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若干のコメント
エル・アルコン 2005年 6月 3日
レポート拝見しました。以下、簡単な感想です。
●いすみ鉄道の意外な「健闘」
いすみ鉄道は、実は真っ先に廃止対象に上がった第一次転換対象路線ですが、そういう「出自」を踏まえると、大原−大多喜間は「健闘」と言えるかもしれません。それはさておき、利用実態をもう少し詳しく知りたいところです。夷隅郡市の域内輸送に事実上特化しているのか、大原接続で対千葉、東京方面の需要がそれなりにあるのか。対東京だと高速バス、対千葉だとクルマがメインかもしれませんが。
もともと対東京、対千葉と言う意味では微妙に動線を外した路線である事は確かで、特に対千葉ではR297経由の小湊鉄道バスのほうが本数が多く、かつ速かったわけです。1980年代前半、千葉−大多喜線は準急バスとして千葉市内の停車停留所を絞って運行。さらに勝浦急行線時代の名残と言える観光タイプの車両を使った急行便もあり、国鉄木原線時代に乗りに行った時も、往路はこの急行バスを利用しました。
ところが不思議なのは後述するように牛久近辺、また千葉市内での定時性確保が困難だったとはいえ、バスのほうが今では見る影も無くなったこと。牛久を回避するように茂原街道から長柄、長南経由にシフトしましたが、今や牛久行きがあるだけで、牛久まで行っても内房線の駅に行く路線が無く、事実上バスが無くなっています。
ひょっとしたら公共交通で千葉に出るにはいすみ鉄道がベストになってしまったことが、いすみ鉄道の経営を微力ながら支えているのかもしれません。
●取り残される大多喜
房総半島の道路交通を見ると、外房線、内房線に沿うようにR127、R128が周回し、真ん中に八幡宿から大多喜を通り勝浦に抜けるR297が通っています。勝浦や鴨川といった外房南部への短絡ルートであり、本多氏10万石の城下町以来の街道筋ではあるのですが、このルートはどうも近年振るいません。いちおう高規格化が決まっていて、勝浦市域に入った松野付近では改良に着手はしていますが、完成は何時になるのか全く見えません。
逆に、館山道姉崎袖ヶ浦ICから久留里を通り鴨川有料道路経由で鴨川に抜けるルート(高速バス「アクシー」「カピーナ」のルート)の整備が進んでおり、外房南部へのルートとしてはこちらのポジションが高くなっています。
大多喜の観光資源はささやかなものであり、大多喜城とレンゲ畑くらいです。そのささやかな観光資源も駅からは微妙な距離や坂道を残していては来るものも来なくなります。(栗又の滝やハーブ園もあるが、いすみ鉄道やR297沿線では無い)地元、通過流動、観光のいずれの面でも先細りが避けられないと言うのが沿線の現状でしょう。
●チグハグな対応
それでも東京−御宿・小湊線や、牛久乗り換え羽田・横浜線というような高速バスの設定により改善はされているように見えます。しかし、その両路線を見ると、勝浦から牛久までは同じルートを辿るにもかかわらず、停留所が揃っていません。勝浦から牛久までの間、東京行きは武道大学入口、宿戸、たけゆらの郷、大多喜、鶴舞に停車し、牛久線は松野、大多喜に停車しますが、大多喜以外の停留所は全く別なのです。しかも大多喜もショッピングセンター「オリブ」に両方停まるとはいえ、東京行きは国道上、牛久行きは駐車場内と分かれています。このあたり、少ない公共交通をわざと使い難くしているようにも見えます。
●小湊の「延命装置」
実は上総牛久の道路事情が小湊鉄道の上総牛久以南、場合によってはいすみ鉄道の延命装置になっているかもしれません。TAKAさんの場合、平日と言うこともあるのか幸運としかいいようが無いのですが、普段の牛久はドライバーにとっての難所です。米沢交差点でR297とR409が交差し、かつR409踏切の西側では養老渓谷、小湊方面の県道千葉天津小湊線との交差点があるという、「キ」の字型になった構造に踏切での一旦停止が加わることから、交通量の割りに流れない構造になっています。
