来ない。
 【客車列車および貨物列車といった機関車牽引列車におけるATS-P(PF)は速度パターン超過時には減速ではなく非常停止しかしない(PFは運転台にパターンを表示することによりパターン上限をリアルタイムで確認出来る)という説があるが真相はどうだろうか。もしそうであれば速度照査付きATS-Sxは少なくとも客車列車や貨物列車といった機関車牽引列車における機関車が装備しているATS-P(PF)とほぼ同じ対応が可能になる。】

 もちろんATS-Sxは地上子間での「超過」には対応出来ないが、危険箇所での速度超過防止と言う意味では非常停止機能しか持たないATS-Sxは安全側に片寄った単機能であるため、一概に機能が劣るということはいえないし、ATS-Pの機能をフル活用するケースは、速照で上限速度へ減速することによりギリギリの運転間隔を安全に保持出来るという「過密ダイヤ」に他なりません。

 さらに、これらの発言が事故の再発防止につながるものであればまだしも、事故原因の究明、そしてその中間報告もない時点で決め打ち的な対応を事業者に要求することは、これによる対応が「空振り」に終わる危険性を孕んでおり、最悪の場合いたずらに経営資源の浪費を事業者に強いるばかりか本質的な対応を遅らせてしまう危険性があるわけで、まず既存設備でも可能な部分が多い暫定的な対応で様子を見ると言うような慎重な姿勢が必要です。



●何に基づく「速度規制」か

こうした危うさがさらに明確に出てきたのが、今朝の大阪朝日の一面トップの記事です。国交省が23日の第6回事故対策本部会議で、減便や駅の停車時間の延長だけでなく、最高速度の抑制を含む大幅な再編成を指導することを決めたとあります。本件は朝日のほか、日経や神戸新聞でも同趣旨の記事が出ており、内容はほぼ確かでしょう。

   朝日新聞

 「過密ダイヤ」という用語が一人歩きをしている様は滑稽であり愚かでもあるのですが、少なくともJR西日本のダイヤにおける問題の所在は、「余裕が無いダイヤ」にあることは確実です。

 これが遅延を容易に発生させ、遅延回復における無理な運転につながる、という見立てですが(稿を改めて論じますが、ここの因果関係は事実であっても正当化出来ない)、その解消策は、駅間所要時間における余裕時間の設定、停車駅における客扱い時間の適正化、折り返し駅における前運用における遅延を吸収し得る余裕時間の設定であり、それが前提であれば例えば尼崎における「同時到着・同時発車」というような緻密な接続は、そもそも尼崎到着時点での遅延発生可能性を極小化することで容易に実現出来るわけで、無理に冗長化の方向で修正する必要は無いのです。

 実際、JR西日本が打ち出した対応は上記のような対応という触れこみであり、あとはその対応策が妥当かどうかの検証をJR西日本、国交省および第三者を交えて行えば済む話です。

 しかし今回国交省が要求して来た「減速」はどうでしょう。カーブ区間を始めとする制限区間の見直しであれば、安全性に関する範疇であり、安全マージンの見直しという流れで理解出来ます。

 一方で直線区間における減速とは何でしょうか。新快速の 130km/h運転を始めとする高速運転を明らかにターゲットにしているとしか思えませんが、非常制動による停車距離の問題などの所定の規制をクリアしている状態で、何を根拠に規制するのか。

 もし直線でも 130km/h運転を行えば転覆の危険性がある、というのであれば、 7月改正で特急に続き特別快速の 130km/h運転を開始するJR東日本の常磐線や、 150km/h運転を行っている北越急行との整合性を欠きます。JR西日本固有の問題とするのであれば、それは保安装置の問題、線路整備の問題か、使用する車両にその原因を求めることになるわけで、保安装置の問題であれば ATS-Sx系を使用している他社の 130km/h以上での走行との整合性、線路整備であれば線路の整備をすればいいだけ、そして車両の問題であれば、事故原因で頑なに車両の異常を否定して運転ミスを原因としていることと決定的に矛盾します。

 JR宝塚線の場合、中山寺停車による時間ロスを速度アップによる短縮で吸収したという点が責められますが、余裕時間まで削ったと言う点を別にすれば、速度がアップすれば時間が短縮されることは当たり前のことであり、それを時間短縮に総て振り向けるか、停車駅の増加に振り向けるかは自由です。

 それが一切許されないのであれば、東海道新幹線が「のぞみ」になって時間を短縮したり、品川や新横浜に停車しても旧来の「ひかり」より速く新大阪に着くなんてダイヤ改正は論外ということになります。

 いわんや高速運転そのものが危ない、というのであれば、それに合理的、科学的根拠がない場合、「そんなに急いでどこへ行く」の類の「思想」の問題であり、それを「根拠」に監督官庁が「規制」を実施するのであれば、それは最早「行政」の名に値しません。



●「懲罰」とした場合の問題点

 結局は素人目に分かりやすい安直な「規制」による「世間受け」に過ぎず、しかも安全対策としての効果にも疑問があるわけです。強いて言えば、「JR西日本に対する懲罰的色彩」としての規制というのが正鵠でしょうが、安全を建前にした懲罰というのでは「日勤教育」を笑えないわけで、当の国交省が日勤教育について教育としての実効性が無いとして見直しを指示していることと照らし合わせると、ダブルスタンダードもいいところです。

 さらにダイヤ編成についての理解があるとは到底思えない監督官庁と主務大臣が事実上決定するという点で、今回の事故を踏まえた安全の根幹を構築するダイヤ編成に「素人」が介入する時点で、安全面でも重大な疑義が生じます。

 もちろん、バス事業においてはいわゆる「服喪」と呼ばれる、不祥事を引き起こした事業者に対する新規路線を承認しない処分がありますが、こうした懲罰的処分はあくまで道路運送法に定められた範囲の話でありますし、法人としての事業者やその役員が有罪判決を受けた(確定)ことが条件になっています。

 それと比較した時、今回の「規制」は法的根拠の無い「懲罰」であり、だからこそ鉄道事業法に根拠のある「輸送の安全上適切なものであること」を審査する体裁で実施しようとしているわけです。

 しかし、この規定を盾に取った場合、この「安全の皮を被った懲罰」は「日勤教育」に対する行政指導との整合性という意味でのダブルスタンダードである以上に、他社に対する安全基準との整合性という意味でのダブルスタンダードという面があり、さらにJR西日本に課されるダブルスタンダードの基準に合理的根拠が見出せないという意味でも問題です。



●「お上」によるダブルスタンダード

 法律に基づいて行政権を実施するに過ぎない監督官庁には法的根拠を示すことが求められます。もちろん監督官庁による裁量が広汎に認められることになってはいますが、同種の事例、事象に関して同じ対応を取ることが大前提になるわけで、相手によってその尺度を変えることについては、よほど合理的な理由が無い限り、行政権の執行者としてそれは厳しく戒められるべきものです。

 今回報道された「規制」は、拠点駅や接続駅を始めとする停車時間の確保、運転における余裕時間の確保、そして減便、減速というところですが、例えば速度照査付ATS-Sx系で運転しているJR東海の名古屋周辺やJR九州の福北間に付いて、 ATS-Pの設置を始めとする同様の対応が取られるのでしょうか。

 JR西日本のお膝元という意味では、X型の接続があり、かつ尼崎と違って上下本線が平面交差する阪急の淡路駅のダイヤ編成や、10分間に 2本の列車が同一ホームで折り返すという余裕のないダイヤを組む同じく阪急の宝塚駅への「指導」「規制」はあるのでしょうか。

 速度規制にしても、上記のようにJR他社等での実施例との整合性が必要なわけで、それらの規制をもしJR西日本だけに強いるのであれば、合理的な理由がない限り、法律を特定の事業者の不利益になるように歪めて適用すると言う取り返しのつかない事態になるわけです。

 ただ問題なのはこれまでこうした個別企業を狙い撃ちにするような「規制」の例があったということです。今回の「規制」もそうなんですが、同じ規制における適用基準を歪めることで、規制〜外れていないという弁解の余地を与えつつ事実上狙い打ちにするということは、金融庁の金融機関に対する「検査」ではよく見られたことですが、しかし、こうしたやり方については不透明な「裁量行政」として強い批判が浴びせられているわけです。