これが千葉−大多喜のバスを衰退させましたし、同じR409との交差でも交差点の改良が進んだR410(県道千葉鴨川線)経由で館山道にアプローチするクルマが増えたのだと考えます。
●小湊の「観光資源」
昔も今も養老渓谷の一枚看板しか無い状態です。いすみ鉄道との連携も図られているようではありますが、上述の通り大多喜もたいしたことが無いわけで、いかんともし難い面があります。
最近ではひなびた雰囲気を活かしてロケなどに使われているようではありますが、いかんせんキハ200型しかない面白みの無い鉄道であり、「乗りに来る」需要を産みにくいです。特にキハ200型は各地で旧国鉄転換の第三セクター鉄道が出来る前、各地の非電化私鉄が旧国鉄やJRのお下がりで賄っていた時期、1970年代後半まで増備された「最後の新製気動車」であり(最終グループはユニット窓を採用するなど近代的な設計です)、気動車と言えば「バス窓」が多かった時代には「面白みの無い路線」として定評がありました。
首都圏に近い、というか首都圏の一角という地の利を活かせば、SL運転やトロッコ列車などの企画モノもそこそこ成功するでしょうが、1960年代からのキハ200型時代が長過ぎて「自社物件」が無いため、そういう企画モノも一から揃えないといけないことがネックです。
あとは、牛久の渋滞を逆手に取り、南部のゴルフ場への流動を取りこめないか。
五井−上総村上間で館山道市原ICに近接しますが、ここでP&Rを行い、牛久以南の小湊線各駅でゴルフ場の送迎バスに引き渡すと言うスタイル。ゴルフ場単位で行っている都内からの送迎を一括して小湊鉄道バスが受託してこのP&Rを実施すると言う手もあるでしょう。ゴルフ帰りの牛久の渋滞を考えたら、悪くは無いのですが。
●通勤利用を取りこめるのか
1976年に住宅開発への対応として光風台駅が新設されましたが、これは内房線や外房線の同時期と比較しても通勤対応という意味では早い時期になります。しかし、これが対千葉、対東京での通勤対応とは言い切れないわけで、川鉄千葉(当時)から三井造船、東電五井をはじめとする京葉工業地帯の後背地としての住宅開発だと考えられます。対千葉、対東京の通勤需要に応じた住宅開発は時代が下がってから、北から順に、JR線沿いから進んでいますが、都心回帰現象もあり、小湊沿線にまでその流れが伸びる事は当面無いのでは。
京葉工業地帯への通勤需要の取り込みとして考えても、五井からさらにバス、もしくは蘇我や八幡宿、姉ヶ崎、長浦に出てバスとなると、結局は自宅からクルマでしょうし、場合によっては直接企業の送迎バスになるかと思います。
●両鉄道の将来は
いすみ鉄道の場合、良い形で縮小均衡を図って成功しているのかもしれませんが、将来が心配です。特に車両が、開業時の富士重工製レールバスの「いすみ200型」7両のままであり、2003年に策定された「経営改善計画」では「活性化のためのリニューアル工事」を行い、「現車両をできるだけ長期にわたり使用する」としていますが、それも限りがあるわけで、「その時」にどうするのか。
小湊鉄道のほうはもっと深刻です。かつては非電化私鉄の中で最も車両が新しかったのが、その後30年近く経って、最終増備が最も昔の路線になってしまっていますが、新車導入の噂も無いわけで、冷房改造はされているとはいえ、そろそろ、という段階になっている現有車両をどうするのでしょうか。ひと昔前でしたら、国鉄やJRの発生品という流れがあったんですが、足下であるとすればキハ40系列となるわけで、ならばランニングコストに優れた新車のほうが良いでしょう。
ただ、こちらは好調なアクアライン経由高速バスの収益と言う財源があるわけで、つくば関係の高速バスの大ヒットで鉄道の体質改善を図った関東鉄道の例に倣った改善が期待されます。
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