 国交省の今回の措置はそれを彷彿とさせるという意味で、本来金融行政を批判してきたマスコミは率先して非を鳴らすべき事象でしょうが、それを放棄したばかりか、高校野球における部員の不祥事による連座を気の毒がる同じ紙面で、罪九族に及ぶとばかりに同じ会社というだけで私的な宴席やレジャーにまで注文をつけるダブルスタンダードですから、「民それに習う」を地で行く感じです。



●「利敵的懲罰」が招く不信感の増幅

 今回の「規制」を「懲罰」として捉えた場合、事実上恒久的な対策になることから、永遠にその罪を雪げない懲罰を課せるのかという問題にもなります。また、鉄道会社にとって商品の根幹であるダイヤへ「素人」が介入することを許すことで、本来懲罰とは超越しているはずの経営の自主権を大きく侵害することになるわけです。

 例えば自動車会社のリコール隠しといった不祥事に対して、法人や経営者がその責任を問われることがあっても、自動車会社が上市する新車の規格や、生産工程の能力に関して監督官庁が法律で定められた内容以上に介入することはありえません。今回の「規制」は、リコールとは直接的には関係ない生産ラインの能力を下げるとか、新車の性能を落とすように指導するものであり、将来の経営を不利に拘束することになるわけです。

 この形態での「懲罰」は、その業界における独占企業でない限り、ライバルを利するという効果に直接つながります。発生した事故・事件への責任が問われ、それを償うことは法律に基づくものである限り、それを監督官庁が主導することは当然ですが、懲罰でないと言う建前において、ライバルを利する結果を惹起しかねない「懲罰」を、しかもダブルスタンダードの形で課すことは、公平を求められる法律の執行者としての監督官庁として妥当な行為なのか。

 JR西日本に関していうと、尼崎−塚本間での救急隊員死傷事故で、人身事故発生時の取り扱いについて国交省の指導を受けましたが、結局、それは他の事業者に展開するものではない、「安全に名を借りた懲罰」に過ぎなかったことは、その後他社で人身事故が発生した時に警察の現場検証まで抑止をしていないことや、甚だしいケースでは警察へ引き継がないばかりか、遺体(法的には死亡確認がされていない)を現場に放置して運転を再開した鉄道会社に特段の処分が下った形跡がないことからも明らかです。

 こうした「ダブルスタンダード」の前科を身をもって感じているところに、さらにダブルスタンダードの対応を課すことは、監督官庁との間に決定的な不信感を抱かせる方向に働くことは想像に難くないです。もちろん、そういう流れだから気をつけないといけなかったということも出来ますが、そうした発想こそ、「日勤教育」に怯えるあまり大破局に至った乗務員と同じ発想ということに注意すべきです。

***

 西日本における公共交通の整備発展に関しては両者の協調関係が欠かせないにもかかわらず、このような不幸な関係を増幅するようなことは果たして良いのでしょうか。もちろんJR西日本による事故が無かりせばそういう事態にならなかったことは言うまでもありませんが、だからといって法律に基づいて行動する監督官庁として相応しくない行為が容認されると言うことは、ダイヤが厳し過ぎるから違法運転をして良いというのと同じくらい問題です。

 監督官庁として事故の再発防止、安全確保を前提とした処分・規制というのであれば、今回の対応は稚拙かつ拙速に過ぎるものであり、公平性と言う観点からも疑義があります。このままでは単なる世間受けを狙ったパフォーマンスに過ぎず、尊い犠牲者もこれでは浮かばれないでしょう。



●認識のズレと背景の妥当性を考える

  5月25日付の神戸新聞は、「認識ズレ大きく『安全性向上計画』策定大詰め」と題して、国交省が5月末で提出することををJR西日本に要求している「安全性向上計画」における国交省とJR西日本側の考え方にズレがあることを伝えています。

   神戸新聞

 最大の論点はやはり「最高速度の見直し」であり、JR西日本側は、国の法令に基づいた最高速度であり、ルールを守っていれば事故は起きないと最高速度自体の見直しには慎重ですが、国交省側は「ルールうんぬんよりも、あれだけの事故を起こしてしまったのだから、制限の見直しは当然」という幹部の発言を記事が掲載しており、まず見直しありきという姿勢のようです。

 このズレは、「安全性向上計画」という「指導」に端を発しています。結局、これを「事故の再発防止」という技術面での対策と考えているJR西日本は、曲線等の制限区間の見直しというような制限でもない限り、どう考えても安全対策とは無関係な最高速度の制限を盛りこむ事は考えず、あくまで技術面の安全対策を中心とした理詰めで考えているのですが、「技術的な再発防止よりも、事故を起こした同社が社会に示す『宣誓文』の位置付け」(上記記事)と国交省が考えている以上、噛み合わないのは当たり前です。

 ただ、両者の姿勢を比較した場合、事故の当事者であるJR西日本が事故を反省し、謝罪するのは至極当然とは言えますが、「技術的な再発防止策」の効果を持たない「対策」を「社会に示す宣誓文」という一種のペナルティとして取らせるということには、やはり強い違和感を感じます。

 そもそも、今回の「安全性向上計画」は法に基づいた手続きではなく、主務大臣の指示が根拠という話であり、如何に法律が主務大臣の裁量を広汎に認めているとはいえ、法に基づくペナルティとは別建てのペナルティを、法人としてのJR西日本に、現時点では業務上過失致死に問われることは間違い無い乗務員に対する雇用者責任以外の法的責任を問い得るかどうか不透明な段階で、しかも「技術的な再発防止策」に名を借りて課すというのには行政権の行使のあり方が問われます。

 さすがにJR西日本側もここまでの「介入」はペナルティの域を超えて経営基盤の弱体化という企業存亡に関わる問題と考えているのか、上記記事では「車両に能力があるのにスピードを落とすことは、乗客への背信だ」との見方が社内にあることを伝えていますし、24日には来春にアーバンネットワーク全体でダイヤに余裕を持たせたダイヤ改正を行う旨を公表し、停車時間や運転時間、折り返し時間に余裕を持たせることと、最高速度は一部の区間で見直すとしていますが、このあたりは「これ以上の対策(=全般的なスピードダウン)は再発防止には無関係なただのサービスダウンの強制に過ぎない」というメッセージを先手を打って発表したようにも見えます。

   神戸新聞



●法的根拠を欠く「強制」の問題

 特に問題なのは、事業者に「宣誓」させるという体裁です。上記記事では、先般来のミス多発に関連して、JALが事業改善計画を提出した際、主務大臣が「反省の色が見えない」と突き返している、と報じています。

 しかし、JALの「事業改善計画」、そしてJR西日本の「安全性向上計画」は、本来トラブルや事故の再発防止を主眼点として提出されるべきものであり、その内容が本当に再発防止の実を上げるかという観点で妥当かどうかという以外で監督官庁が判断すべきではありません。

 「反省だけならXXでも出来る」じゃ無いですが、実効性があるかどうかを合理的に判断するのが監督官庁の仕事であり、主観面が受理の判断を左右している事は、法律に基づく行政権の行使として甚だ問題でしょう。ましてやその「提出」が法的な根拠を持たない以上、監督官庁にはそもそも裁量権もなにも無いわけですし。

 事業者側から出させる事で、法律に基づかなくても自主的に「宣誓」してるのだからという体裁は、事行政権が絡む場面では問題であり、いわんやそれの受理が監督官庁や主務大臣の主観に基づく胸先三寸というのでは、法律は要りません。

 このあたりも、実質は内容を逐一チェックするという事実上の強制ながら、「自己査定」という「宣誓」の体裁を取らせて、それの厳守を求める金融当局の「裁量行政」と全く同じです。

 行政手続法による「指導」の根拠の開示請求や、ノーアクションレター制度による基準の開示というように、不透明な行政権行使を透明化する方向というのに、このようなやり方が罷り通るのかが厳しく問われます。

 もっともこのあたりは、事故を起こした運転士が前回の「日勤教育」の際に所属長から「次回ミスをしたら運転士を辞める」と言う内容の「決意書」を書かされていたという報道もあるわけで、いずこも同じという見方も出来ますが、やはり法律に基づく権力を伴う監督官庁との関係と言うのは、会社、職場といった私人間の関係とは全く別の話です。

   産経新聞





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